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何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

サン・ピエトロ寺院 (イタリア)

2010年12月18日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ・バチカン市国】キリストの12の使者の一人で一番弟子だったピエトロ(ペテロ)のため、324年コンスタンティス皇帝が聖ピエトロの墓の上に25年かけてバロック式木造建築の教会がカトリックの総本山。
ユリウス2世のもとで1506年から修復が開始され、その後、ラファエロやミケランジェロ(1546年以降)も設計や監督として参加した。 ミケランジェロが設計したクーポラは1593年に完成、高さは約180mある。また、ミケランジェロ25歳(1499年)の時に完成した大理石の「エピタ」が....キリストの死を嘆き悲しむ聖母の姿を描いたものだ。
大聖堂の内部に入る…大きな空間が広がっていて荘厳さが漂い、歴史を感じる素晴らしい装飾、彫刻、絵画が迫ってくる。 また堂内は、緻密に採光を取り入れ、照明の効果とも相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。
 
大聖堂は聖ピエトロの墓の上に約120年かけて建築....高さ約120m、幅156m
 
大聖堂前の聖ピエトロ像....イエスから授けられた天国の鍵を右手に持つ
 
屋上の聖人像はイエスと12人の弟子か....            大聖堂前の剣を持つ聖パウロ像

オベリスク越しに眺める美しい寺院....それにしても凄い人出だ
 
ミケランジェロ設計の大聖堂の上のクーポラ、高さ約180m ケランジェロ死後の1593年完成 
 
寺院の正面、巨大な円柱8本と角柱4本、9つのバルコニーが....
 
                     柱廊玄関....天井の装飾が素晴らしい   

荘厳さが漂う広大な空間が広がっている
 
巧みに取り入れている自然の光の効果と照明....堂内が幻想的で美しい

壁には緻密な装飾が所狭しと並ぶ....
 
中央にある主祭壇....ベルニーニ設計の4本柱の鍍金ブロンズ製

この主祭壇で一体どのような祭事が行われるのだろう....と、しばし考えてしまった!

左奥には聖ピエトロの司教座が....
 
寺院の最奥....荘厳な雰囲気が漂う後陣のピエトロの玉座

どこを見ても見事な装飾と彫刻が....
 
ミケランジェロの作品....大理石のピエタ像(1499年)
 
見事な彫刻が並び....驚嘆するばかりだ!
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バチカン美術館 (イタリア)

2010年12月18日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ローマ・バチカン市国】北側にある団体専用入口から入り、直ぐにバチカン美術館の中庭に出た。 ここは「ピーニャの中庭」と呼ばれ、1~2世紀のローマ時代に造られたバチカンのシンボル、ブロンズ製巨大松ぼっくり(ピーニャ)の噴水が....。
中庭の中央には、1990年のアルナルド・ポモドーロ作の「球のある球体」がある。 両側の大きな建物がサン・ピエトル寺院に向かって真っすぐに伸びている。 美術館の階段を上がって上の階の回廊に....。 「燭台の間」では、両側に燭台の彫刻と比較的小ぶりの彫像が収蔵され、次の「タペストリーの間」には教皇レオ10世時代のラファエロとその弟子たちによるペテロとパウロの物語やクレメンス7世時代の福音書の物語をテーマしたタペストリーが展示。 更に進むと、バチカン美術館で見逃せないスポットの1つ「地図の間」が....壁にもずらっと古い世界地図が並び圧倒される。

バチカン美術館の北側の建物
  
錬金ブロンズ製の巨大松ぼっくりの噴水が....バチカンのシンボル

松ぼっくり噴水の基台部分....台座に古代エジプトの象形文字が刻まれているライオン像
 
アルナルド・ポモドーロ作の「球のある球体」....直径は4m

南側にはシスティーナ礼拝堂とサン・ピエトロ寺院のクーポラの頭部がチラッと見える
 
内部紹介の写真を展示....システィーナ礼拝堂と旧約及び新約聖書の物語の壁画(左)、ミケランジェロの
創世記を主題にした天井画(中)と祭壇画「最後の審判」(右)

中庭からこの階段を上って上の階の回廊へ....

まずは「燭台の間」に....通路の両側に燭台の彫刻と彫像が並ぶ
 
彫像群....素晴らい作品に多くの訪問者が見入っていた
 
彫像群....説明では像は必ず左右のバランスをとるように造られているとか

ここから「タペストリーの間」に....
 
見事なタペストリーが続く....が、この間はチト薄暗い感じだ

ここから地図の間に....
 
