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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

大覚寺-(1) (京都)

2012年03月12日 | 寺社巡り-京都

【京都・右京区】平安時代の貞観十八年(876)、嵯峨天皇の皇女で淳和天皇皇后の正子内親王が、嵯峨天皇の離宮だった嵯峨院を恒寂入道親王を開山として寺に改め、大覚寺と号した。
10世紀後半に暫く衰退したが、鎌倉中期の文永五年(1168)に後嵯峨天皇が落飾して入寺、続いて亀山、後宇多の2法皇も入って本格的に再興。 特に、後宇多法皇は伽藍整備に尽力して大覚寺中興の祖とされ、また、後宇多法皇が延慶元年(1308)に寺内で院政を行ったため大覚寺は「嵯峨御所」と呼ばれた。 皇位が2分された南北朝時代、後宇多天皇の皇統は上皇や皇子が大覚寺に入住したため大覚寺統(南朝)と呼ばれ、後深草天皇の持明院統(北朝)と交互に皇位に就いた。

総門から約400mある直線の参道を進んで静かな境内に....表門から風格のある「式台玄関」と右手の塀の上に宸殿の入母屋造桧皮葺屋根が見え、皇室にゆかりの門跡寺院らしい雰囲気が漂っている。
式台玄関の「松の間」を通り、宸殿、正寝殿、御影堂などを拝観したが、入母屋造桧皮葺で宮廷風の宸殿や正寝殿の襖いっぱいに描かれた狩野山楽らの筆による障壁画が素晴らしく、大いに感嘆した。
訪問時、大覚寺の本堂で本尊・五大明王像を安置している天明年間建立の「五大堂」がちょうど修復中で拝観できず、また、「五大堂」の東面には大沢池に張り出すように広いぬれ縁があるが、そこからの大沢池の眺望は叶わなかった。
 
表門への参道に聳える見事な松  表門前の落ち着いた雰囲気の境内

表門....江戸時代初期の建立、切妻造本瓦葺の四脚門

表門から眺めた境内....正面右は式台玄関、左は明智陣屋
 
銅板葺の唐破風を備える式台玄関と入母屋造桧皮葺屋根の宸殿、右隅に修復中の五大堂(本堂)

式台玄関左横の入口から眺めた表門
 
式台玄関....江戸時代建立、銅板葺きで風格のある唐破風、妻飾りは木連格子懸魚付き

式台玄関の「松の間」から前庭を眺める

宸殿....元和5年(1619)建立の東福門院(後水尾天皇中宮)の御殿を移築

宸殿は延宝年間(1673~1681)に後水尾天皇より下賜、襖絵にちなんだ4室がある

宸殿の「牡丹の間」を飾る狩野山楽筆の牡丹図

「紅梅の間」の狩野山楽筆の紅梅図

宸殿の前庭一面に敷き詰められた白砂、正面は勅使門

勅使門....嘉永年間(1848~1854)再建、切妻造銅瓦葺の四脚門で正面と背面は軒唐破風で風格がある
 
御影堂と正寝殿への渡り廊下    御影堂は大正十四年(1925)建立の饗宴殿を移築、右は御霊殿

入母屋造桟瓦葺の御影堂(心経前殿)には嵯峨天皇、弘法大師などの尊像を安置
 
正寝殿(客殿)....桃山時代建立の書院造り、入母屋造桧皮葺

正寝殿には12室あり、南北に3列の部屋が配置され、障壁画にちなんで部屋名が付けられている

正寝殿の「狭屋の間」の明り障子の腰板に描かれた野兎図
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