舞台美術家の朝倉摂さん死去 独創的な劇空間作る
朝日新聞デジタル 3月27日(木)20時57分配信
独創的な劇空間を作り続けた舞台美術家・画家で文化功労者の朝倉摂(あさくら・せつ、本名冨沢摂〈とみざわ・せつ〉)さんが27日、くも膜下出血で死去した。91歳だった。通夜は30日午後6時、葬儀は31日午前10時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は長女で文学座の俳優、富沢亜古(とみざわ・あこ)さん。夫は映画監督の富沢幸男さん。彫刻家朝倉響子さんは妹。
彫刻家朝倉文夫の長女として東京で生まれ、父の方針で学校へ通わず家庭で教育を受けた。伊東深水門下の日本画家として出発。1953年、上村松園賞を受けた。
60年代以降、仕事の中心を舞台美術に移し、大胆な発想と繊細さが融合した装置を生み出した。古布をより合わせたひもで空間を構成した井上ひさし作「藪原検校」などの代表作をはじめ、唐十郎さんや野田秀樹さんらの作品や三代目市川猿之助さん(現・猿翁)のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」も手掛けた。
舞台をあまり熱心に見ないことが、自分の駄目だなあと思うところなのだが、朝倉摂さんの数々の舞台美術を中心とするお仕事は、本を通じて、いつもすごいなあと思ってきた。
時々は、テレビで舞台を見たりして。
実際に、舞台に通わないと何を言っても駄目なのだが、僕は日本のアヴァンギャルドの現存する女性では、朝倉摂さんがもっともラディカルな女性ではなかったろうかと常々思ってきた。
1922年に谷中で生まれたのだが、父親があの朝倉文夫である。普通の育ち方ではなかった。
学校へやらず、教育は自宅でやったのだ。
晩年になっても、その居住まいもおしゃれで、発言はピンと筋が通っておられた。
挿画もエッセイも好きだった。
谷中にある朝倉彫塑館も長いリニューアル期間が終わって、再公開されたようだ。
近々、再訪して、朝倉摂さんも偲びたいと思う・・・合掌!
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