都会に出て感じる田舎の良さ。
お盆を前に多くの都会暮らしの方がふるさとを思い感じることだろう。
久しぶりに松山の街での飲み会。
田舎にはない飲み会がしたい。
でもまちで特別な存在感を示しているのは、田舎風な空間や時間が流れているところ。
それは、建物にしても食べ物にしても。
まちに出て、田舎のすばらしさを改めて感じる。
飲み会までの空いた時間に道後散策を続ける。
浴衣姿の観光客が、カランコロンと下駄をならし歩いている。
とても良い雰囲気。
さすが行って良かった日本の温泉ランキング8位の道後温泉。(全国約3500カ所の温泉のなかで)
ところが観光バスや自動車の音が耳障り。
もっと落ち着ける空間や時間がほしい。
そんなことを感じながらブラブラする。
道後温泉から少し離れた小高い所に山の手マリアージュガーデンプレイスという店がある。
田舎者には敷居が高そうな響き。
地下通路をくぐって進むと、パッと開ける。
建物の前に広がる池。それを抱きこむような緑。
ここでは、先ほどまでの喧噪も消えている。
チョロチョロと流れる水の音。
体と心が居心地のよさにすぐに反応する。
この雰囲気をこわさないように池の周りを静かに歩く。
田舎者にとって自然は壊すものではなく、いっしょにあるもの。
自然の中に人も暮らしもとけこむ。
時間が早いせいかお客さまは、まだ少ない。
池の畔の特等席に腰かける。
目の前のコンクリート建物がなければ、田舎そのもの。
やがて日は落ち、あたりがだんだん暗くなる。
それとは逆に闇を照らす灯りが輝きをはなつ。
久しぶりの街に田舎にないものを求めたが、結局心にとまったのは田舎にあるものが多かった。
「田舎に、ないものはない!!」
そんなことを改めて感じる。
ただし田舎の良さを少し都会風・洋風にアレンジするとちがったカタチとして感じることができる。
例えば、付け出し。
ピーマンとキュウリをソースにつけて食べる。
サラダをお皿ではなくグラスに盛りつけ。
食材は田舎にある。
でもその見せ方、食べ方をアレンジ。
まさにまちと田舎のコラボレーション。
付け鉢にあるキュウリの漬け物もいいが。
サラダをグラスに盛りつけるなど、亡くなった祖母から言わせるととんでもないこと。
お茶碗やコップ、湯飲みは、油物といっしょにしない。
ありえなかった違いがとけ合う。
まさに違いは、豊かさにつながる。
若い清潔な男性従業員がさまざまなサービスをしてくれた。
田舎者の私には1つの流儀がある。
それは、ひとこと声をかけ、お互いに楽しい関係をつくること。
「ありがとうございます。」
「とてもおいしそうですね。こんなもの、初めて食べます。」
そうすると従業員の方からも笑顔で
「ありがとうございます。これは○○の食材をオリーブオイルで混ぜ合わせたものです。
ごゆっくりとおめしあがりください。」
こんなふうに言われると余計においしく感じられる。
農家の私には食材を一生懸命に作る気持ちがよくわかる。
それをおいしく調理してくれる料理人、それをお客さまに差し出すウェイター。
それ以外にも多くの人が、私が口にするサラダにも関わられている。
物語とは。
ありふれた物に、それにまつわるさまざまなことを語らせる。
そうするとみごとに輝く。
それが物語。
大切な食べ物や飲み物。
また、それに関わるたくさんの人たちとの語らい。
感謝、感謝。
これが田舎者の流儀。
店を出ると、道後の夜空にきれいな満月。
全てが満たされた時間だった。
岬人(はなんちゅう)
お盆を前に多くの都会暮らしの方がふるさとを思い感じることだろう。
久しぶりに松山の街での飲み会。
田舎にはない飲み会がしたい。
でもまちで特別な存在感を示しているのは、田舎風な空間や時間が流れているところ。
それは、建物にしても食べ物にしても。
まちに出て、田舎のすばらしさを改めて感じる。
飲み会までの空いた時間に道後散策を続ける。
浴衣姿の観光客が、カランコロンと下駄をならし歩いている。
とても良い雰囲気。
さすが行って良かった日本の温泉ランキング8位の道後温泉。(全国約3500カ所の温泉のなかで)
ところが観光バスや自動車の音が耳障り。
もっと落ち着ける空間や時間がほしい。
そんなことを感じながらブラブラする。
道後温泉から少し離れた小高い所に山の手マリアージュガーデンプレイスという店がある。
田舎者には敷居が高そうな響き。
地下通路をくぐって進むと、パッと開ける。
建物の前に広がる池。それを抱きこむような緑。
ここでは、先ほどまでの喧噪も消えている。
チョロチョロと流れる水の音。
体と心が居心地のよさにすぐに反応する。
この雰囲気をこわさないように池の周りを静かに歩く。
田舎者にとって自然は壊すものではなく、いっしょにあるもの。
自然の中に人も暮らしもとけこむ。
時間が早いせいかお客さまは、まだ少ない。
池の畔の特等席に腰かける。
目の前のコンクリート建物がなければ、田舎そのもの。
やがて日は落ち、あたりがだんだん暗くなる。
それとは逆に闇を照らす灯りが輝きをはなつ。
久しぶりの街に田舎にないものを求めたが、結局心にとまったのは田舎にあるものが多かった。
「田舎に、ないものはない!!」
そんなことを改めて感じる。
ただし田舎の良さを少し都会風・洋風にアレンジするとちがったカタチとして感じることができる。
例えば、付け出し。
ピーマンとキュウリをソースにつけて食べる。
サラダをお皿ではなくグラスに盛りつけ。
食材は田舎にある。
でもその見せ方、食べ方をアレンジ。
まさにまちと田舎のコラボレーション。
付け鉢にあるキュウリの漬け物もいいが。
サラダをグラスに盛りつけるなど、亡くなった祖母から言わせるととんでもないこと。
お茶碗やコップ、湯飲みは、油物といっしょにしない。
ありえなかった違いがとけ合う。
まさに違いは、豊かさにつながる。
若い清潔な男性従業員がさまざまなサービスをしてくれた。
田舎者の私には1つの流儀がある。
それは、ひとこと声をかけ、お互いに楽しい関係をつくること。
「ありがとうございます。」
「とてもおいしそうですね。こんなもの、初めて食べます。」
そうすると従業員の方からも笑顔で
「ありがとうございます。これは○○の食材をオリーブオイルで混ぜ合わせたものです。
ごゆっくりとおめしあがりください。」
こんなふうに言われると余計においしく感じられる。
農家の私には食材を一生懸命に作る気持ちがよくわかる。
それをおいしく調理してくれる料理人、それをお客さまに差し出すウェイター。
それ以外にも多くの人が、私が口にするサラダにも関わられている。
物語とは。
ありふれた物に、それにまつわるさまざまなことを語らせる。
そうするとみごとに輝く。
それが物語。
大切な食べ物や飲み物。
また、それに関わるたくさんの人たちとの語らい。
感謝、感謝。
これが田舎者の流儀。
店を出ると、道後の夜空にきれいな満月。
全てが満たされた時間だった。
岬人(はなんちゅう)
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