
【大分・国東市】平安時代(村上天皇代)の天徳三年(959)、鎌田政弘が播州広峰神社牛頭天王を勧請して創建。 祭神は素盞鳴尊(須佐之男命)他、左右両殿に23柱。 富来地区の守護神で八坂社とも呼ばれる。 牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、スサノオノミコトの本地仏と説かれ、除疫神として、京都祇園の八坂神社、愛知津島神社などに祭られている。
社殿傍に子連れ唐獅子(雄)像と運玉唐獅子(雌)像が鎮座、運玉に触れると子孫繁栄・祈願成就のご利益があるとされる。
富来港から文殊仙寺までの約10kmの道は「開運ロードとみくじ」と呼ばれ、富来神社はそのほぼ中間に位置する。 道路に面して2基の石造り台輪鳥居が立ち、手前の一ノ鳥居には「牛頭宮」の、奥のニノ鳥居には「八坂神社」の額が掲げられている。 参道を進んで神門に向かう....神門前には享保時代に架けられた小さな太鼓橋風の石橋、そしてずんぐりした形の石燈籠が佇んでいて歴史を感じさせる。 神門の扉、横木、天井などに見事な彫刻が施されているが、撮影を失念した。
拝殿で参拝後、社殿右手に進むと「運玉唐獅子 子連れの雄と運玉の雌」と書かれた表記板があり、そこから本殿の境内に入る。 本殿の直ぐ傍に子連れの雄の唐獅子像が、さらに本殿の後方を通って反対側に回ると運玉の雌の唐獅子像がそれぞれ鎮座している。 運玉唐獅子像が足を掛けている玉石をたっぷり撫でてきたが、欲が深いためか祈願成就のご利益はまだない。

神門前の境内..2基の石造り台輪鳥居が立つ


一の鳥居には「牛頭宮」の石造り額が掲げられている

二の鳥居の額は「八坂神社」..笠木端の反り(反増)が大きい

神門前に流れる小川に古い石橋が架かる..左手に手水舎

神門前の苔生した石橋と石燈籠..石橋は享保九年(1724)造立


竿部が無い(中台と基礎の間の石が竿かな)、また笠部の軒角上に蕨手がない古そうな石燈籠

切妻造桟瓦葺の神門(江戸時代弘化四年(1847)建立)..袖塀を設けた四脚門の神門


神門の装飾彫刻はまれに見る技巧と謳われている..神門や本殿の装飾彫刻に10年以上を要したとか/境内から眺めた神門..「八坂社・富来神社」の幟が立つ

板扉に見事な彫刻が施された神門から眺めた社殿


神門に向かって左側(社務所側)の台輪鳥居..「西宮」の額/神門に向かって右側の台輪鳥居..「山神宮」の額

切妻造桟瓦葺の拝殿..参道両側に「八坂社 富来神社」の幟が立つ


獅子口を乗せた千鳥破風の向拝..太い注連縄が下がる向拝柱に「敬神崇祖」「神道実践」の掛札がある


拝殿前に鎮座する吽形(左)と阿形(右)の霊獣の狛犬/狛犬に掛けられた注連縄にお御籤が結ばれている

本殿境内への入口の瓦葺の棟門に「運玉唐獅子 子連れの雄と運玉の雌」の表記板..本殿前両側に2体の唐獅子像が鎮座


入口側(右)の子連れ唐獅子像(雄)/子連れ唐獅子像近くに鎮座する境内社


左側から眺めた流造銅板葺の本殿..組高欄の回縁、また大棟に千木がなく3本の堅魚木が乗るだけ/本殿左に鎮座する境内社


本殿左側に鎮座する運玉唐獅子像(雌)..玉に触れると厄除け・開運のご利益がある


四基の石碑の後方に鎮座する境内社の厳島社(石燈籠後方)と天満社..天満社は宝暦八年(1758)勧請

左から稲荷社、金刀比羅社、日月社(文久二年(1862)勧請)、五十鈴社、生目八幡社(弘化二年(1845)勧請)

東参道の鳥居..「富来神社」の額が掛る


東参道に鎮座する稲荷大明神

社務所
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