有名な撮影スポッでもある「地図の間」....壁にも古い世界地図が
 
この場所を失念....素晴らしい天井画
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アッシジ旧市街 (イタリア)

2010年12月13日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・アッシジ】スバジオ丘の城壁に囲まれた中にあるアッシジ旧市街。 堅牢な城門から中に....古い街並みが続き何だか中世にタイムスリップしたような感覚に....。
景観を損なわないように石壁をくりぬいたような所に小さなお土産屋さんが....道にはみ出していないので、近くに行かないと店の存在が分からない造りだ。 聖フランチェスコ教会から丘を見上げると、一番高い所に城の見張り台のようなものが見える。
 
堅牢そうな城門                           聖フランシスコ教会へ向かう城門

街中の四差路....絵になる眺めだ!
  
四差路に構えた土産屋さん....目立つ店構えだ
  
狭い街並みが続く

聖フランシスコ教会から見上げた旧市街
 
最も高い位置に見えるのは....城の見張り台か?
 
石壁に埋め込んだような構えのお土産屋さん....このような店があちこちに見られる
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聖フランチェスコ教会 (イタリア)

2010年12月11日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・アッシジ】イタリア中部のウンブリア地方のアッシジの町に、聖フランチェスコが静かに眠る教会。 1226年に永眠したフランチェスコを祀る聖堂は、教皇グレゴリウス9世によってスバジオの丘の傾斜地に建てられ、1253年に完成。 教会は上部聖堂と下部聖堂という独自の複雑な2層構造で、下部聖堂にフランチェスコの遺体が納められた石棺が安置されている。
教会は、上部聖堂、下部聖堂そして宝物館で構成されている。 上部聖堂はイタリアンゴシック様式で天井が高く、また、階段や柱も無くステンドグラス越しの光が入る明るい感じの構造。
一方、下部聖堂はロマネスクーゴシック様式で、低いアーチ天井と柱で区切られた空間が薄暗く濃厚な色使いの壁画と相まって、神秘的で荘厳な雰囲気を醸し出している。
残念ながら、聖堂内は撮影禁止....素晴らしい内部は記憶に....。

スバジオ丘の傾斜地に山から張り出すように聳え立つように建つ
 
城門から眺めた聖フランチェスコ教会 広場の先に下部聖堂への入口が....
 
広場は小アーチが連続する柱廊式回廊に...巡礼者や病人達を保護する為に造られた   
  
堅牢そうな鐘楼            ファザード近景            奥の石段から上部聖堂へ....
 
下部聖堂のファザード横の石段から上部聖堂を見上げる   鐘楼の手前は監視台かな?

聖フランチェスコ教会の上部聖堂全景

シンプルだが重層感がある上部聖堂....正面にファザードが....
 
堅牢な造りに見える教会                      上部聖堂ファザード近景

上部聖堂の広場から見た広場と遠くの田園風景   
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オルチャ渓谷 (イタリア)

2010年12月02日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】トスカーナ州シエナ県にある美しい丘陵地帯がオルチャ渓谷。 素晴らしい風景が広がる谷で、糸杉がある広大な田園風景とその景観には言葉を失う....。
多分昨晩降ったと思われる雪が残る丘陵....シエナからアッシジに向かうバスの中からの眺めだったが、実に美しく印象的な風景で感動した。

どこまでも広がる美しい田園風景
                  
                  のどかな美しい丘陵が続く....

雪が残る丘陵

糸杉がかたまって見えるところは小さな街になっているようだ....
                  
                  バスの行く手に小さな街が見える

途中で通過した街の風景-1

途中で通過した街の風景-2  左側に小さな教会が見える
                  
                  糸杉が何とも言えない風情を醸し出している
                  
                  まるで大海原を行くが如し....
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シエナ街並風景 (イタリア)

2010年11月29日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】フィレンツェの南方60kmにあるトスカーナ丘陵地帯の中心に位置する人口6万人ほどの街で、元々はローマの植民地であったが、7世紀からカッシア街道の要所となり商業と金融で繁栄。 しかし、1559年、メディチ家を君主とするトスカーナ大公国に併合され、城塞が築かれた。
伝説では、牝狼に育てられた双子の兄弟ロムルスとレムスが権力争いし、レムスを殺したロムルスがローマを建設し、殺されたレムスの息子達がシエナを造ったといわれる。
中世は政治的に対立していたフィレンツェのロマネスク様式に対し、シエナはゴシック様式を採った。

700~800年前の街並みがそのまま残る旧市街を歩く。
黄褐色の建物が並ぶ街並みを見ていると中世の街中に紛れ込んだ感覚になり、まさに中世にタイムスリップした気分に....感動した。

一見殺風景な風景だが、ひしひしと歴史を感じる....
  
