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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

バンコク、懐かしの思い出!

2018年03月19日 | ひとり言

【タイ・バンコク】現役時代、仕事の関係で1987年~2007年の間に15回ほどバンコクを訪問した。
当時はまだ寺院などに興味がなかったのと、滞在期間が短かったこともあって、前半は寺院や宮殿を訪れる機会は殆んどなかった。 後半になって滞在期間が少し長くなってきたこともあって、2003年頃からは出張先の会社の方の案内で、バンコクを中心に史跡巡りをするようになった。 とはいえ、休日の限られた時間での史跡巡りだったので、何れも駆け足での観覧だった。
バンコクは、チャクリー王朝を起こしたラーマ1世が1782年、チャオプラヤー川西岸のトンブリーから東岸の現在地に遷都した都で、儀式的正式名称は非常に長いが最初の部分をとって「クルンテープ」(天使の都の意)と呼ばれている。
バンコクには王宮の他、ワット・プラケオ、ワット・アルン、ワット・ポーなど独特の形をした黄金色の寺院など歴史的建造物が多くあるが、何故か世界遺産はひとつもない。 調べてみたら、現在、タイには5つの世界遺産があって、その内の3つが文化遺産だがいずれも遺跡だ。
当時撮った写真を見ながらバンコクを思い出し、写真は少ないが懐かしい思い出を記録するつもりで投稿していく。 実は、バンコク訪問が寺院や史跡に興味を持つ切っ掛けとなったようで、2008年から国内の神社仏閣・史跡巡りがはじまり、いまも続いている。
■ワット・プラケオ(Wat Phra Kaeo)■

ワット・プラケオは、1782年、バンコクに遷都した現チャクリー王朝の初代王ラーマ1世が、王宮と同時に王朝の守護寺として建立した寺院。 格式が高い寺院で、三大寺院の一つ。 寺院建立には、ビルマ軍によって破壊された旧都アユタヤの寺院から取り出された煉瓦が使われた。 本堂にエメラルド色の仏像を祀っていることから、「エメラルド寺院」と呼ばれる。
■ワット・アルン(Wat Arun)■

ワット・アルンは、ワット・プラケオからチャオプラヤー川を挟んだ対岸に位置し、ワット・プラケオ創建の前から存在していた古い寺院。 三大寺院の一つ。 ビルマ軍の攻撃で崩壊したアユタヤ王朝後、前タイ王朝の王タークシンが新たな王都を建設するにあたって、タイ王国の夜明けを願って王室寺院とした。 中央に聳え立つ高さ75mの大仏塔は、ヒンドゥー教の破壊神シヴァが住む聖地カイラーサ山をかたどっているとされる。
■ワット・ポー(Wat Pho)■

ワット・ポーは、現チャクリー王朝の初代王・ラーマ1世が、1788年に建立した王室寺院。 三大寺院の一つ。 黄金に輝く巨大涅槃仏と、タイ式マッサージの総本山として知られている寺院。 礼拝堂に安置されている巨大涅槃仏は、全長46m、高さが15mあり、仏像の足裏にはバラモン教の宇宙観を表現した精緻な螺鈿細工画が描かれている。
■王宮(Grand Palace)■

王宮の建設は、ラーマ1世がトンブリーからチャオプラヤー川東岸に遷都した1782年から始まり、国王が代わるごとに宮殿や御堂が増築され続け、現在の姿になった。 王宮に国王が住んでいたのはラーマ8世までで、2016年に崩御したラーマ9世はドウシット地区にあるチットラダー宮殿に移っていた。 王宮は現在、迎賓館として、また儀式や祭典などに使われている。 (写真は王宮の中のチャクリー・マハ・プラサート宮殿)
■ワット・スタット(Wat Suthat)■

ワット・スタットは、ラーマ1世が遷都したバンコクに大仏を置こうと1807年から建築を開始し、27年の歳月を掛けて完成させた王室寺院。 ラーマ1世が安置しようとしたのは、15世紀に栄えたスコータイのワット・マハータート寺院に安置されていた当時最大の仏像だが、巨大過ぎて寺院の門をくぐらせることができず、一旦門を壊して搬入したとされる。
■ワット・ラーチャボピット(Wat Ratchabophit)■

ワット・ラーチャボピットは、ラーマ5世統治時代の1869年、20年の歳月を掛けて建立された王室寺院。 ラーマ5世は独特のヨーロッパ趣味で名高かったことから、内部にはゴシック調の装飾がみられ、また他の寺院には見られない斬新なデザインの造りになっている。
■ウィマンメーク宮殿(Vimanmek Mansion Palace)■

