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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

岩殿寺-(2) (逗子)

2023年07月01日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・逗子市】平安時代の正暦元年(990)に花山法皇、平安末期の承安四年(1174)に後白河法皇が岩殿寺に行幸された。 鎌倉時代、源頼朝が篤く信仰して何度も参詣し、朱印地(寺領)を寄進したとされる。 承元三年(1209)には鎌倉幕府第3代将軍源実朝が参詣。 その後衰退するが、江戸時代の天正十九年(1591)に徳川家康によって再興された。

■境内参道は途中から石段で、石段が樹林の中に消えている。 石段を上っていくと、左手の木立ちの中に御堂と鐘楼が建ち、鐘楼には縦帯の位置に「吉祥の鐘」と刻された梵鐘が下がる。
石段を上りつめると樹林に囲まれた平場があり、観音堂、熊野権現社、奥の院岩殿観音などが鎮座。 観音堂は約300年前の再建で、水引虹梁と丸桁の間一面に見事な龍の彫刻が施されている。

△観音堂への石段参道の途中に立つ重厚な石燈籠と「観世音」の石塔

△入母屋造桟瓦葺の鐘楼

△軒廻りは二軒繁垂木....内法貫の外側に獅子の木鼻

△梵鐘の縦帯の位置に「吉祥の鐘」の刻....内法貫の中央に客間に鳳凰の彫刻を配した本蟇股が乗る/少し上がった処から見下ろした鐘楼

△鐘楼の脇に建つ露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の御堂....急峻な渡り廊下はこの御堂に繋がっているようだ

△石段参道を上りつめた樹林の中に建つ桁行三間・梁間五間の観音堂....中世以来の伝統的な密教本堂形式をとる

△寄棟造銅板葺の観音堂....享保十三年(1728)時の住持・萬英和尚により再建

△向拝の水引虹梁と丸桁の間一面に龍の彫刻、虹梁の外側に象と獅子の木鼻....正面の中央間は桟唐戸(内側に腰高格子戸)、両脇間は舞良戸

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は二手先で柱間に詰組

△観音堂の左手の山裾に歴代住持の墓碑とみられる無縫塔や石造り宝塔などが建ち並ぶ

■観音堂に向かって右側に小説家・泉鏡花が寄進した池(放生池か?)があり、朱色の欄干を設けた石造りの反橋が架かっている。 反橋の先に、崖を背にして仏教の守護神・熊野権現社が鎮座。 「奥の院岩殿観音」の岩窟内には、行基菩薩が岩に彫ったとされる十一面観音尊像が鎮座していると思うが拝観を失念....行基菩薩様に合掌!

△熊野権現社の傍から小説家・泉鏡花が寄進した池に架かる石造りの反橋越しに眺めた観音堂

△堂前に佇む一対の石燈籠....火袋に花頭窓がある....奥の山側に鎮座するのは熊野権現社/金属製手摺りを設けた熊野権現社の参道....手前は小説家泉鏡花寄進の池(放生池?)に架かる石造り反橋

△入母屋造銅板葺の熊野権現社

△崖を掘り窪めて造営された奥の院岩殿観音....院前に佇む装飾性の高い一対の石燈籠/火袋に獅子、基礎に龍の彫刻が施されている....中台の周りにも彫刻

△行基菩薩が岩窟内に十一面観音を彫ったという奥の院岩殿観音....鎮座している観音像の拝観を失念

△岩窟に鎮座する稲荷明神社と道案内にかかわる猿田彦神社

△二基の石祠が鎮座....左が稲荷明神社、右が猿田彦神社

△大蛇が棲む?「蛇や蔵」....古来から大蛇が棲息し、人に危害を加えるとされる
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