喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

お盆に帰ってきた人のお見送り

2014-08-15 | ブログ
 ふるさと平礒のお盆は、13日から15日。
実際は、お盆の接待で大忙しだった女性たちの体休めの意味をこめて16日まで休んでいる。

 13日、先祖を家に迎えるために「おしょろい棚」を組み立てる。
仏壇から位牌などをおしょろい棚に移し、季節の野菜や料理をささげる。

 14日午後、先祖をお送りするために海に行って、「もうりょう」を行う。
精霊流しのようなもの。

 夜は、先祖供養のために盆踊り。

15日午後、おしょろい棚を解体し、母が村はずれの場所で送り火を行う。

 簡素化されてきたとはいえ、伝統的な風習や習慣が平礒にはまだまだ残っているのがうれしい。
 
 今朝、お盆に帰っていた妹家族が出発。
先祖も帰るが、お客や家族も帰って行く。
 静かになった家のさびしさ。

 妹家族をみんなで見送る。
その光景を遠くから写真におさめることができた。
家の前の道路に出て、釜木湾に沿って走る車を見えなくなるまで見送る。
昔と変わらない光景。





 「娘家族の車を見えなくなるまで見送っている」

 ふと昔を思い出す。
見送りの時、一番最後までやさしく見送っていたのは亡き祖母だった。
曲がった腰に手をやり、小さく手を振る。

 ふるさとのお盆。
先祖や家族のお迎えの時であり、お見送りの時。

「お元気で。行ってらっしゃい。」

                   岬人(はなんちゅう)



 

 
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田舎者の飲み会の流儀

2014-08-13 | ブログ
 都会に出て感じる田舎の良さ。
お盆を前に多くの都会暮らしの方がふるさとを思い感じることだろう。

 久しぶりに松山の街での飲み会。
田舎にはない飲み会がしたい。
 でもまちで特別な存在感を示しているのは、田舎風な空間や時間が流れているところ。
それは、建物にしても食べ物にしても。
まちに出て、田舎のすばらしさを改めて感じる。

 飲み会までの空いた時間に道後散策を続ける。
浴衣姿の観光客が、カランコロンと下駄をならし歩いている。
とても良い雰囲気。
さすが行って良かった日本の温泉ランキング8位の道後温泉。(全国約3500カ所の温泉のなかで)

 ところが観光バスや自動車の音が耳障り。
もっと落ち着ける空間や時間がほしい。
そんなことを感じながらブラブラする。

 道後温泉から少し離れた小高い所に山の手マリアージュガーデンプレイスという店がある。
田舎者には敷居が高そうな響き。
 地下通路をくぐって進むと、パッと開ける。
建物の前に広がる池。それを抱きこむような緑。

 ここでは、先ほどまでの喧噪も消えている。
チョロチョロと流れる水の音。
体と心が居心地のよさにすぐに反応する。
 この雰囲気をこわさないように池の周りを静かに歩く。
田舎者にとって自然は壊すものではなく、いっしょにあるもの。
自然の中に人も暮らしもとけこむ。

 

 時間が早いせいかお客さまは、まだ少ない。
池の畔の特等席に腰かける。
目の前のコンクリート建物がなければ、田舎そのもの。
 やがて日は落ち、あたりがだんだん暗くなる。
それとは逆に闇を照らす灯りが輝きをはなつ。



 久しぶりの街に田舎にないものを求めたが、結局心にとまったのは田舎にあるものが多かった。
「田舎に、ないものはない!!」
そんなことを改めて感じる。

 ただし田舎の良さを少し都会風・洋風にアレンジするとちがったカタチとして感じることができる。
例えば、付け出し。

 

ピーマンとキュウリをソースにつけて食べる。
サラダをお皿ではなくグラスに盛りつけ。

 食材は田舎にある。
でもその見せ方、食べ方をアレンジ。
まさにまちと田舎のコラボレーション。
 付け鉢にあるキュウリの漬け物もいいが。

 サラダをグラスに盛りつけるなど、亡くなった祖母から言わせるととんでもないこと。
お茶碗やコップ、湯飲みは、油物といっしょにしない。

 ありえなかった違いがとけ合う。
まさに違いは、豊かさにつながる。

 若い清潔な男性従業員がさまざまなサービスをしてくれた。
田舎者の私には1つの流儀がある。
それは、ひとこと声をかけ、お互いに楽しい関係をつくること。
「ありがとうございます。」
「とてもおいしそうですね。こんなもの、初めて食べます。」
そうすると従業員の方からも笑顔で
「ありがとうございます。これは○○の食材をオリーブオイルで混ぜ合わせたものです。
ごゆっくりとおめしあがりください。」

 こんなふうに言われると余計においしく感じられる。
農家の私には食材を一生懸命に作る気持ちがよくわかる。
それをおいしく調理してくれる料理人、それをお客さまに差し出すウェイター。
それ以外にも多くの人が、私が口にするサラダにも関わられている。