ウィマンメーク宮殿は、ラーマ5世が1902年に別荘として総チーク材で建てたもの。 総チーク材造りの豪華な3階建の建築は世界的にも珍しい。 ラーマ5世崩御後は閉鎖されていたが、2016年に崩御したラーマ9世(プミポン国王)の后によって修復が図られ、1985年から一般公開。 内部には世界各国から集められた家具、調度品、食器などが展示された博物館になっている。
■アンタナ・サマーコム宮殿(Anantha Samakhom Place)■

アンタナ・サマーコム宮殿は、ウィマンメーク宮殿で生活していたラーマ5世が、ドウシット庭園を造成する際、迎賓館および国家儀式の執行用として1907年に建設を命じて建立された。 完成したのはラーマ6世治世の1915年で、以来迎賓館として、また1932年の立憲革命以後は国会議事堂として長きにわたってタイの歴史を見つめ続けてきた。
■スアン・パッカード宮殿(Suan Pakkad Palace)■

スアン・パッカード宮殿は、ラーマ5世の孫にあたるチャムポット殿下夫妻の旧邸。 芸術・文化に造詣が深く、多くの若いタイ芸術家たちのパトロンだった夫妻は、彼らの奨学金を得る目的で、1952年、趣味で集めてきた古美術品を宮殿内に展示して一般公開にした。





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原爆ドームを訪れた!

2018年02月27日 | ひとり言

【広島・広島市】昨年九月、初めて広島市を訪れ、広島平和記念公園にある平和記念資料館の東館(本館は回収工事中)、モニュメントの「原爆死没者慰霊碑」と「原爆の子の像」そしてユネスコ世界遺産の原爆ドームを見学した。
資料館には、原子爆弾の恐ろしさ・悲惨さをこれでもかも伝える写真・資料・遺品が展示されていて胸が締め付けられた。 その中で、1階企画展示室の「収蔵資料の紹介」コーナーにある「最後のことば」には胸が熱くなり目が潤んだ。
平和の池に屋根の部分が埴輪の家型をした原爆死没者慰霊碑があり、慰霊碑の中を通して遠くに原爆ドームが見える。 慰霊碑が水に囲まれているのは「水を求めて亡くなった方々のため」であることを後で知った。 慰霊碑から原爆ドームへ向かう途中に、原爆で犠牲となった子供たちの霊を慰める石碑の「原爆の子の像」がある。 頂上には、白血病で亡くなった佐々木禎子さんをモデルにした折り鶴を高く持ち上げたブロンズ像が立っている。
元安川に架かる元安橋を渡り、川に沿った道を原爆ドームに向かう....近づくにつれ、幾度となく写真や映像でみた原爆ドームの姿がしだいにハッキリしてくる。 原爆ドームの直ぐ傍で破壊された建物を見上げる。 焼けただれてほとんどレンガや鉄骨などを残すだけとなった無残な姿を目の当たりにし、唖然たる面持ちになり、あらためて原爆がもたらす惨禍の酷さを思い知らされた。

広島平和記念公園に設けられた「原爆死没者慰霊碑」(正式名称は「広島平和都市記念碑」)

「原爆死没者慰霊碑」は昭和二十七年(1952)建立で、原爆ドームと広島平和記念資料館を結ぶ直線上に設けられている
 
昭和三十三年(1958)建立の「原爆の子の像」(像高9m)と捧げられた無数の折り鶴..頂上の像のモデルは原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子さん

広島平和記念資料館の本館..現在改修工事中で今年(平成三十年(2018))7月リニューアルオープン予定..右は広島国際会議場
 
広島平和記念資料館の東館前から眺めた「原爆死没者慰霊碑」/東館の入口
 
原爆が投下される前の相生橋の風景..路面電車が走っている/原爆が投下された時間を示す時計
 
東館1Fのフリースペースの企画展示室..原子爆弾による被害の遺品や資料等を展示/寄贈された「三人の中学生の遺品」..熱風を浴びてボロボロになった服

東館2Fの「広島の歩み」展示ゾーン

破壊された原爆ドーム周辺の写真の前で佇むご婦人

東館3Fの「導入展示」と「核兵器の危険性」の展示ゾーン
 
3Fに展示されている昭和二十年(1945)に広島と長崎に投下された原子爆弾の模型..右が広島に世界で初めて落とされた「リトル・ボーイ」、左は長崎に落とされた「ファット・マン」/原爆投下前後の建物とドームの姿(建物は元広島県産業奨励館)

