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明治21年(1888)、それまでの木橋から 鉄橋に架け替えられた
ときに、鉄橋の上部に取り付けられていた 銘板だそうです。
鉄橋は、ドイツから輸入しましたが、この鋳鉄製の飾板は、国産のもの
です。
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連歌の宗匠が、大川に橋を架けることを許されたのが 最初と言われて
います。 江戸時代には公儀橋でした。
橋の長さは 浪花三大橋(なにわ橋、天神橋、天満橋)の中では最長。
一般的に 公儀橋の架け替えは 官費を充てるものですが、浪花では
豪商の塚口屋七兵衛に請け負わせました。
(塚口屋は、橋の通行料を取ったということですから、今で言う
民活導入。 ま、よく言えば民活導入ですが、反面 官民癒着
でしょうかね、この時代は)
明治18年(1885)7月、淀川大洪水によって 木橋が流失。
明治21年に 3年の歳月をかけて、ドイツ製鉄橋として再生され、
昭和9年(1934)5月、現在の 3連の鉄製アーチで構成される
橋長210メートルの天神橋となりました。 (北区HP)
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