700~800年前の街並みがそのまま残っている....黄褐色の建物が並ぶ街並みは「シエナ色」といわれる

このような三叉路の風景は....絵になる

どの風景も700~800年前と同じ様相を見せている
  
敵の侵入を防ぐ門だろう....至る所にある建物を繋いだ場所が門の役目か?

城塞として築かれたので、建物の構造も....
 
アーチ形の入り口....風情がある構えだ

何かの催しのポスターを見つけた....

お店のショーウインドウ....双子を育てた雌狼のチョコレートがある
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トロメイ広場 (イタリア)

2010年11月28日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】長方形をしたトロメイ広場....シエナのシンボルである「双子に乳を与える牝狼の像」を乗せた円柱(1610年制作)が立つ。
広場の奥には、12世紀建立のシエナで最も古い教会のひとつであるサン・クリストーフォロ教会がある。
広場と道を挟んで向かい合って建つのが13世紀初頭にトロメイ家によって建てられたトロメイ館。

サリンベーニ広場と同じくバンキ・ディ・ソプラ通りに面してあるトロメイ広場。
双子に乳を与える牝狼の像がトロメイ館の方をジィ~ッと見つめている。
牝狼の像の後方には、落ち着いた構えの古いサン・クリストーフォロ教会がひっそりと建っている。
 
トメロイ宮は13世紀の建築でシエナで一番古い貴族の館   トロメイ館と広場の円柱

中央はサン・クリストフォーロ教会
 
サン・クリストフォーロ教会の近景....落ち着いた雰囲気が漂う
 
牝狼が双子の赤ん坊を育てている像
 
この像はシエナのシンボル(ローマのシンボルでもある)
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サリンベーニ広場 (イタリア)

2010年11月27日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】サリンベーニ広場は、ゴシック(サリンベーニ館..14世紀)、ルネッサンス(スパノッキ館..15世紀)、そしてバロック(タントゥッチ館..16世紀)という三つの様式の建物で囲まれている。 サリンベーニ館は13世紀後半からシエナの有力者として実権を握っていたサリンベーニ家の城館で、要塞だった。 広場中央に立つ像は、17世紀の会計学者・政治経済家のサルスティオ・バンディーニの記念碑。

バンキ・ディ・ソプラ通りに面してあるコの字型のサリンベーニ広場。 広場の中央にサルスティオ・バンディーニの像が立ち、三つの異なる様式の建物に囲まれている極めてシンプルな広場だ。
 
広場中央のサルスティオ・バンティーニの像(1880年制作)  正面がサリンベーニ宮
 
サリンベーニ宮は14世紀のゴシック建築で一番古い     サルスティオ・バンティーニ像の近景
 
右側はスパンノッキ宮で155世紀のルネッサン様式の建築  上部に有名人の首が並ぶ....

サリンベーニ宮の左側はタントゥッチ宮

タントゥッ宮は16世紀建築のバロック式
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カンポ広場 (イタリア)

2010年11月26日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】カンポ広場は1347年完成で、世界で一番美しい広場の一つと言われる。 広場は床に煉瓦が敷き詰められた貝殻のような形をしていて、要の部分に1320年完成のプブリコ宮殿(市庁舎)が建ち、都市国家シエナの中枢だった。 床は白い石で九区画に分けられているが、1287年の九君主制「ノーヴェ」発足に由来。プブリコ宮殿の“プブリコ”は「公共の」という意味で、英語のパブリックにあたる。 また、「マンジャの塔」の“マンジャ”は建築当初に鐘をついていた「マンジャグアダニ」という男の名に由来。
中世の街並みを進むと建物の間からプブリコ宮殿とマンジャの塔が見えた。 更に歩を進めると目の前がパッと開け....カンポ広場だ。 カンポ広場を囲むようにゴシック調の建築群が建ち並び、建物の1階はカフェや土産物屋さんが軒を連ねる。 すり鉢状の底の位置に威風堂々とプブリコ宮殿とマンジャの塔が建つ。
 
街の建物の間から眺めたカンポ広場....      

プブリコ宮殿全景....マンジャの塔は高さ102mでイタリアで2番目、1338年着工で1348年完成
 
鐘楼部分の高さは87m,プブリコ宮殿は市庁舎として1282年着工1320年完成....いまも現役で....