多くの外国人が見学に来ていた

元安川に架かる元安橋の上から眺めた相生橋と原爆ドーム..相生橋は旧太田川(本川)と元安川の分岐点に架かり、原爆投下の目標にされた

原爆ドーム(正式名は「広島平和記念碑」)..もともと行政機関の事務所で「広島県産業奨励館」(1915年開館)と呼ばれた
 
原爆投下によって建物本体が全壊、中央のドームとその周囲の枠組みと外壁だけが残った

原爆ドームは平成八年(1996)にユネスコ世界遺産に登録された

元安川の川辺りに佇む中国四国土木出張所職員殉職碑と旧相生橋の碑

広島市出身の鈴木三重吉の文学碑..「赤い鳥」は三重吉が大正七年(1918)に創刊した童話と童謡の児童雑誌
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「相棒」のロケ地....!

2018年02月09日 | ひとり言

【東京・あきる野市】先月の24日と31日の2日間に亘って放映されたTV番組「相棒」の”相棒300回記念”をみていて、ロケ地となったお寺が気になった。
小棟造りで赤い屋根の古民家風の建物に見覚えがあったので、番組の最後に協賛として寺名がテロップで表示されると思い、目を凝らして画面に見入っていたが....。 調べたら、このお寺は2年前の春に訪問した東京都あきる野市にある幽遠山開光院で、2017年6月2日のブログに掲載していた。 ちなみに、ロケでの寺号は確か「徹正院」だったと思う。
この番組のロケ地のお寺に気づいた方がおられたようで、24日の翌日からブログ「開光院 (あきる野)」が閲覧され、その閲覧数の多い日が数日間続いたのには少し驚いた。
刑事もの系の番組では、京都の寺社がロケ地としてよく見られ、寺社巡り好きの自分にとってはどこのお寺かを当てるのが楽しみの一つだ。 一方、東京の寺社がロケ地となるケースは意外に少ないので、今回の”相棒300回記念”番組は大いに楽しめた。
画面に多く出てきた小棟造りで赤い屋根の古民家風の建物は本堂で、江戸期に建立されたあきる野市で最も古い遺構らしい。 その他、趣がある不動堂や興味深い石仏などがあるので、訪問を勧めたいお寺の一つだ。 それにしても、和尚役の津川雅彦の渋い演技は流石だった。

参道から眺めた開光院の門前..正面に山門、右に長屋門、左に鐘楼が建つ

相棒の二人が出入りした山門は番組の中で本堂の次に画面にでてきた(と思う)

小棟造りで赤い屋根の本堂と庫裡(右)..相棒の二人がこの境内で会話する場面が何度かあった
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真田氏ゆかりの地を訪ねた!

2017年12月04日 | ひとり言

【長野・上田市】紅葉の季節も終わりに近づいた先月中旬、信濃の鎌倉といわれる長野県の上田市を訪れ、神社仏閣と史跡めぐりを楽しんだ。 真田氏ゆかりの地ということで、寺社や街中のいたるところに家紋の「六文銭」が溢れている。
この地には2つの国宝を含めた4つの三重塔があるが、その中の一つ、信州最古の禅寺・安楽寺の境内に佇む日本唯一の「八角三重塔」を拝観するのが、訪問の最大の目的だった。
今回は「真田の郷」、「別府温泉」、「塩田平」、「市街地」の4つのエリアにある寺社や史跡を訪ねたが、いずれのエリアでも無料のレンタサイクルを利用できたので、真田一族が活躍したこの地にある多くの寺社・史跡を楽に巡ることができた。 昨年(2016年)放映されたNHK大河ドラマ「真田丸」で一躍脚光を浴びた上田市だが、流石にこの時期は観光客が少なく、まさに貸し切り状態でゆっくりと拝観と写真撮影ができた。
塩田平の山麓に鎮座する前山寺の境内では、四阿の隅でおばあさんが自作の野菜を並べていたが、その中に家内から頼まれていた上田市特産品の「うえだみどり大根」を見つけた。 この大根は皮も肉も緑という珍しいもので、長さ15~20cm、直径7cmほどのかわいいサイズ。 3袋を買い求めてリュックサックに詰め込み、高台に聳える「未完成の完成塔」といわれる美しい三重塔を振り返りながら茅葺の山門を出た。
■JR上田駅■
 
