
【京都・相楽郡】室町時代中期の文明十四年(1482)、貞盛らにより本堂(正月堂)などの堂宇を再建したが、江戸時代中期より次第に荒廃し、明治初年に無住持の寺となった。 明治九年(1876)、文英和尚が狐狸が棲む荒れ寺に住み、約20年にわたって復興に尽力して今日の姿に。 旧子院の福寿院が笠置寺の寺号を継いでいる。
正月堂の前庭では「弥勒石」だけに目を奪われそうだが、石造十三重塔の背後の積み重なる巨岩の根元には、見逃しそうな小さな「薬師石」と「文殊石」と刻された石標がある。 これらの巨岩にも線刻された磨崖仏があったようだが、その面影はまったくない。 十三重塔と傍に立つ2基の五輪塔はいずれも室町時代初期造立で、十三重塔は数枚の笠の軒部が破損し、相輪頂部の宝珠が欠落している。
正月堂の脇の自然石で造られた石段を下ると、正月堂の床下が柱や貫で支えられており、崖の斜面に建つ懸造りであることが分かった。 少し先の巨岩の間に寺で最も神聖な場所とされる「千手窟」があり、「千手窟」に連なる垂直な崖の巨石に笠置寺のシンボルともいえる虚空蔵菩薩磨崖仏が鎮座している。
現存する日本最古の線刻磨崖仏とされる像高約9mの虚空蔵菩薩磨崖仏....天平時代から風雪に耐え、全山焼亡の戦火を逃れてきたとはいえ保存状態がいい。 虚空蔵菩薩磨崖仏を見上げると、宝冠をつけ天衣を翻して蓮華座に結跏趺坐しているが、その美しい姿にすっかり魅了されてしまい、心が癒されるようで長い時間拝観した。

十三重層塔の後方の巨石は右が「文殊石」で左が「薬師石」


「薬師石」に薬師如来,「文殊石」に文殊菩薩の磨崖仏が彫られていたが消失したようだ/上部が前に突き出た「薬師石」

南北朝時代初期造立の石造り十三重層塔..塔高4.7m、数枚の笠の軒部が破損し相輪頂部の宝珠が欠落している


数枚の笠の一部が破損した十三重層塔、宝珠も欠落..初層軸部に挙身光形を彫り窪めた中に蓮華座に坐す顕教四方仏

半肉彫りされた蓮華座に坐す顕教四方仏は薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来(菩薩)


十三重層塔の左右に立つ二基の五輪塔は室町時代造立で高さ1.5m..火輪の形が少し異なり特に軒の傾斜と軒口の厚さが違う..左のバランスがとれた五輪塔は鎌倉時代の、右の細見の五輪塔は室町時代の特徴がでているが..

虚空蔵菩薩磨崖仏の少し手間にある「千手窟」、笠置寺で最も神聖な場所とされている


「千手窟」の金剛界石と胎蔵界石の岩の間に東大寺良弁僧正が籠って千手の秘法を修め、高弟実忠和尚がここの竜穴から弥勒の兜率天に入り、お水取りの業法を持ち帰った..またここで役行者が籠って写経したとされる

垂直な崖の巨岩に挙身光形に彫り窪めた中に線刻された虚空蔵菩薩磨崖仏..天平時代作と推され、現存する線刻磨崖仏としては日本最古

宝冠をつけ天衣を翻して坐る虚空蔵菩薩..像高は約9m..蓮華をかたどった台座に結跏趺坐で鎮座


虚空蔵菩薩が線刻されている高さ12m、幅7mの巨石は「虚空蔵石」と称される/虚空蔵菩薩は右手は施無畏印、左手は与願印を結ぶ


胎内くぐり...巨石の修行場への入口のような所..10数mの岩のトンネル


胎内くぐりの先の修行場参道にある文字が刻まれた石..判読できないが「菩〇山〇界」のように見える/太鼓石..岩の窪みをたたくと不思議な音が響く(叩いてみたが...)

山門を出て旧参道の途中に鎮座する石龕仏


石笠を乗せた石龕仏の御尊名は? 上部に梵字を刻んだ板碑(板碑型墓石かも)

JR笠置駅近くの墓地に佇む半肉彫りの六体阿弥陀石仏..室町時代造立で一石に六体の阿弥陀を彫るのは珍しい


六字名号板碑..来迎印を結ぶ六体阿弥陀石仏は別石で造る反花座の上に置かれている