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喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

佐田岬の山桜

2010-03-24 | ブログ
 佐田岬の山桜をぜひ見に来ませんか。

 そのときのために、少し山桜についてお話しします。
 昨日の本居宣長の和歌
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」
「しきしまの やまとごごろを ひととわば あさひににおう やまざくらばな」

 本居宣長は、江戸時代後期の国学者でした。
したがってこの教えが、幕末の「尊皇攘夷」という考えにつながっていきます。
 昭和の時代、太平洋戦争。
昭和19年10月25日に神風特攻隊が始まり、終戦の昭和20年8月15日にいたるまで、出撃機数2,367機、乗員2,530名を数えました。

 その最初の出撃で戦果を上げ、軍神と讃えられたのが、
愛媛県西条市出身で霞ケ浦海軍航空隊教官でもあった、「関行男中佐」率いる五機からなる「特攻敷島隊」だったのです。

 この敷島隊という名は、実は本居宣長の和歌からとったものです。
その後も和歌の名詞から、
「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」という特別攻撃隊がつくられたようです。

 映画「男たちの大和」の中で良寛の歌が出てきます。
「散る桜、残る桜も散る桜」

 というわけで、桜と言えば「散りゆく美学」のようなイメージが
強くなっているようです。
 
 しかし、散るということは、「いかに生きたか」、という生き方を大切にしていると
思うのです。

 そんな思いももちながら、
佐田岬の山桜をごらんください。

 ちょっと、しんみりしましたね。

                           岬人  
 

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

コメント日が  古い順  |   新しい順
軍神さん (k-ご)
2010-03-24 19:34:04
伊曽野神社にお墓ありますよw
また山桜見に行きますね★ミ
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へー (岬人)
2010-03-25 13:48:38
 そうなんですか。
すごい情報です。
どこのどなたかはわかりませんが、k-ごさん
ありがとうございます。

 こんな情報のキャッチボールが、どんどんできたらうれしいです。

 伊曽野神社ですね。

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かいてみたーぁ (坂東英二「もーも」)
2010-03-25 14:54:15
うちの、写真もかざってぇー
m君、卒業おめとーぉhちゃん、sちゃん、おげんきいろいろあると思うけど、がんばってねっ    l love asano
l love hiraiso
がんばれあいしとぉーよ




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Unknown (岬人)
2010-03-26 11:58:19
 もーもさん、帰ることができる故郷があるって、
幸せですね。

 平礒という小さな郷の大きな大きな物語をつくっていきたいと思っています。
返信する

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