なんとも不思議な 観音堂から出て、石切神社上ノ宮へ上りました。
石段を登りきると、こちらは いたってオーソドックスな社殿です。
石切剱箭(つるぎや)神社は、もともと この上ノ宮(上ノ社)が置か
れて、それから中ノ社、ふもとの下ノ社ができたのだそうで、その
下ノ社が 現在の石切剱箭神社本殿です。
石切剱箭神社にまつられているのは、天照大神の孫である
「ニギハヤヒノミコト」と、その子「ウマシマデノミコト」の親子です。
神話のことは詳しくありませんが、この神社のはじまりが 神武二年と
いうことが 書かれていました。 神武二年ということは、、、
昭和15(1940)年が 皇紀二千六百年ですから、今年は
皇紀二千六百六十八年、つまり、、、石切神社は 今から2667年前
につくられたというわけで、うぅぅむ、これはスゴイ! と、単純に
感激したので ご祭神の事をネットで調べてみました。
まず、がいばあちゃんの天照大神は、孫のニニギノミコトを 高天原
から宮崎の 高千穂の峰に送り、『どげんかして、国を造りなはれ』
と 言うたわけですが、その ニニギノミコトの兄貴が
「ニギハヤヒノミコト」です。
彼は、天照ばあちゃんから 『お兄ちゃん、あんたは河内へ行って、
頑張りやぁ』と、生駒山に放り出されました。 大きな岩(天の磐船)に
乗って 生駒に降りて来たニギハヤヒ君は、地元の豪族 ナガスネヒコの
妹と結婚します。 で、生まれた子どもが 「ウマシマデノミコト」です。
日本の国を造った 神武は、天照ばあちゃんの ひ孫の子(やしゃご)
です。 その神武が、九州から関西に攻め上ってきて ナガスネヒコと
争い、戦いに勝って 「大和の国」をつくり、即位します。 その年が、
神武元年ですね。
ニギハヤヒ君はどうしたか というと、なんと 義父のナガスネヒコを
打ち倒して、子どもの ウマシマデノミコトと一緒に、同じ 天照ばあ
ちゃんを祖先に持つ 神武を助けて 大和の国造りを手伝いました。
めでたし、めでたし。。。
ということですが、、、これは、つまり ニギハヤヒ君は、神武よりも
ずっと先に河内にもぐりこんでいた スパイということになりますねえ。
ニギハヤヒ君が 天照ばあちゃんから 餞別にもらっていた「矢」と、
神武の持っていた矢が 同じものだったので、お互い同族だと分かった
のだそうです。 ニギハヤヒ君は、神武から ようやった、と「剣」を
もらいました。 石切剱箭(つるぎや)神社の名の由来です。
こちらは下ノ社の本殿前
お百度まいりをする人が多くて、
皆さん、熱心に お百度石のまわりをぐるぐると 回りながら
祈願しています。