壁に六文銭が表示されたJR上田駅の駅舎/駅前広場の木立の中に佇む真田幸村公騎馬像..上田城築城400年を記念して造立された銅像
■上田城跡公園■

上田城跡公園(市街地)....真田氏の始祖・真田幸隆(幸綱)の三男・昌幸が天正十一年(1583)に築城した城で、徳川軍を二度にわたり退けた戦歴を持つ名城だった
■月窓寺■

月窓寺(市街地)....真田幸隆の弟・常田隆永が永禄元年(1558)に創建、その後、真田信繁(幸村)が再建
■真田氏本城跡■

真田氏本城跡(真田の郷)....真田の郷の中心部にあり、自然の地形を巧みに活かして建てられたことが偲ばれる
■長谷寺■

長谷寺(真田の郷)....室町時代天文十六年(1547)創建で、真田一族の始祖・真田幸隆(夫妻)と三男昌幸が眠る真田家の菩提寺
■信綱寺■

信綱寺(真田の郷)....室町時代の創建で、真田幸隆の長男信綱(夫妻)と二男昌輝が眠る
■塩田平と独鈷山■

上田電鉄別所線の車窓から眺めた塩田平と霧と雲に包まれた独鈷山
■安楽寺■

安楽寺(別所温泉)....創建年は不詳だが信州最古の禅寺で、国宝である杮葺八角三重塔は日本に残る唯一の八角塔
■北向観音■

北向観音(別所温泉)....(伝)平安時代天長二年(825)の創建で、天台宗別格本山..長野善光寺と向かい合って建っていて「現世利益」を願い、南面の長野善光寺に「未来往生」を願う
■塩田平と小県郡の山々■

独鈷山の山麓から眺めた塩田平と小県郡の山々
■中禅寺■

中禅寺(塩田平)....平安時代天長年間(824~834)創建..薬師堂(重文)は長野県最古の木造建築
■前山寺■

前山寺(塩田平)....平安時代弘仁三年(812)創建で、弘法大師空海開基(伝)..三重塔(重文)は「未完成の完成塔」と呼ばれる美しい塔
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初めての空撮...!

2016年12月26日 | ひとり言

【機上(福州市⇒成田市)】福建省での仕事を終え、厦門航空で成田に向かっていた時、ヘッドホーンで音楽を聴きながら何気なく窓の外に目をやると、雲上を飛ぶ小さな白い機体が目に入った。 尾翼のマークから中国東方航空だと分かる。
国内線を含めて今まで何度か窓から旅客機を見たことがあるが、豆粒のように小さかったり、逆方向への飛行であっという間にすれ違ったりで、うまく撮影できなかった。 今回、意外に近い距離で、しかも並行に飛ぶ旅客機に初めて遭った。
急いでバッグからデジカメを取り出し、ズームアップして何度もシャッターを切ったが、大空を飛行する旅客機を空撮するという初めての経験に少し興奮した。 旅客機は、少しの間、並行して飛行していたが、スピードがこちらよりやや遅いようで、後方に見えなくなった。 暫くすると、遠くに美しい冠雪の富士山が見えてきた....空撮の興奮が冷めてふと我に返った。

窓から雲上を飛行する機体が見える

尾翼のマークから中国東方航空とわかる..上海浦東空港から成田空港へ向かっているのかな?

ズームアップで機内からこれだけ大きく撮影できたのは初めてだ!
 
向うの旅客機はスピードがやや遅いようで、暫くして後方に消えた/眼下はどの辺の地形かな?
 
遠くに冠雪の美しい富士山が見えてきた      ズームアップで宝永第一火口がハッキリ見える
 
厦門航空のいまいちな機内食と機内誌
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小松寺と周辺の紅葉!

2015年12月21日 | ひとり言

【千葉・南房総市】12月上旬の快晴の日、南房総の寺社巡りで小松寺を訪れた。
小松寺は紅葉が素晴らしいお寺だと聞いていたが、12月上旬の訪問では....とあまり期待していなかった。 しかし、小松寺への参道に入って少し進むと、その期待を裏切る光景を目の当たりにした。 突然、陽を浴びてキラキラと輝く鮮やかな紅葉が現れたからだ。 南房総の寺社巡りしていて初めて見る紅葉....暫くの間、その美しさに目を奪われた。
奥に進むと紅葉が群生する小松寺の門前に着くが、道の両側の一段と鮮やかな紅葉群に感嘆した。 道を挟んだ反対側に池があり、池の中央の島に小さな東屋があるが、道沿いの真っ赤な紅葉を通して眺めると一段と風情がある。
小松寺境内の紅葉も実に素晴らしい....前庭や放生池の傍などの鮮やかな紅葉が、歴史ある堂宇や石造物を引き立てているようだ。 今年は11月22日~12月5日にライトアップが行われて幻想的な世界が演出されたそうだが、「いつか是非....」と思いながら小松寺を後にした。

