きました通信

行ってきました、見てきました。おもしろ看板と まちあるき情報を集めています。酒のアテづくりも ぼちぼちと。。。

冷やっこ。

2009年07月18日 | 酒の肴



びんビール専用 冷やっこ 


最近は、こういうせん抜きも めずらしいですね。
缶ビール全盛で、びんビールを買うことが、めったに
なくなりましたから 




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なづぅぅぅ~。

2009年07月17日 | 徒然まちある記



     




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オールドボーイ。

2009年07月16日 | 徒然まちある記

(からほり通り)


OLD BOY  = 古少年  


オールドボーイっていうのは、OBですね、卒業生とか 退職者を

言うと思いますが、「古少年」という字面を見ると、

野球帽をかぶった しわくちゃの爺ちゃん って感じで、

おもしろいですねぇ 

こんな  お店です 





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たしかに。。。

2009年07月15日 | 徒然まちある記




たしかに、、、大きな目玉です~ 



   
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からほり散歩。。。

2009年07月12日 | 徒然まちある記











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天神橋。

2009年07月11日 | 徒然まちある記


 天神橋 橋名飾板

明治21年(1888)、それまでの木橋から 鉄橋に架け替えられた
ときに、鉄橋の上部に取り付けられていた 銘板だそうです。
鉄橋は、ドイツから輸入しましたが、この鋳鉄製の飾板は、国産のもの
です。



 天神橋が架けられた時期は 判然としません。 秀吉の近くにいた
連歌の宗匠が、大川に橋を架けることを許されたのが 最初と言われて
います。 江戸時代には公儀橋でした。
橋の長さは 浪花三大橋(なにわ橋、天神橋、天満橋)の中では最長。
一般的に 公儀橋の架け替えは 官費を充てるものですが、浪花では
豪商の塚口屋七兵衛に請け負わせました。

(塚口屋は、橋の通行料を取ったということですから、今で言う
民活導入。 ま、よく言えば民活導入ですが、反面 官民癒着
でしょうかね、この時代は)

明治18年(1885)7月、淀川大洪水によって 木橋が流失。
明治21年に 3年の歳月をかけて、ドイツ製鉄橋として再生され、
昭和9年(1934)5月、現在の 3連の鉄製アーチで構成される
橋長210メートルの天神橋となりました。 (北区HP)







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同じ阿呆なら。。。

2009年07月10日 | 看板みてある記



阿波踊りでは、同じ阿呆なら 踊らにゃそん そん、といいますが、
これは、めんつゆだったか、ポン酢だったか、、、
デパ地下の試食品だったら 味見する気になりますが、調味料では
味見しても そんなに得したような気に ならんですね 



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京阪中之島線。

2009年07月09日 | 徒然まちある記


京阪電車の、中之島線が開通したのは 去年の秋だったと思います
が、なにわ橋の駅前は ようやく周囲の工事が終わったばかりです。
中央公会堂へ向かう街路を きれいに整備しているようです。

「なにわ橋駅」の中は、初めて入りました。 きれいです、
壁と天井は 木を使っているので、あたたかい感じです。
同じ京阪でも 北浜駅や地上の駅とは、えらい違いですねえ 






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なにわ橋。

2009年07月08日 | 徒然まちある記


江戸時代、天神橋・天満橋と共に 浪花三大橋と呼ばれた
「難波橋(なにわはし)」は、大坂の 八百八橋を代表する
長大橋であった。
当時、大川の川幅は 現在より広く、・・・二百メートルを超える
木橋として、堺筋の 西側の筋に架けられていた。



木橋であった頃は、大川の洪水により 幾度となく被害を受けたが、
明治九年(1876)、架け替えの際、北側部分が鉄橋化され、
近代橋梁のあけぼのとなった。

大正四年(1915)、市電事業により 堺筋に移設されるのに伴い、
構造は 重厚なアーチ式となり、市章を組み込んだ高欄 華麗な照明灯、
精巧な彫刻の橋塔 などの意匠が施された。
橋詰の4箇所には、堂々たる ライオン像が設置された事から
「ライオン橋」の愛称で 現在も市民に親しまれている。(大阪市)

 

橋の下にあった バラ園が、京阪電車の工事で 長い間 撤去されて
いましたが、ようやく再開されるようです。 以前よりも きれいに
なっています。






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高津神社の夏まつり。

2009年07月07日 | 徒然まちある記
今年も、高津神社の夏まつりです。 そろそろ、おはやしの練習が
境内で始まるでしょう 
ほんとに、1年って 早いですね~ 
黒門市場の子どもたちがひっぱる おみこしは、両日とも
午後3時頃に 境内に到着します。





 

落語会もあります。 氏子衆クリームでも ほおばりながら
聴くのもいいですね 


 


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