広島は6日、戦後66年目の原爆の日を迎えました。
朝5時30分に起き、窓の外を見ると、昨夜と変わらない原爆ドーム。
すでに平和大橋を渡り、広島平和記念公園へ向かう人たち。
6時からの朝食は混み合うと聞いていたので、レストランへ行くと、すでにすごい列ができており、30分近く並びました。
テレビをつけると、ライブ中継されている様子が、すぐそこにある不思議さ。
7時30分、平和記念公園に着いたころには、ものすごい人で座れる席もなく、
右側から式をながめることにしました。
広島市職員が、50000と書いたプラカードを見せて回っていました。
おそらく、参加者の数と思われます。
16年も前に、妻と見に来たことがあります。
その時は、驚きと衝撃に近い気持ちの高ぶりがありました。
これほど多くの人が慰霊を行い、平和を願っていると思うと、自分も何かできることをしたいという思いがありました。
今回は、前回のような衝撃はなく、そのなかみに注目しました。
息子は、人の多さと管直人首相の姿に驚いていました。
4月に就任した被爆二世の松井広島市長は、2人の被爆者の声を引用し、核兵器廃絶に積極的な意思を述べました。
管首相は、原爆と原発の危険性は共通で、原発に依存しない社会をめざすことを述べられました。
さらにその具体策があれば、取り組みは進んでいくだろうと思いました。
具体性なきものは、絵に描いたもちになることが多いからです。
2人の子ども代表による平和への誓いは、たいへん力強いものでした。
「人々の当たり前の生活と、多くの尊い命が一瞬にして奪われました。
どんなに苦しかったでしょう、どんなにつらかったでしょう、どんなにくやしかったでしょう」
という共感の思いを聞いたときは、胸が熱くなりました。
「そんな過ちをおかした人間。
でも、人間の力を信じて、夢と希望があふれる未来をつくるために、
行動していくことを誓います、と結ばれました。
」
三崎中学校のおりづるの旅プロジェクトは、まさにそんな行動の1つだと思います。
小さなことでもいい、思いをカタチに変えていくことをこれからもしていこうと思いました。