目を奪われた小松寺への参道の鮮やかな紅葉

小松寺の前の道を挟んだ向かいの池の紅葉..池の中央に東屋がある

鮮やかに輝いている小松寺門前の紅葉

小松寺境内の紅葉..右奥は寄棟造銅板葺の本堂

小松寺本堂の右手にある放生池の傍の紅葉

逆光で輝いている小松寺本堂前の紅葉と苔生した庭

小松寺前庭の美しい紅葉

逆光で輝いている庫裡前の紅葉

庫裡前の紅葉のトンネル
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六郷満山を巡った!

2015年04月01日 | ひとり言

【大分・国東市】昨年暮れに城下町・臼杵市を訪問して国宝臼杵石仏などの史跡巡りを楽しんだが、帰路の大分空港で知った「六郷満山」、そして多くの石造仁王像や国東塔と呼ばれる独自の宝塔があることに興味が湧き、大分を再訪した。
桜が咲く前の3月初旬、国東半島を訪れ、レンタカーで「六郷満山」寺院や神社・史跡を5日間に渡って巡った。 「六郷満山」は神仏習合を醸成してきた山岳仏教寺院である通り、殆どが山間や山深く分け入ったところにひっそりと建っている。 そのため、5日間に走行した距離は約570キロメートルにもおよび、日本での1.5ヶ月分の距離に相当し、我ながら吃驚した。 また、巡った寺社・磨崖仏・史跡などは75ヶ所を超え、帰路の機中で爆睡した。
国東半島の「六郷満山」の寺々については、奈良時代から平安時代にかけて宇佐八幡大神の化身とされる仁聞菩薩によって開創されたと伝えられている。
宇佐八幡宮は、渡来した仏教を受入れて最初に神仏習合を実践した神社であり、八幡の神を称して「八幡大菩薩」という仏の称号をもって崇められた。 また、八幡神には「権現」という称号が用いられ、天竺の仏が衆生済度のため神となって現れた、つまり化身の神として崇められ、「六郷満山」の寺々の殆どに「六所権現」という神社が鎮座している。
「六郷」とは、むかし国東半島を安岐、武蔵、国前、伊美、田染、来縄の六つの郷に分けていたことに由来、また、「満山」は山の全てを仏の浄域と考え、浄域内に建立された山岳寺院の集合を称した。 (最初の写真は「宇佐神宮」、八幡大神の御神霊を奉祀し、全国に約4万余ある八幡社の総本宮)
■富貴寺■

六郷満山第2番霊場・富貴寺(平安時代建立の大堂、西国唯一の阿弥陀堂で九州最古の和様建築物)
■天念寺■

六郷満山第9番霊場・天念寺 (講堂、修正鬼会が催される)
■両子寺■

六郷満山第13番霊場・両子寺(満山随一の威容と評される石造仁王像と六郷中最古と言われる綜合門)
■霊仙寺■

六郷満山第20番霊場・霊仙寺 (格調のある楼門)
■文殊寺■

六郷満山第25番霊場・文殊仙寺 (本殿文殊堂、室町時代天文7年(1538)建立)
■泉福寺■

六郷満山第32番霊場・泉福寺 (九州最古の仏殿、室町時代大永4年(1524)建立)
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YOKOSUKA軍港めぐり...!

