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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

葛飾八幡宮-(1) (市川)

2018年11月23日 | 寺社巡り-千葉

【千葉・市川市】平安時代の寛平年間(889~898)、宇多天皇(第59代)の勅願により京都石清水八幡宮を勧請して創建されたと伝わる。 以来、下総を守護する総鎮守として、下総国の代々の国司・郡司そして衆生の信仰が深く、葛飾文化、八幡信仰の中心として発展した。
明治維新の神仏分離令までは、境内に天台宗上野東叡山寛永寺の末寺・法漸寺が別当寺として存在していた。 ご祭神は誉田別命(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依姫命の3柱。

表参道の車道を跨ぐ真っ白な一ノ鳥居の先に、小さく二ノ鳥居が見える。 しばらく進むと京成線が参道を横切り、踏切を渡った直ぐのところに台輪鳥居が立ち、並木で覆われた参道の奥に鮮やかな朱塗りの随身門が小さくみえる。
狛犬と随身像に迎えられて門をくぐると、さらに切石が敷かれた並木の参道が続き、突き当りに「八幡宮」の額が掲げられた四脚門の神門が建つ。 神門をくぐると右手に手水舎と井戸水が注がれている蹲があり、蹲の後方に水神を祀る石祠がひっそりと佇んでいる。
境内の正面に唐破風向拝の拝殿、その左隣に連なって神楽殿が建つ。神楽殿の中を覗くと、幕末に奉納された大絵馬が正面の壁に掛けられている。 案内板によると、新羅出兵の際のご祭神・神功皇后と武内宿禰などを描いたものとある。
社殿の右手に「千年公孫樹」と呼ばれる大きな枝振りの銀杏の木が聳えるが、推定樹齢1200年で、たくさんの細い幹を太く束ねたような姿に驚いた。

千葉街道近くの車道参道を跨ぐ「一ノ鳥居」....社号標石と新しそうな真っ白な明神鳥居

京成線の踏切を渡った所に立つ「二ノ鳥居」....明神鳥居だが、柱頭に台輪が乗る台輪鳥居(稲荷鳥居)

切妻造銅板葺の鮮やかな朱塗りの神門は三間一戸の随身門....もともとは神仏分離令で廃寺となった天台宗上野寛永寺の末寺で旧別当寺・法漸寺の山門
 
安永六年(1777)造立の阿形・吽形の狛犬
  
軒周りは二軒繁垂木で組物は平三ツ斗、中備には2つの蟇股を配す/正面両脇に鎮座する衛士姿の随身像....随身は閽神で俗に矢大神、左大神という
 
後方の両脇に鎮座する動物....左は幣帛を乗せた神馬像、右には龍・鳳凰・虎そして亀の像

参道突き当りに建つ切妻造銅板葺の神門は四脚門....通用口のある袖塀を設けている
 
「八幡宮」の額、紙垂としめのこ付の注連縄、金属製門扉に八幡の神紋「三つ巴」を入れた菊紋(社紋か)

切妻造銅板葺の手水舎
  
龍の水口と側面に「洗心」と刻まれた手水鉢....点水鉢は大正十三年(1924)の造立/手水舎の右脇に井戸水を使用した蹲、後方に「水神宮」と刻まれた石祠がある
 
神門から眺めた境内と拝殿                        明和五年(1768)造立の石燈籠

入母屋造銅板葺の拝殿....社殿は大正二年(1913)改築以降も数度の修築が行われた

鳥衾付鬼板を乗せた唐破風向拝の軒下の精緻な兎毛通、笈形、蟇股、木鼻の彫刻群

擬宝珠高欄付廻縁を設けた拝殿の右手に「千本公孫樹」、左手に神楽殿が連なる

拝殿左手に連なる入母屋造銅板葺で妻入りの神楽殿

組高欄付き切目縁を巡らせた神楽殿

神楽殿の正面に掛けられた大絵馬は幕末に奉納....右から二人目はご祭神の神功皇后で「新羅出兵」を描いたものとのこと
 
社殿右手に聳える推定樹齢1200年で、高さ22mのご神木の銀杏/「天然記念物千年公孫樹」と刻まれた昭和七年(1932)造立の石碑

落雷で折れた主幹を囲むように多くの支幹が上に伸びていることから「千本公孫樹」と呼ばれる....奥の玉垣の中に左が拝殿、右に流造の本殿

「千本公孫樹」傍から眺めた玉垣内に鎮座する流造銅板葺の本殿....大棟に外削ぎの千木と5つの堅魚木が乗る、軒周りは二軒繁垂木で組物は舟肘木、拝みに蕪懸魚、妻飾はよく見えないが虹梁の上は小壁かな
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