何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

本隆寺 (京都)

2016年02月05日 | 寺社巡り-京都

【京都・上京区】室町時代の長享二年(1488)、中山大納言親通卿の子・日真を開山として四条大宮に創建された。 天文五年(1536)の天文法華の乱によって堂宇がことごとく焼失したが、戦国時代の天文十一年(1542)、四世日映によって現在の地に再建された。
江戸時代の承応2年(1653)、京都御所炎上により類焼して諸堂を失ったが本尊は難を逃れ、明暦三年(1657)に再建された。 享保十五年(1730)そして天明八年(1788)の大火で再び山門・鐘楼・方丈・塔頭を焼失するが、本堂に安置していた火伏の鬼子母神の霊験によって本堂・祖師堂・宝庫が火の手から護られたことから、「不焼寺」とも呼ばれる。 法華宗真門流の総本山で法華宗京都八本山の一つ。 本尊は十界曼荼羅。

「総本山本隆寺」の大きな寺号石標がある東門をくぐって境内に....直ぐ左脇に上層に花頭窓を設けた禅宗様のような建物があるが、調べたが名称は不祥。
参道を進んで左手に建つ鐘楼から本堂を望む....江戸時代初期の建立から2度の大火を奇跡的に逃れた本堂が、風格を漂わせながら鎮座。 堂前の天水桶の傍に小さな古井戸があるが、2度の大火から寺院を護った鬼子母神が水を汲んだ「千代の井戸」とされる。
本堂の左手に渡り廊下で繋がれた寄棟造本瓦葺の祖師堂が建つが、屋根が上下2つに分離した珍しい形だ。 下の屋根の方が大きいが、身舎に設けられた裳腰だろうか。
祖師堂前には、お堂を乗せたような大きな石燈籠に見守られるように「夜泣止松」と呼ばれる松の木がある。 赤子の養育を託された5世日諦が夜泣きする赤子を抱いてこの松の木を回るとぴたりと泣き止んだという微笑ましい伝えがある。 この松は2代目の樹だが、皮や松葉を枕の下に敷いて寝るといまでも赤子の夜泣きが止むらしい。
 
落ち着いた雰囲気の東門前の風景                「総本山本隆寺」の寺号石標

切妻造本瓦葺の黒塗りの東門..袖塀を設けた重量感のある山門、松の木が趣を醸し出している
 
境内参道の左に鐘楼、右に手水舎そして正面の奥に番神堂(左)と2棟の経蔵を望む/切妻造桟瓦葺の簡素な手水舎

東門脇に建つ上層に花頭窓を設けた禅宗様のような建物
 
切妻造本瓦葺の鐘楼                        鐘楼脇に佇む大正十二年造立の石碑

鐘楼越しに眺めた本堂

入母屋造本瓦葺の本堂(七間堂)..京都16本山の中で最も古い(府指定文化財)

本堂は江戸時代明暦三年(1657)の再建..正面は全面が障子戸になっている(上は障子の欄間?)
 
本堂ほか祖師堂・宝庫は天明の大火の際、鬼子母神の霊験で焼失を免れたという故事から「不焼寺」とも呼ばれた..本堂前に鬼子母神が水を汲んだ「千代の井戸」がある
 
蓮花を模した右側の天水桶..何故か鎖樋がない(天水桶の後方に「千代の井戸」が見える)/本堂正面は全面障子戸で周囲に擬宝珠高欄のある切目縁を設けている

左側の天水桶越しに眺めた本堂と祖師堂

本堂(右)と祖師堂(左)を繋ぐ渡り廊
  
祖師堂の前にある「夜泣止松」..赤子の養育を託された5世日諦が夜泣きする赤子を抱いてこの松の木を回るとぴたりと泣き止んだという

祖師堂..江戸時代明暦三年(1657)の再建

寄棟造本瓦葺の祖師堂..分離した屋根の下の大きい屋根は身舎に設けられた裳腰か?

2棟の経蔵が並んで建つ..左は切妻造本瓦葺の経蔵

右側の経蔵は露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺

祖師堂の後方(左は本堂)
 
方丈(右手に建つ)の前庭に佇む石造七重塔..右奥は入母屋造本瓦葺の客殿

客殿の縁だったかな?

明神鳥居と石燈籠の奥は番神堂か?..右奥は祖師堂

境内の守護神社と思うが...?

連子窓を設けた袖塀のある切妻造銅板葺の南門
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