2015年03月11日 | ひとり言

【神奈川・横須賀市】先日、テレビの番組で都内や近郊で人気のある観光を幾つか紹介していたが、その中の上位に「YOKOSUKA軍港めぐり」というクルーズがあった。 いままで陸からは艦船を見たことはあるが、軍港内の船上から眺めるのも面白そうだったので、早速、行ってみた。
曇天の平日、最初の出航便の30分ほど前にチケットを購入したが満員になる直前で、桟橋がある岩壁には、既に乗船を待つ客が30メートルほどの列をつくっていた。
出航して直ぐ右手にアメリカ海軍基地が広がり、係留していたイージス艦(5隻)、航空母艦「ジョージ・ワシントン」そして潜水艦を比較的間近で見られてよかった。 長浦港は海上保安庁の拠点でもあり、巡視艇PC33「うらゆき」が港内を航行していた。 また、海上自衛隊司令部があって護衛艦や海洋観測艦なとが停泊、そして狭い新井堀割水路を通り抜けると自衛艦が数隻停泊していた。
クルージングは、横須賀港から東京湾に少しでてから長浦湾に入って帰還する45分ほどのルートだが、日米両艦船の説明だけでなく、ユーモアをまじえたユニークな案内が素晴らしく、大きな笑い声が何度も船上に響いていた。 今回の軍港めぐりを楽しみながら、他国の領海侵犯に対して命懸けで防衛してくれている海上自衛隊と海上保安庁に改めて感謝の気持ちを強くした。
軍港めぐりのパンフレットによると、横須賀港は江戸時代末期の嘉永六年(1853)、米国ペリー艦隊の黒船が浦賀に来航して以来、横須賀鉄工所、海軍工廠、軍港として発展したとある。
ちなみに、長浦港の奥にある東芝ライテック工場は、戦前に旧海軍工廠造兵部の機銃、無線、電気、砲熕工場などがあった場所で、敷地内には大正二年(1913)に建てられた旧造兵部本館(製図工場)があって今も使われている。 この建物は造兵部の面影を残す貴重な歴史的建築物とのことだが、残念ながら、船上からはよく見えなかった。
 
軍港めぐりの乗船場所(桟橋)で乗船を待つ人々/クルーズ船の船名は「Sea Friend V」

桟橋を離れたクルーズ船

満員で出航..船上デッキにカメラを抱えた人たちが..

直ぐ右手はアメリカ海軍横須賀基地

変わった形の船は監視艇か?

横須賀港を進む..前方左手の建物は横須賀地方総監部
 
係留中の護衛艦116「てるづき」..排水量約5,000トン、全長150.5m

米軍の潜水艦

米軍のイージス艦「54」「62」その奥は「85」

最新鋭の艦艇・イージス艦..壮観な姿だ!

イージス艦の後方甲板になびく星条旗

イージス艦「85」の左奥にもう2隻のイージス艦が..

日本に配備された初の原子力推進のニミッツ級航空母艦「ジョージ・ワシントン」
 
正面から見た「ジョージ・ワシントン」..全長333mでちょうど東京タワーの高さと同じ

「ジョージ・ワシントン」の右舷側

長浦湾の海上自衛隊司令部

海上自衛隊司令部がある桟橋に係留中の海洋観測艦5104「わかさ」..排水量2050トン、全長97m

戦前の旧海軍工廠造兵部の兵器工場跡に建つ東芝ライテック工場

長浦港に停泊中の3隻の掃海艦と役目を終えた潜水艦

掃海艦301、302、303..中央の301は「やえやま」..排水量1000トン、全長67m
 
海上保安庁の巡視艇PC33「うらゆき」             新井堀割水路を通り抜けるクルーズ船
 
護衛艦152「やまぎり」..排水量3500トン、全長137m
 
補給艦423「ときわ」..排水量は8100トン、全長167m

役目を終えた潜水艦の上で羽根を休める海鳥
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石仏の街・臼杵を訪ねた!

2015年01月07日 | ひとり言

【大分・臼杵市】寒気が日本列島をスッポリと覆っていた昨年12月上旬、数ある石仏の中で唯一国宝に指定された磨崖仏に逢うため、城下町そして石仏の街・臼杵市を訪ねた。 九州に行ったのは今回が2度目で、大分県は初めてだ。
JR日豊本線・臼杵駅で降りると、駅舎に向かって鎮座する大きな石仏のオブジェが迎えてくれる....流石に日本を代表する石仏の街を感じさせる演出だ。
早速、ロッカーに荷物を預け、駅舎の観光案内所で資料を貰い、まずは臼杵城跡に向かった。 臼杵城跡の井楼櫓跡から城下町を一望すると、白壁で古風な造りの建物や寺院などの甍が続き、武家社会にタイムスリップした感覚になった。
晴れた翌日、バスで深田の里を訪ね、丘陵地帯に鎮座する念願の磨崖仏に逢ったが、特に古園石仏には1千有余年前の色がいまも僅かに残っていて印象的だった。 
街中の寺院や史跡は歩いて巡ったが、近郊は無料のレンタサイクルを利用して巡ったので、ゆったりと散策を楽しめた。 (最初の写真は臼杵駅前の石仏(古園石仏中尊大日如来)のオブジェ)
■臼杵城跡■

臼杵城跡..登城路(古橋口と鐙坂)
■深田の里■

国宝臼杵石仏がある深田の里
■臼杵石仏■

国宝臼杵石仏の古園石仏..中尊は大日如来像
■稲葉家下屋敷■

旧臼杵藩主・稲葉家の下屋敷
■龍原寺■

城下町・臼杵のシンボルとされる龍原寺の三重塔
■二王座歴史の道■

城下町特有の面影を残す二王座歴史の道
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遠州三山紅葉めぐり…!