 物語とは。
ありふれた物に、それにまつわるさまざまなことを語らせる。
そうするとみごとに輝く。
それが物語。


 大切な食べ物や飲み物。
また、それに関わるたくさんの人たちとの語らい。
感謝、感謝。

 これが田舎者の流儀。

 店を出ると、道後の夜空にきれいな満月。
全てが満たされた時間だった。

                 岬人(はなんちゅう)



 




 
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久しぶりに街での飲み会

2014-08-12 | ブログ
 昨日久しぶりに松山で飲み会があった。
田舎者の街飲み。
豪勢に打ち上げるのもよし。
色のついた飲み会もよし。
 いずれにしても田舎ではないちがいを味わいたい。

 飲み会までに時間があったので、道後のまちをぶらぶら。
お盆前ということもあり、ハイカラ通りもすれ違うのに苦労するくらい、多くの観光客でにぎわっていた。
夕方5時。
お楽しみのカラクリ時計が動き出す。



 夏目漱石の小説「坊ちゃん」に登場する人物が次々に登場し、
愛らしい仕草で心を和ましてくれる。 中心人物は、マドンナ。

 その後、道後温泉本館につづくハイカラ通りを歩いていると
田舎を思わせるたたずまいの店、道後の町屋が目についた。
 広くない間口を入ると、京都の町屋「ウナギの寝床」のように細く奥へ続いている。
一度中庭へ出て、さらに奥の建物へと。



 贅沢な空間。
そして、再び戸を開けると、玄関に心落ちつく灯りが出迎えてくれる。



 手前に板の間があり、奥には、仕切りを取り外した広い畳の間。
緑豊かな庭が目にやさしい。
何とも言えない空間と時間の流れ。



 これは、わが家もそうだが、田舎に多い空間や建物。

 ふと気がついた。
 久しぶりに街に出て、田舎にはないものを求めるのだが、
街においては田舎の空間と時間がとても贅沢なもの。
それだけに特別な存在感をはなつ。
 結局、それに引き寄せられる。
日本の伝統・歴史や文化がとても貴重なものに感じられる。
街にいて、田舎の良さを感じる。見直すことができる。

 さて、うきうきしながらもう少し道後の散策を続けてみよう。


                   岬人(はなんちゅう)


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台風一過 消毒に励む息子

2014-08-10 | ブログ
 昨日、今日と被害が心配されていた台風11号。
昨日は、窓や戸、家の周りなど万全な備えをしていた。

 四国の高知県や徳島県で記録的な大雨がもたらされ、
各地で大きな被害を出していた。

 こちら平礒は、瀬戸内側であることと南西の風をさえぎってくれる地形となっていて、
被害はほとんどなかった。

 今朝は、台風一過、太陽が顔をのぞかした。
備えていたものを元に戻し、落ち葉などの掃き掃除に追われた。

 ようやく昼頃に終わり、ゆっくりしていると、息子が
「今から、洋海兄ちゃんや広兄ちゃんと柑橘消毒に行ってくる。」
と言い出した。

 確かに柑橘消毒するにはもってこいだが、
合羽を着て行う夏場の消毒は、暑さのため、たいへんきつい作業。
 それをけろっと言ってのけ、さっさと出かけていった息子を見て、
大きな成長を感じた。

 農家を継ぐことを希望進路の1つとしている息子。
もしかしたら本気かもしれない。
そして、息子の性格にあっているかもしれないと思った。

 日暮れ、大した疲れも見せず元気に帰ってきた息子。
田舎には、若者が必要だ。

                  岬人(はなんちゅう)
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広島 原爆の日を振り返る

2014-08-07 | ブログ
広島では原爆の日の最後として、灯籠流しが行われた
亡くなられた方に思いを寄せるお盆行事

人は必ずいつかはなくなる それは、自然の法則でしかたのないことこと 重要なことは、どんななくなり方をするかだと思う。
数年前に二人の祖母をなくし、義父をなくしたそれは、受け入れられることではあった。

でも今から69年前に太平洋戦争でなくなった祖父の死。
ましてや広島や長崎で原爆によって亡くなられた方の死は、受け入れられるものではない

でもそれは、未来を創るためには乗り越えていかなければならないことなのだろう。
昨夜、広島から帰って、手を合わせた自分にはは何ができるのだろうか 小さな一歩を続けていきたいと思う
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69回 広島平和記念式典に娘たちと参加

2014-08-06 | ブログ
 被爆地、広島は6日、69回目の原爆忌を迎えた。
ぜひ娘たちを連れて参加したいと思った。

 と言うのは、中2になる娘たちが7月上旬に広島で平和学習を行った。
その思いや学びを深めてほしい、広げてほしいと思った。

 5日午後1:30に実家を出発し、車を広島へ走らせた。
父と娘2人の3人旅。
 午後7:30に広島駅近くの宿ゲストハウスに到着。

 小雨が降っていたが、前日にひかえた夜の広島平和公園を訪れた。

 そして今朝も小雨が降るなか、平和記念式典が始まった。
約4万5000人の参列者が犠牲者を悼んだ。

 くわしくはまた記したいと思う。


 広島松井市長の平和宣言


 安倍首相の取組の誓い


 感動の子ども代表「平和への誓い」


原爆が投下された8時15分に黙祷



 原爆ドーム前で娘たちと核廃絶を祈る

 広島のことを、原爆をもっと知らなければ。
戦争を知らない私たちが。

                   岬人(はなんちゅう)

