
【横浜・港北区】江戸初期の慶長六年(1601)、新羽村の村民良太郎の先祖清太郎を開基、耕公(慶長十七年寂)を開山として創建されたとされるが、開基・開山の人物像については不詳。 宗派は浄土宗で、本尊は阿弥陀如来像。 旧小机領三十三所子歳観音霊場16番札所。
百番供養塔と六字名号塔が立つ入口から真っ直ぐに延びる参道を進むと、門前に佇む数体の石仏に迎らえれる。 山門をくぐると正面に客殿(と思う)、右手に庫裡、客殿左奥の階の上に本堂がある。 階の下に地蔵堂があり、赤い前垂をした六地蔵尊像が鎮座している。
本堂への石の階には踊り場が設けられ、階の左右は背の低い木々が植えられた庭で、その中にひっそりと咲いている紫陽花は段上の本堂を引き立てているかのようだ。 白い石燈籠が佇む本堂は質素な造りで、正面のほぼ全面がガラス張りの引き戸になっている。 向拝の虹梁に透かし彫りの龍の彫刻があり、優しい目をしているが迫力のある龍が御堂を守護している。
本堂左手の境内に約35年前建立の観音堂が本堂を向いて建つ。 正面に擬宝珠高欄付きの切目縁を設け、向拝に静かに鰐口が下がる。


参道と入り口に立つ2基の石塔..左は文政六年(1823)造立の六字名号塔/右は安永四年(1775)造立とみられる百番供養塔..正面上に名号、下に坂東三十三所、西國三十三所、秩父三十四所の観世音霊場が刻まれている

寺号標石が立つ門前に寺を守るように石造物が佇む

切妻造本瓦風銅板葺の山門


山門は四脚門で銅板葺袖塀を設けている/合掌する石仏越しに眺めた山門

門前に鎮座する5基の石造物....右端は明治十六年(1883)造立で円光を背負う駒形地蔵石仏、左端は文化十四年(1817)造立で山伏角柱型の百番供養塔



享保十五年(1730)造立の供養塔..上部には蓮華座に鎮座する半肉彫りの観世音菩薩像、「小机領三十三所観世音第十六番」と刻まれている/天保十一年(1840)造立の「馬頭観世音」/元文五年(1740)造立の駒形青面金剛庚申塔(日月瑞雲、2鶏、邪鬼、3猿)


山門から眺めた手水舎、奥の石段上に本堂、正面の建物は客殿(と思う)/切妻造銅板葺の手水舎

入母屋造桟瓦葺の客殿(と思う)..大きな玄関には裳腰が設けられている

正面の石段の上に本堂が、左手の参道の上に観音堂が建つ


切妻造銅板葺の地蔵堂に赤い前掛けをして鎮座する六地蔵尊像/地蔵堂の基台に「昭和五十三年(1978)堂宇建立寄進」の表記

踊り場を設けた階の上に建つ本堂..踊り場の左右と傾斜地は緑の庭になっている

踊り場から見上げた簡素な本堂..紫陽花が本堂を引き立てているようだ

入母屋造桟瓦葺の本堂..正面と側面の一部に擬宝珠高欄付きの縁を設けている


向拝前にある蓮形の天水桶に軒から鎖樋が下がる/本堂の扉の上に掲げられた「専念寺」の扁額..龍や木鼻の宮彫り

本堂前から眺めた観音堂

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の観音堂..昭和五十八年(1983)建立


鰐口が下がる向拝..正面だけに擬宝珠高欄付き切目縁を設けている/観音堂の前に観音堂建立記念碑が立つ


客殿(と思う)の右手に建つ庫裡 境内に立つ「忠魂碑」
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