
【静岡・袋井市】古墳時代の大宝元年(701)、奈良の僧・行基が万民和楽・無病息災を祈念して創建、正式名は医王山薬王院油山という。 医王山から油が湧き出したことから「油山」と呼ばれ、それが寺号の由来に。 真言宗智山派で、本尊は行基作の薬師如来像(秘仏として千古、本堂内陣厨子に安置)。
奈良時代の天平勝宝元年(749)、第46代天皇の孝謙天皇(女帝)が眼病治療のみぎりとして油山寺を訪れ、眼病平癒を本尊薬師如来像に祈願し、境内の「るりの滝」の加持祈祷された霊水で眼を洗浄したところ、霊験あらたかに眼病が治癒したことから勅願寺に定めた。 以来今日まで諸病全快、特に目の守護、眼病平癒のお寺として、また薬師如来像は「心身安楽」心の病を癒し心眼を開く仏様として広く信仰を集めている。
可睡斎の次に訪れたのは遠州三山の二つめの医王山油山寺。 注連縄が張られた城門造りの山門前の紅葉に目を奪われながら、山門をくぐって境内に....。
鬱蒼と紅葉が混じる木々が繁る参道を進む....広い境内は清々しく静寂につつまれている。 参道正面奥の石段の上に礼拝門がひっそりと佇み、礼拝門をくぐると中庭をぐるりと囲むように室生殿などの堂宇が建ち並ぶ。
事前の調べで知っていた世界一の大数珠を見るため右手に建つ方丈の縁側を覗いた....見上げると障子戸側の鴨居と反対側の天井棰の下に巨大な数珠が掛けてある。 この大数珠は長さが120mもあって方丈と室生殿と書院を貫いて掛けられているが、想像していた以上の大きさだ。

油山寺入口の石段左手に「医王山油山寺」の寺碑が立つ


山門前の石燈籠と鮮やかな紅葉

山門..江戸時代万治2年(1659)井伊直好建立の掛川城大手門を明治6年(1873)に寄進された


入母屋造本瓦葺で前後庇付きの山門(城門造り) 山門から眺めた境内..左手は光明稲荷大明神


一休庵への参道に架かる朱塗りの太鼓橋/朱色の鳥居が並ぶ光明稲荷大明神の入口

室生殿などの堂宇が建つ境内への門前の参道

室生殿、本坊、書院への参道石段と礼拝門

礼拝門


正面に建つ室生殿..内陣には不動明王仏殿がある..中庭には石燈籠や石造り五重塔、松の木が立つ


室生殿は本坊不動尊御祈祷所/室生殿の向拝に「め」の扁額が掛り、齶口が下がる

室生殿の左手に建つ寄棟造桟瓦葺の書院..元禄12年(1699)建立、安政6年(1859)遠州横須賀城主西尾隠岐守による寄進

寄棟造桟瓦葺の方丈


室生殿の右手に建つ方丈..宝暦14年(1764)、遠州浅羽代官所より代官・仁科宇兵衛が移築

方丈、室生殿、書院を通して掛る120mの大念珠


松泉閣 露盤宝珠を乗せた六角堂

天狗杉根..樹齢1千百年で礼拝門下にある