喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

広島原爆66年

2011-08-07 | ブログ


 広島は6日、戦後66年目の原爆の日を迎えました。
朝5時30分に起き、窓の外を見ると、昨夜と変わらない原爆ドーム。
すでに平和大橋を渡り、広島平和記念公園へ向かう人たち。
 6時からの朝食は混み合うと聞いていたので、レストランへ行くと、すでにすごい列ができており、30分近く並びました。



 テレビをつけると、ライブ中継されている様子が、すぐそこにある不思議さ。
 7時30分、平和記念公園に着いたころには、ものすごい人で座れる席もなく、
右側から式をながめることにしました。
 広島市職員が、50000と書いたプラカードを見せて回っていました。
おそらく、参加者の数と思われます。

 16年も前に、妻と見に来たことがあります。
その時は、驚きと衝撃に近い気持ちの高ぶりがありました。
これほど多くの人が慰霊を行い、平和を願っていると思うと、自分も何かできることをしたいという思いがありました。
 今回は、前回のような衝撃はなく、そのなかみに注目しました。
息子は、人の多さと管直人首相の姿に驚いていました。



 4月に就任した被爆二世の松井広島市長は、2人の被爆者の声を引用し、核兵器廃絶に積極的な意思を述べました。
 管首相は、原爆と原発の危険性は共通で、原発に依存しない社会をめざすことを述べられました。
 さらにその具体策があれば、取り組みは進んでいくだろうと思いました。
具体性なきものは、絵に描いたもちになることが多いからです。



 2人の子ども代表による平和への誓いは、たいへん力強いものでした。
「人々の当たり前の生活と、多くの尊い命が一瞬にして奪われました。
どんなに苦しかったでしょう、どんなにつらかったでしょう、どんなにくやしかったでしょう」
という共感の思いを聞いたときは、胸が熱くなりました。
 
「そんな過ちをおかした人間。
でも、人間の力を信じて、夢と希望があふれる未来をつくるために、
行動していくことを誓います、と結ばれました。

 
 三崎中学校のおりづるの旅プロジェクトは、まさにそんな行動の1つだと思います。
小さなことでもいい、思いをカタチに変えていくことをこれからもしていこうと思いました。
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原爆ドームをながめながら

2011-08-07 | ブログ
父と中学二年の息子との広島二人旅。
平和記念公園そばのホテルサンルートが宿。
この時期、全国から集まる人により、宿をとるのは至難の業。
何件も電話しましたが、全く空いていません。
お世話になっている石崎汽船の中矢常務の手配により、奇跡的にとることができました。
ホテルは、平和記念公園まで歩いて三分という好立地。
夕方7時前に到着し、部屋のカーテンを開けたら、ライトアップされた原爆ドームが見えました。



夕食にお好み焼きを食べ、前夜の平和記念公園を歩いて回りました。
あちらこちらで、集会が開かれていたり、お坊さんたちの読経も響いていました。
落ち着いて回れる前夜もいいものです。



いろんな場所から原爆ドームをながめながら、息子と二人当時を想像してみました。
元安川に映る逆さ原爆ドームがきれいに見える静かな夜でした。

10時過ぎに部屋にもどってからも、しばらくライトアップされた原爆ドームを見ながらハイボールを飲みました。
こうして、原爆の日の前夜は静かに過ぎていきました。

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灯籠流し

2011-08-07 | ブログ
 今日、八月六日は原爆の日
朝は、広島平和祈念式典、午後からは「はだしのゲン」作者の中沢啓治さんのインタビュー、
そして最後に原爆で亡くなった方々への灯籠流しを見ました。

 原爆ドーム前の川に、流れる多くの灯籠
ろうそくの灯りで照らされた、色とりどりの灯籠が川面に映り、幻想的な光景でした。

私たちは、未来を照らすこの灯りを忘れてはいけません。
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