きました通信

行ってきました、見てきました。おもしろ看板と まちあるき情報を集めています。酒のアテづくりも ぼちぼちと。。。

コラボ ?

2008年12月29日 | 徒然まちある記


布施の商店街に 行列のできる鯛焼き屋さんがありました。

ちょっと変わった メニューがあって、
『鯛焼きとお好み焼きの コラボです』と 書いてあったので
買ってみました。

お好み鯛焼き という名前で、、、
こんなふうに、鯛焼きの皮の間に お好み焼きの具が
はさまってます 



味のほうは、、、鯛焼きから キャベツが出てくるというのは
どうも 変な口当たりで、なんとも 不思議な味でした 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんて読むん??

2008年12月28日 | 看板みてある記


これは、、、なんて読むんでしょうかね?  

 こっちは、ちゃらんぽらん だと思いますが。


(布施)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

整骨院。。。

2008年12月27日 | 看板みてある記

(布施)

        

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロのこつ。。。

2008年12月20日 | 看板みてある記

(千日前)

業務用食材店のようです。
新規開業店に、プロのこつを教えてくれるんでしょうかね。

こなもん大好きな 大阪ならではです 


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンツ屋。

2008年12月16日 | 看板みてある記



(アメリカ村)

いまにも  ずり落ちそうで、思わず 上に引っ張り上げたく

なりますね 

昔は、男ものの パンツ専門店なんて ありませんでした。。。
と、思います。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石切参道商店街 2。

2008年12月14日 | 徒然まちある記




占い師って 自分が店を出すときに、成功するかどうか、自分で
占ってみないんですかね? 客のいない店が 結構ありましたが。。。 



なんで、サザエさんの店なのか、、、不明です。





手書きの 大きな貼り紙を出している店が 多いのは、やはり
高齢者の多い参道だから でしょうか。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石切参道商店街。

2008年12月13日 | 看板みてある記


お年寄り向けの 服屋さん。





退屈しない商店街です 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石切剱箭(つるぎや)神社。

2008年12月12日 | 徒然まちある記
なんとも不思議な 観音堂から出て、石切神社上ノ宮へ上りました。
石段を登りきると、こちらは いたってオーソドックスな社殿です。



石切剱箭(つるぎや)神社は、もともと この上ノ宮(上ノ社)が置か
れて、それから中ノ社、ふもとの下ノ社ができたのだそうで、その
下ノ社が 現在の石切剱箭神社本殿です。

石切剱箭神社にまつられているのは、天照大神の孫である
「ニギハヤヒノミコト」と、その子「ウマシマデノミコト」の親子です。

神話のことは詳しくありませんが、この神社のはじまりが 神武二年と
いうことが 書かれていました。 神武二年ということは、、、 
昭和15(1940)年が 皇紀二千六百年ですから、今年は
皇紀二千六百六十八年、つまり、、、石切神社は 今から2667年前
につくられたというわけで、うぅぅむ、これはスゴイ! と、単純に
感激したので ご祭神の事をネットで調べてみました。

まず、がいばあちゃんの天照大神は、孫のニニギノミコトを 高天原
から宮崎の 高千穂の峰に送り、『どげんかして、国を造りなはれ』
と 言うたわけですが、その ニニギノミコトの兄貴が
「ニギハヤヒノミコト」です。

彼は、天照ばあちゃんから 『お兄ちゃん、あんたは河内へ行って、
頑張りやぁ』と、生駒山に放り出されました。 大きな岩(天の磐船)に
乗って 生駒に降りて来たニギハヤヒ君は、地元の豪族 ナガスネヒコの
妹と結婚します。 で、生まれた子どもが 「ウマシマデノミコト」です。

日本の国を造った 神武は、天照ばあちゃんの ひ孫の子(やしゃご)
です。 その神武が、九州から関西に攻め上ってきて ナガスネヒコと
争い、戦いに勝って 「大和の国」をつくり、即位します。 その年が、
神武元年ですね。

ニギハヤヒ君はどうしたか というと、なんと 義父のナガスネヒコを
打ち倒して、子どもの ウマシマデノミコトと一緒に、同じ 天照ばあ
ちゃんを祖先に持つ 神武を助けて 大和の国造りを手伝いました。
めでたし、めでたし。。。

ということですが、、、これは、つまり ニギハヤヒ君は、神武よりも
ずっと先に河内にもぐりこんでいた スパイということになりますねえ。

ニギハヤヒ君が 天照ばあちゃんから 餞別にもらっていた「矢」と、
神武の持っていた矢が 同じものだったので、お互い同族だと分かった
のだそうです。 ニギハヤヒ君は、神武から ようやった、と「剣」を
もらいました。 石切剱箭(つるぎや)神社の名の由来です。



こちらは下ノ社の本殿前   お百度まいりをする人が多くて、
皆さん、熱心に お百度石のまわりをぐるぐると 回りながら
祈願しています。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石切夢観音堂 3。

2008年12月11日 | 徒然まちある記
屋上から降りてきました。

本堂の中は、、、、こんな  です 





ちょっと、アブナイ 新興宗教っぽい雰囲気が 漂っていますが、
パンフレットによると、石切神社が浄財を募って建立したという、
れっきとした、、、というか、由緒正しき(?)観音堂であります。

ご本尊の観音様は、こちら  です。



高名な彫刻家の作品で、幼児が初めて拝んだ 千手観音様を
純真無垢な気持ちで描いた、というイメージなのだそうです。

言われてみれば、千手観音様に見えないこともない ですが、
ちょっと無理があるような。。。
ま、ほのぼのとした心持ちには なります。



入館時にいただいた  はらひたまへ・・・のお札に
三度息を吹きかけ お願い事をとなえて、祭壇を流れる
水に流します。
このお札にお守りも付いて 300円の入館料。 屋上からの
展望も付いてるので、これは 結構りーずなぶる です。

じぃ~っと 眺めていると、穏やかな気持ちになれて、いい
観音様だと思い始めましたが、それにしても
ほとけ様に向かって 「はらひたまへ、きよめたまへ・・・」
と お唱えするのは、ちと違和感が。。。

やっぱり、不思議なパラダイスでした 

 ちなみに開館日は、毎月1日と日曜祝日だけです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石切夢観音堂 2。

2008年12月10日 | 徒然まちある記


下の道から見えていた モニュメントは これです。
屋上の お堂の上に、天女が  舞っています。
 


北摂方面の眺めです。



正面が 大阪の都心。





午後だったので、ガスがかかっています。 朝のうちなら もう少し
すっきりとしてるんでしょうかね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする