何気ない風景とひとり言

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原爆ドームを訪れた!

2018年02月27日 | ひとり言

【広島・広島市】昨年九月、初めて広島市を訪れ、広島平和記念公園にある平和記念資料館の東館(本館は回収工事中)、モニュメントの「原爆死没者慰霊碑」と「原爆の子の像」そしてユネスコ世界遺産の原爆ドームを見学した。
資料館には、原子爆弾の恐ろしさ・悲惨さをこれでもかも伝える写真・資料・遺品が展示されていて胸が締め付けられた。 その中で、1階企画展示室の「収蔵資料の紹介」コーナーにある「最後のことば」には胸が熱くなり目が潤んだ。
平和の池に屋根の部分が埴輪の家型をした原爆死没者慰霊碑があり、慰霊碑の中を通して遠くに原爆ドームが見える。 慰霊碑が水に囲まれているのは「水を求めて亡くなった方々のため」であることを後で知った。 慰霊碑から原爆ドームへ向かう途中に、原爆で犠牲となった子供たちの霊を慰める石碑の「原爆の子の像」がある。 頂上には、白血病で亡くなった佐々木禎子さんをモデルにした折り鶴を高く持ち上げたブロンズ像が立っている。
元安川に架かる元安橋を渡り、川に沿った道を原爆ドームに向かう....近づくにつれ、幾度となく写真や映像でみた原爆ドームの姿がしだいにハッキリしてくる。 原爆ドームの直ぐ傍で破壊された建物を見上げる。 焼けただれてほとんどレンガや鉄骨などを残すだけとなった無残な姿を目の当たりにし、唖然たる面持ちになり、あらためて原爆がもたらす惨禍の酷さを思い知らされた。

広島平和記念公園に設けられた「原爆死没者慰霊碑」(正式名称は「広島平和都市記念碑」)

「原爆死没者慰霊碑」は昭和二十七年(1952)建立で、原爆ドームと広島平和記念資料館を結ぶ直線上に設けられている
 
昭和三十三年(1958)建立の「原爆の子の像」(像高9m)と捧げられた無数の折り鶴..頂上の像のモデルは原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さん

広島平和記念資料館の本館..現在改修工事中で今年(平成三十年(2018))7月リニューアルオープン予定..右は広島国際会議場
 
広島平和記念資料館の東館前から眺めた「原爆死没者慰霊碑」/東館の入口
 
原爆が投下される前の相生橋の風景..路面電車が走っている/原爆が投下された時間を示す時計
 
東館1Fのフリースペースの企画展示室..原子爆弾による被害の遺品や資料等を展示/寄贈された「三人の中学生の遺品」..熱風を浴びてボロボロになった服

東館2Fの「広島の歩み」展示ゾーン

破壊された原爆ドーム周辺の写真の前で佇むご婦人

東館3Fの「導入展示」と「核兵器の危険性」の展示ゾーン
 
3Fに展示されている昭和二十年(1945)に広島と長崎に投下された原子爆弾の模型..右が広島に世界で初めて落とされた「リトル・ボーイ」、左は長崎に落とされた「ファット・マン」/原爆投下前後の建物とドームの姿(建物は元広島県産業奨励館)

多くの外国人が見学に来ていた

元安川に架かる元安橋の上から眺めた相生橋と原爆ドーム..相生橋は旧太田川(本川)と元安川の分岐点に架かり、原爆投下の目標にされた

原爆ドーム(正式名は「広島平和記念碑」)..もともと行政機関の事務所で「広島県産業奨励館」(1915年開館)と呼ばれた
 
原爆投下によって建物本体が全壊、中央のドームとその周囲の枠組みと外壁だけが残った

原爆ドームは平成八年(1996)にユネスコ世界遺産に登録された

元安川の川辺りに佇む中国四国土木出張所職員殉職碑と旧相生橋の碑

広島市出身の鈴木三重吉の文学碑..「赤い鳥」は三重吉が大正七年(1918)に創刊した童話と童謡の児童雑誌
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