                     
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喜久家メンバーとの再会を楽しみに

2014-08-06 | ブログ
 昨日、8月5日、午前9:30。
昨年の喜久家ボランティアOG4人は、大分県佐賀関行きのフェリーで旅立った。

 ここでのワークキャンプは彼女たちにとってどんな意味をもつものになったのだろうか。
いつもそんなことが気になっている。
 もちろんいろいろなことに対して意識が高いすばらしい若者たちばかり。

 大学3回生でいよいよ就職活動に入る人。
この後、新潟県佐渡でのワークキャンプでリーダーをつとめる人。
小学校教師として働いている人。
まだまだ勉強をし、経験を積み、国連で働きたいと考えている人。
 みんなそれぞれの道をしっかりと見つめて、歩んでいる。

 そんな若者たちが、再び平礒を訪れ、たくさんの元気と勇気をお土産として旅立つ。
谷さんは、若者たちの人気者。
そして谷さん自身若者たちからたくさんのことを吸収している。



 一番歳が近い広も自分をふり返るきっかけになっている。
洋海も若者たちの世話を進んで行う。

 

「また会いたいね。」
と言うと、
「絶対にまた帰って来ますよ。」
とすぐに返事があった。

 うれしいものだ。
若者たちの何かの力になりたい。

 フェリー出航の時間が近づいてきた。
この瞬間は、いつもさみしくなる。
 でもまたの再会を楽しみに、いつもの言葉。

「体大事にな-。行ってらっしゃい。」

 

 

 

 船が岸を離れ、小さくなるまで見送った。

 岬の小さな小さな物語。

                    岬人(はなんちゅう)

 
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喜久家の仲間が郷帰り

2014-08-05 | ブログ
 昨年の国際ワークキャンプのメンバーが平礒、喜久家に郷帰り。
 東京での留学を終えた中国のリカ、韓国のテグで小学校の教師をしているウンギョン、
現在大学3回生の東京の祐里佳ちゃんと新潟出身の涼子ちゃん。

 再びこうして郷帰りしてくれることがとてもうれしい。



 谷さん、良あんちゃん、木野本さん、よっくん、幸徳、広、
洋海、そして私の息子と娘たち。

 平礒、喜久家の夜は熱かった。

 みんなそれぞれの道を歩んでいるようで、
自分ももっとがんばろうと思った。

 本当にすばらしい再会に感謝。


            岬人(はなんちゅう)
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広島平和記念式典に参加

2014-08-05 | ブログ
 明日8月6日は広島の日。
1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分。
広島に原子爆弾が落とされた。
 あれから69年。

 今年7月、娘たちが広島で平和学習を行った。
被爆体験者の朗読を聞いたり、お話ししたり。
 この貴重な思いをぜひ深めてほしい、広げてほしいと思い、
今日午後から車で出発する。

 3年前は、息子と2人で訪れた。
 あの時は、「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さんとお会いし、
食事し、お話をすることができた。

 昨夜、知り合いのNPOアント・ヒロシマの渡部朋子さんに電話した。
さまざまな情報を聞き、充実した広島での時間になりそうだ。

「娘さんたち、広島をいっぱい感じでくださいね。」
とのこと。

 忘れてはならないことがある。
感じておきたいことがある。

                岬人(はなんちゅう)

 
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ソニア ありがとう

2014-08-04 | ブログ
ソニア ありがとう


 7月7日から約1ヶ月間、喜久家ボランティアとして活動してくれたソニア。
両親は、スリランカ生まれで、ソニア自身は、生まれも育ちもフランスのパリ。

 高校生の頃、交換留学で岩手県に来たことがあり、
ますます日本のすばらしさにひかれたようだ。

 今回もある協会の日本語スピーチコンテストで優秀賞に輝き、
日本への航空券とJR乗車券がプレゼントされ、それを利用して来日。

 数ある中から、この喜久家プロジェクトを選び、
平礒に来てくれた。
 世界的なまちフランスのパリから、名も知れない愛媛の伊方町平礒へ。
おもしろいものだ。
そして大切にしたいこの縁。

 ブログでの報告が遅くなったが、8月2日に出発し、今はもう平礒にはいない。
1ヶ月ほど日本中を旅して回るということだったので、今は九州あたりだろうか。

 このアルバム写真は、7月31日に我が家でありがとうパーティーをしたときのもの。
お好み焼きが大好き、だということで娘たちがソニアに焼いてごちそうした。
「とてもおいしい。」
と言ってくれたソニア。

 子どもたちにとっても、ソニアにとっても忘れられない時間となった。
ソニアから興味津々な様子で聞いたフランスの話。
きっといつかその場所を訪れることだろう。

 日本の小さな田舎と世界がつながる。
未来は、このような交流がもっともっと盛んになっていくにちがいない。

                 岬人(はなんちゅう)
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