
【神奈川・鎌倉市】鎌倉時代の弘安八年(1285)、八代執権北条時宗の妻・覚山志道尼が、時宗没後に尼寺として開山した。 開基は九代執権北条貞時。
後醍醐天皇(第96代)の皇女だった五世用堂尼以来栄え、高い格式を誇った。
室町時代には鎌倉尼五山第二位に列せられた寺で、現存する唯一の寺。 二十世天秀尼は豊臣秀頼の娘で、徳川家康の孫娘・千姫の養女であったので江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けた。 女性が離婚請求できなかった封建時代、「縁切寺法」の特権を有していたため「縁切り寺」「駆け込み寺」として知られ、約六百年後の明治四年(1871)に廃止されるまで多くの女性を救った。 明治三十六年(1903)に尼寺から臨済宗円覚寺派の男僧寺となった。 本尊は室町時代作の釈迦如来坐像。
少し急な石段の上に簡素な茅葺の山門がある。 小さい山門のためか入口と出口とが分けられ、左の袖塀の大きな通用口が出口になっている。
山門をくぐると直ぐ左手に重厚な茅葺屋根の鐘楼、右手に書院があり、書院側の参道脇に江戸中期造立の笠付石塔がひっそりと佇んでいる。 笠付石塔には、宝珠形に削り込まれた中に、舟形光背を背に合掌する女性の像が浮き彫りされている....覚山尼であろうか?
参道の先に露座する金仏を見ながら少し進むと右手に四賀光子歌碑が立ち、その傍の簡素な棟門をくぐって本堂境内に....大きな裳腰のある本堂の流れるような屋根の軒反りが実に美しい。
前庭に2基の石造り多層塔が立ち、一つは宗光塔といわれる五重層塔で軸部の造りが珍しい。
本堂正面奥の蓮華座に挙身光を背にした釈迦如来坐像が鎮座、多くの参拝者で少し喧騒な向拝から少し離れたところで合掌して門を出た。
参道途中に金仏(釈迦如来坐像)が露座....拝観者を温かく迎えるように山門を向いている。 露座している金仏の後方は、鎌倉有数の規模のハナショウブ田だそうだ。
宝物館をスルーして境内奥の墓域に向かう。 開山覚山尼と五世用堂尼の墓の五輪塔がそれぞれのやぐら(洞窟墳墓)にひっそり佇むが、用堂尼に比べて覚山尼のやぐらは意外に小さく、まるで仏龕のようだ。 鬱蒼とした杉林の山の傾斜地に広がる墓域には多くの石仏・石塔が点在....興味深い形のものが散見され、石造物好きにとっては堪らない場所だ。


石段の上に茅葺の小さな山門が見える/切妻造茅葺の山門は小さな四脚門..左の袖塀には出口用の大きな通用口

入母屋造茅葺の鐘楼..大正五年(1916)建立


梵鐘は観応元年(1350)鋳造で、材木座の補陀洛寺から移されたもの/宝暦四年(1754)造立の宝珠を乗せた笠付石塔..合掌する女性像が浮き彫りされているが覚山尼か?

本堂(泰平殿)への棟門..屋根の中心部のみに桟瓦を葺いている..手前は四賀光子が詠んだ覚山尼讃歌の歌碑

露盤宝珠を乗せ大きな裳腰を設けた宝形造銅板葺の本堂 (2015年撮影)

石塔越しに眺めた美しい屋根の本堂(泰平殿)..昭和十年(1935)建立 (2015年撮影)

本堂に二重円光の挙身光を背負った釈迦如来坐像が鎮座..永正十二年(1515)以前の作


本堂境内に佇む植村宗光和尚の宗光塔といわれる五重層塔..初層と二層目の軸部は立体的な造り/本堂前庭に佇む五重層塔..二層目軸部に四方仏が浮き彫りされている..初層は殆どが地中に埋まっているようだ

本堂の右手に建つ入母屋造銅板葺で大きな裳腰を付けた書院..左手に水月堂(非公開)があり水月観音を安置

茶室「寒雲亭」の苔生した棟門


境内参道脇で苔生した大きな台座に露座して拝観者を迎える金仏の釈迦如来坐像


本堂左手に建つ白壁い建物は寺宝を展示する宝物館「松ヶ岡宝蔵」/松ヶ岡宝蔵脇の古井戸の傍の墓碑上に鎮座する丸彫りの観音菩薩像

洞窟墳墓(やぐら)に佇む五輪塔は北条時宗公夫人の覚山尼の墓


大きな方形のやぐらに佇む五輪塔..後醍醐天皇の皇女の五世用堂尼の墓

江戸後期の臨済宗の僧で円覚寺派第2代館長だった釈宗演の墓



境内の奥の墓域に点在する石塔群..左からずんぐりした相輪が異常に大きく、隅飾突起が大きく反りかえっている宝篋印塔/笠が苔生した石燈籠..火袋が異常に大きいずんぐり形/初層軸部に四方仏が薄肉彫りされた五重層塔



隅飾突起の反りが小さく、整美な安定感がある宝篋印塔/各輪に梵字が刻まれた五輪塔/石塔名不明..五輪塔の水輪(塔身)を重ねたものと思うが、丸い穴をあけたものは何かな?


高貴な方の墓碑に変わった石塔が立つ/石塔名不明..異なる石塔の各部を組合わせたものと思う



笠が鮮やかに苔生した石燈籠/中台、竿、基礎がほぼ同じ大きさの異形の石燈籠/前田青邨の筆塚の十三重層塔