何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

大悲願寺-(2) (あきる野)

2016年09月01日 | 寺社巡り-東京

【東京・あきる野市】その後、徳川家康の信任が厚かった十三世海誉僧正、伊達政宗の末弟といわれる十五世秀雄僧正などを輩出し、明治二十九年に長谷寺の直末寺になった。
仙台藩主伊達政宗は、異腹の末弟が大悲願寺の修行僧だったことからこの寺を訪問....その時に境内一面に咲いていた白萩に心を惹かれ、「白萩一株を所望したい」として送った書簡(「白萩文書」と呼ばれる)が残されている。

観音堂境内には樹齢750年の杉の老木が聳え立つ。 観音堂から杉の巨木と鐘楼の間を通って本堂境内に....緑豊かな閑寂な境内には書院造り風の簡素な本堂が建ち、前庭には自然石を積み上げたような大きな石燈籠が佇む。 本堂の真南の緑の参道の先に約240年前に建てられた朱雀門が立つ。 パンフには「破風造りで唐門とも呼ぶ」とあるので平唐門かと思ったが、朱雀門には唐破風はなくパンフと整合しない。 前庭には、約400年前にこの寺を訪れた伊達政宗が観賞して感動したとされる白萩があるが、春の訪問だったので咲いていなかった。
境内全域に四国八十八ヶ所の霊場の本尊を浮き彫りした多くの石仏が点在している。 庭園背後の裏山には四国八十八ヶ所の霊場の土砂を埋めた「お砂踏み霊場」があり、それぞれの本尊を浮き彫りした石仏が見守るささやかなお遍路があるそうだ。

観音堂から眺めた本堂の境内..右手に鐘楼、左手に大きな屋根の本堂が建つ

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の鐘楼
 
梵鐘は江戸時代寛文十二年(1672)鋳造..口径69.5cm、高さ105cm/梵鐘は第二次大戦中の供出を逃れた

本堂境内

本堂と前庭..右奥に玄関が見える..本堂の周囲に切目縁をめぐらしている

本堂前に弘法大師空海の修行像が立つ

寄棟造銅板葺の本堂..江戸時代元禄八年(1695)再建で三代目

書院造り風方丈型講堂様式の本堂で、南の広縁に面して3部屋、その後方の中央が内陣で須弥壇に本尊の金剛界大日如来を安置
 
緑に包まれた簡素な造りの本堂と右手に唐破風の玄関

庫裡

安永九年(1780)建立の朱雀門と前庭に佇む十三重層塔..前庭には伊達政宗が観賞した白萩と臥龍梅がある
 
十三重層塔..塔身には輪郭を巻いて月輪の中に梵字を刻む/朱雀門は本堂の真南に位置する

前庭の石燈籠越しに眺めた本堂と弘法大師空海像
 
火袋以外は自然石を積み上げたような大きな石燈籠

本堂を見守るように前提に佇む重厚な石燈籠
 
舟形光背の石仏..仏尊名や造立年号不詳/火輪が欠落した五輪塔のようだ..手前は自然石を用いた手水鉢
 
宝珠が欠落し隅飾突起が反りかえりひらいている宝篋印塔..風化してるが「寛延」(1750年頃)と刻されているように見える/自然石の石段の上に鎮座する珍しい「乳牛供養塔」
  
四国八十八カ所の霊場が設けられ、札所番号・寺院名・本尊を浮き彫りした石仏が境内全域に点在している
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