
呉天明氏死去(中国の映画監督)
時事通信 2014/3/4 21:34
呉天明氏(中国の映画監督)新華社電によると、4日、心筋梗塞のため死去。75歳。
陝西省生まれ。監督として「人生」(84年)「古井戸」(87年)などを手掛けた。西安映画製作所所長を務め、張芸謀氏や陳凱歌氏ら新世代の映画監督を育てた。(北京時事)
中国の映画はずいぶん見てきた。
1966年から1976年は(これらは後になって見たのだが)、文革期で革命模範劇のようなものがほとんどだった。
映画は、国策によって制作はされていたが、若手の育成と言うものはほとんどなかった。
もちろん、青年たちは「下放」されていたりした。
中国では、北京・上海・長春の三大映画製作所が他を圧倒していた。
監督もスタッフの数も、ここに集中していたが、逆にいうと文革以降、映画表現を求める若手たちにとって、これらは先輩たちがびっしりといるわけで、自分たちがなかなか活躍する場とはならない。
1980年過ぎごろから、もう少し小さい製作所で、若い人たちはチャンスを窺った。
そして1984年、ちょうど映画の製作方式の条例が、国のお抱えから興行収入などが評価されるようになった頃、
西安映画製作所の所長になったのが、呉天明である。
もともと西安映画製作所は歴史はあるが、スタッフの数も少なく、ヒット作はほとんどなかった。
呉天明は、この製作所をまったく新しく改革しようとしたのである。
彼が打ち出したのは、若手の才能の発掘と、「中国式西部映画」の拠点にするという宣言である。
もちろん、アメリカ式の「西部劇」のことではない。
地方色を全面に押し出して、中国のことに西部地域の雄大な自然や、農村での人の生き方をテーマに据えたのである。
呉天明自身も『古井戸』という名作を生み出したが、ここで育ったのが、チャン・イーモウやチェン・カイコーやティエン・チュアンチュアンらである。
彼らは「第五世代」と言われた。
1984年以降、僕が中国映画に面白さを感じたのは、それからということになる。
つまりもう30歳ぐらいにはなっていたのだが。
『黄色い大地』『子供たちの王様』『紅いコーリャン』などなど。
今でも、それらの映画のシーンが頭をよぎる。
その後の第六世代、第七世代は、また逆の苦労もしょいこむことになるのだが、第五世代は中国映画の時代のちょうど変革時期に、運よく若くして世界にその作品が認められたのである。
「名伯楽」とも言われる、呉天明の存在抜きには、考えられない・・・合掌!
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