2014年12月17日 | ひとり言

【静岡・袋井市】11月下旬、家内と「遠州三山紅葉めぐり」というツアーに参加し、時々小雨降る中、遠州三山の境内の鮮やかな紅葉の景色を楽しんだ。 意外に人気がある紅葉めぐりツアーだったようで、実はキャンセル待ちで何とか参加できたのだった。
考えたら、紅葉をめぐるツアーに参加したのは今回が初めてで、燃えるような紅葉と好きな寺院の撮影に期待しながらバスに乗り込んだ。
最初に訪れたのは徳川家康とゆかりのある萬松山可睡斎で、堂宇や石造物の傍らにある真っ赤に染まったもみじは、まるで絵画を見ているようで印象的だった。
次に訪ねた医王山油山寺では、掛川城大手門を移設した城郭造りの山門付近の紅葉、そして境内奥の三重塔付近の鮮やかな赤や黄色の紅葉....特に三重塔と紅葉の光景は美しかった。
最後は法多山尊永寺で、仁王門(楼門)から2つの長い参道が続いているが、老杉が聳え立つ側の参道では、苔の絨毯に佇む石燈籠と真っ赤な紅葉の光景が何とも言えない風情を醸し出していた。 2つの参道の間に広がる紅葉は目を見張るばかりで、バスの出発の時間を気にしながら写真を撮りまくった。
(最初の写真は萬松山可睡斎....室町時代応永八年(1401)創建)
■可睡斎■

可睡斎..本堂前の紅葉と珍しい形の石燈籠
 
可睡斎..座禅堂前の紅葉と石燈籠                可睡斎..輪蔵堂と紅葉
■油山寺■

医王山油山寺....古墳時代大宝元年(701)創建

油山寺..山門傍の紅葉
 
油山寺..三重塔と紅葉                        油山寺..三重塔傍の紅葉
■尊永寺■

法多山尊永寺....奈良時代神亀二年(725)創建

尊永寺..本坊付近の紅葉                       
 
尊永寺..老杉参道側の石燈籠と紅葉/尊永寺..鐘楼と紅葉

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観音崎の紫陽花!

2014年06月24日 | ひとり言

【神奈川・横須賀市】梅雨の中休みで晴れた先日、インターネットで入手した「観音崎公園アジサイマップ」を片手に、観音崎公園を散策しながら紫陽花を観賞してきた。
まだ会社勤めをしていた10年程前、タイの研修生を連れて鎌倉・長谷寺に紫陽花を見に行ったことがあるが、紫陽花観賞を目的に出かけるのはそれ以来だ。 とはいえ、あまり期待せずに観音崎公園に出かけたのだが、意外にも見応えのあるいろいろな種類の紫陽花を観賞できた。 中でも、横須賀美術館の脇の散策路に咲き誇る鮮やかな藍色の紫陽花群には感嘆した。
平日だったので公園を散策する人はまばら…まさに一人占め状態でのんびりと紫陽花を撮影できた。
      
      観音崎の海岸と灯台              「かながわの景勝50選 観音崎」と刻まれた石標
               
                観音崎園地に咲く紫陽花群
      
      淡いピンクと青の紫陽花
               
                額紫陽花
       
     額紫陽花にはいろいろな種類があって見ていて癒される感じだ
              
               横須賀美術館の傍の散策道に咲く鮮やかな藍色の紫陽花群
      
      藍色の紫陽花の花弁の大きさが異なるコラボがなんともいえない
               
                花弁の枚数が多い額紫陽花..見つけたのはこれだけだが珍しいのかな?
      
      額紫陽花             花弁が眩しいほど白い額紫陽花
               
                濃いピンクの額紫陽花
       
      花弁の縁に小さなギザギザがある額紫陽花
               
                こちらの薄いピンクの額紫陽花の花弁にもギザギザが..
               
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尾道古寺巡り!

