2月17日(日)に靖国神社を参拝し、お札を買った。
母家に住む両親へのお土産は、いつもご当地の食べ物と神社やお寺のお札。
信仰心の厚い両親に喜ばれる。
20日(水)に愛媛平礒に帰宅し、まず母家にお土産を持っていった。
父は何よりも靖国神社のお札がうれしかったようで、すぐに神棚にお祀りした。
父は、物心つかない頃に自分の父(金太郎)を太平洋戦争(大東亜戦争)で亡くしてる。
あまりにも幼かったので、その記憶はほとんどないという。
父は、靖国神社のお札をきっかけに、自分の父(金太郎)の話をしてくれた。
『戦後、金太郎の義理の弟、河野万太郎(つまり父からすると自分の母の弟なので叔父になる)が大分県国東半島の村に山仕事の出稼ぎに行ったときのこと。
その村の仕事をたのんだ村長が様子を見にやってきた。
ひと休みの時間、万太郎は村長から話しかけられた。
村長:「生まれはどこですか?」
万太郎:「私は愛媛県の西宇和郡です。」
村長:「西宇和郡ですか。西宇和郡のどこですか?」
万太郎:「神松名村の平礒という所です。」
村長:「えー、私の戦友に平礒の浅野金太郎という人がいます。」
万太郎:「えー、浅野金太郎は私の義兄です。」
村長:「えー、こんなこともあるんですね。金太郎さんは元気ですか?」
万太郎:「金太郎は、戦争で亡くなりました。」
村長:「えー、そうですか。」
不思議な縁で、このような驚きのやりとりが進んだ。
村長:「金太郎さんは、あの時私と一緒に兵学校に行っていたら、死ななかったかもしれません。」
万太郎:「どういうことですか?」
村長:「私と金太郎さんは、優秀だったので兵学校へいくことを進められたのです。金太郎さんは人望が厚い人だったので、考えを聞いてみました。彼は、自分は長男だからいつかは故郷へ帰り、父と妻と農業をするつもりだ。あなたは次男だから兵学校に進んだ方がいい。そう言って、私たちの進む道は、別れたのです。」
万太郎:「そうでしたか。それで義兄は、護衛のため輸送船に乗りこんだときに攻撃され、亡くなったんですね。」
村長:「金太郎さんの手帳には、お父さんと、奥さんと、2人のお子さんの名前が書かれていて、家族の話をしてくれたことがありました。亡くなったことが残念でなりません。」
靖国神社には、そんな親父が祀られちょる。』
「遺された母と子の像」
そんな話をしてくれた時、父の声が震えていた。
今の幸せは、過去の悲しみと努力とつながっている。
亡くなられた人の数だけ、さまざまな物語と悲しみがある。
そんな過去の現実を我が子や未来の人たちに語りついでいきたい。
命を大切にし、たくましく生きていかなければならない。
平和な世の中をつくっていかなければならない。
東京のど真ん中の靖国神社にて、
佐田岬の田舎の過去と未来に思いをはせた。
岬人(はなんちゅう)
母家に住む両親へのお土産は、いつもご当地の食べ物と神社やお寺のお札。
信仰心の厚い両親に喜ばれる。
20日(水)に愛媛平礒に帰宅し、まず母家にお土産を持っていった。
父は何よりも靖国神社のお札がうれしかったようで、すぐに神棚にお祀りした。
父は、物心つかない頃に自分の父(金太郎)を太平洋戦争(大東亜戦争)で亡くしてる。
あまりにも幼かったので、その記憶はほとんどないという。
父は、靖国神社のお札をきっかけに、自分の父(金太郎)の話をしてくれた。
『戦後、金太郎の義理の弟、河野万太郎(つまり父からすると自分の母の弟なので叔父になる)が大分県国東半島の村に山仕事の出稼ぎに行ったときのこと。
その村の仕事をたのんだ村長が様子を見にやってきた。
ひと休みの時間、万太郎は村長から話しかけられた。
村長:「生まれはどこですか?」
万太郎:「私は愛媛県の西宇和郡です。」
村長:「西宇和郡ですか。西宇和郡のどこですか?」
万太郎:「神松名村の平礒という所です。」
村長:「えー、私の戦友に平礒の浅野金太郎という人がいます。」
万太郎:「えー、浅野金太郎は私の義兄です。」
村長:「えー、こんなこともあるんですね。金太郎さんは元気ですか?」
万太郎:「金太郎は、戦争で亡くなりました。」
村長:「えー、そうですか。」
不思議な縁で、このような驚きのやりとりが進んだ。
村長:「金太郎さんは、あの時私と一緒に兵学校に行っていたら、死ななかったかもしれません。」
万太郎:「どういうことですか?」
村長:「私と金太郎さんは、優秀だったので兵学校へいくことを進められたのです。金太郎さんは人望が厚い人だったので、考えを聞いてみました。彼は、自分は長男だからいつかは故郷へ帰り、父と妻と農業をするつもりだ。あなたは次男だから兵学校に進んだ方がいい。そう言って、私たちの進む道は、別れたのです。」
万太郎:「そうでしたか。それで義兄は、護衛のため輸送船に乗りこんだときに攻撃され、亡くなったんですね。」
村長:「金太郎さんの手帳には、お父さんと、奥さんと、2人のお子さんの名前が書かれていて、家族の話をしてくれたことがありました。亡くなったことが残念でなりません。」
靖国神社には、そんな親父が祀られちょる。』
「遺された母と子の像」
そんな話をしてくれた時、父の声が震えていた。
今の幸せは、過去の悲しみと努力とつながっている。
亡くなられた人の数だけ、さまざまな物語と悲しみがある。
そんな過去の現実を我が子や未来の人たちに語りついでいきたい。
命を大切にし、たくましく生きていかなければならない。
平和な世の中をつくっていかなければならない。
東京のど真ん中の靖国神社にて、
佐田岬の田舎の過去と未来に思いをはせた。
岬人(はなんちゅう)
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