2014年02月04日 | ひとり言

【広島・尾道市】先月末の平日、初めて広島県を訪れ、尾道の「古寺巡り」を楽しんできた。
広島空港からバスでJR三原駅に向かう中、車窓からの景色を眺めていてアレッと思った。 それは、入母屋造瓦葺屋根の民家の多くが、大棟の両側に小さな鯱を乗せているのだ。 いままで屋根に鯱を乗せた民家を見たことがなかったので、あらためて広島に来たことを実感....ワクワクしながら尾道に向かった。
乗り換えて尾道駅で下車、駅舎内の観光案内所で「尾道観光案内図」を貰い、荷物をコインロッカーにそそくさと押し込んだ後、下調べ資料を片手に寺社巡りをスタートした。
気温12℃前後の澄んだ青空の下、まずはアーケードのある商店街の入口に佇む林芙美子像を撮影した後、直ぐに千光寺山の西麓にある済法寺に向かった。 その後、尾道三山の麓に窮屈そうに建ち並ぶ寺社をほぼ古寺巡りコースに沿って巡ったが、整備された石畳や石段といえども、アップダウンの繰り返しに少々堪えた。
伽藍・堂宇の撮影にたっぷりと時間を掛けたのと、街中にある博物館や資料館なども見学したので、36個所の寺社巡りに丸3日間掛った。
少しくたびれたリュックサックを背負い、地図とカメラを持ってウロウロする姿に外来者だと気づいたのか、門前や街中で何度かご年配の方に励ましの声を掛けられ、また、お願いしたわけではないのに寺社の由緒などついて説明してくれた方もいて、嬉しかった。
     
     JR尾道駅と千光寺山                      商店街の入口に佇む林芙美子像

      
     整備された古寺巡りコースの石畳や石段..アップダウンの繰り返しで少々堪えた
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狂い咲き....!

2013年10月29日 | ひとり言
         
【自宅】台風27号が関東の南の海上を進んでいた26日(土曜日)の夕方、偶然にも、玄関先に数株植えてある皐月に一輪の花が咲いているのを見つけた。
ちょうど雨上がりだったので、見るとピンク色の花弁にたくさんの水玉がのっていて、何とも言えない可憐さだった。
そういえば、先日、テレビで桜が狂い咲きしたというニュースが流れていたことを思い出したが、まさか我家で....本当に吃驚した。
先日まで気温が高かったので、数日前から蕾があったと思うが、まったく気づかなかった。
いまは世界的に異常気象のようで、春の花が狂い咲きするていどならまだいいのだが、国内外で大雨と洪水が頻発していて心配だ。
     
     低い位置で咲いたこともあって全然気がつかなかった....まさに「灯台もと暗し」だった!
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サギ草の花が咲いた....!

2013年07月22日 | ひとり言

【自宅】7月3日、家内の要望で少し遠い郊外の花屋さんに車で出かけ、そこで、サギ草を見つけ2鉢を購入。
数年前、本で世田谷区にある某寺院の本堂脇に「サギ草園」があることを知って以来、ずっと探し求めていたが、街中の花屋さんやホームセンターの園芸コーナーにはなかった。
育て始めてから19日目の今朝、ついに、一輪だけれど可憐な花が咲いた。 小さな白い花のその姿は、まさに大空を羽ばたく白鷺のようで、かわいくて美しく....眺めていて飽きがこない。
朝起きてまずサギ草を観賞するのが日課になっているが、蕾がいっぱいあるので、これから暫くの間、可憐な花を楽しめそうだ。
     
     まさに羽を広げて大空を飛ぶ白鷺のようで美しい!
              
               可憐な白い花はかわいくて、眺めていて飽きない
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ジャカランダの花....!

2013年07月03日 | ひとり言

【神奈川・横須賀市】神奈川歯科大学(横須賀市)の構内にジャカランダの木があるということで、6月後半の晴れた日に出かけ、ジャカランダの花を観賞してきた。
大学の警備室で、ジャカランダの花を観賞させてくださいと告げると、外来者の記入登録もなく、ジャカランダのある位置を丁寧に教えてくれた。 教えて貰った方向に構内を進むと....あった!短期大学部前のロータリー近くにジャカランダの木が....。
昨年6月に福州市内で観賞して以来、久し振りに見る鮮やかな紫色の花....意外に近い所で観賞できて感激した! 訪問時、何組かの老夫婦や年配の女性たちが、やはりジャカランダの花を観賞しに来ていた。
     
     短期大学部前のロータリー近くに咲くジャカランダの花..葉が出る前に咲く花だが意外に葉が多い
              
               鮮やかな紫色の花が美しい
   
 案内板によるとジャカランダは世界三大花木の一つ(他の二つはカエンボク,ホウオウボク)
              
               青空をバックに紫色が映える
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