塔の入口下の部分にある広場の礼拝堂....1352年着工で1376年完成
 
1348年にシエナを襲ったペストの終焉に感謝して建築された

ゴシック建物群...ドゥオモの鐘楼とクーポラがチラリと見える

歴史を感じさせる建物群
 
ゴシック建築群の建物が建ち並びカフェが軒を連ねる      建物の間の通路に店を....

落ち着いた雰囲気のカフェ
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シエナのドゥオモ (イタリア)

2010年11月26日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】1136年に着工され約200年後の14世紀に完成したが、長い期間の建築のため、正面下部はロマネスク様式、上部はゴシック様式という両建築様式が融合した不思議な魅力を持つ....。 本体を先に造り、その後の1284年~1382年の間、2回に分けてファサードが取り付けられた。鐘楼が完成したのは1313年。
狭い路地を通ってドゥオモに入る。 大聖堂は大理石で造られ、白を基調として濃い緑(黒っぽい)の縞模様が特徴的、更にファサード部に赤い大理石が....。 外壁は無数の精緻な彫像と美しいモザイク画で飾られ、威風堂々たる雰囲気を醸し出している。
 
古い家並みの間を通りぬけてドゥオモへ....白と濃い緑の大理石で造られたドゥオモの高い壁

ドゥオモの全景....鐘楼と僅かに顔を見せているクーポラが印象的だ!
   
ドゥオモの正面....ロマネスク様式とゴシック様式が融合した不思議な魅力を持つ

前面の外壁には多くの精緻な彫像と美しいモザイク画
  
美しい鐘楼とクーポラ....鐘楼の上からシエナの街を一望したかったが....

鐘楼が天に聳える....
  
大聖堂前に立つ塔の上には狼が双子の赤ん坊を育てている像が....
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サン・ドメニコ教会 (イタリア)

2010年11月25日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】シエナにきたドメニコ会の創始者聖ドメニコ・グツマンが1225年に着工、1465年に完成した総レンガのゴシック様式の教会。 その後、2度の火災、軍隊占拠、地震などの災難を被り荒れたが、1941年から始まった修復工事で現在の姿に。
質素な造りの教会だが、訪問者か参拝者かは分からないが出入りする人が意外に多い。ここからドゥオモの遠景が楽しめる。

サン・ドメニコ教会の遠景....右奥はドゥオモ

レンガ造りの重厚な建物
 
木立の中にひっそりと建っている感じだ....遠くにドゥオモの鐘楼が見える
 
極めてシンプルな構造だ
  
祈りを終えてファサードから出てくる信者....いやッ観光客かな?     教会の片隅にひっそりと立つ石像

レンガ造りの鐘楼....まさに総レンガ造りの教会
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メディチ家の要塞 (イタリア)

2010年11月25日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・シエナ】1560年にメディチ家のコジモ1世が建築させた赤いレンガ造りの大きな要塞。
非常に大きな建物だが中は空洞で、要塞内部には「エノチカ」というワインレストランやジャズクラブが....要塞の上はかなり広く、遊歩道に。
観光バスが要塞のすぐ傍の駐車場に着いた。 既に多くの車が停まっていて、訪問客はみな同じ方向に蟻の如く連なって歩いているが、その方向はこの要塞でなくシエナの街の散策のようだ。

何の変哲もないただの石壁に見えるが....
 
堅牢で高い石壁で囲まれた要塞   
 
外敵を睨みつけるような動物?の彫りもの かなり高い石垣だ!

昔の入り口だろうか?
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ドゥオモ広場 (イタリア)

2010年09月19日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ピサ】バスターミナルで観光バスを降り、ドゥオモ広場に向かう汽車を模した連結バスに乗り込んだ。 下車後、土産屋さんが並ぶ城壁の脇を通って街の西北にある城門へ....。
城門に立ち、「奇跡の広場」と呼ばれる緑の絨毯を敷いたような美しいドゥオモ広場を眺める....ドゥオモの陰から顔を出すように傾いた鐘楼を見て....「ピサの斜塔」に来たことを実感。
広場のあちこちで、お決まりの斜塔を支えるポーズで楽しそうに写真を撮る観光客が....なかなか微笑ましい光景だ。
 
観光バスからこの連結バスに乗り換えてドゥオモ広場に....   北側の城壁
 
城壁の脇に立ち並ぶお土産屋さん
 
街の北西にあるドゥオモ広場の城門
 
城門のアーチから眺める広場    西日を浴びた広場の全景 

緑の絨毯を敷いたようなドゥオモ広場

ドゥオモ広場

大聖堂の北側に位置する墓地・納骨堂「カンポサント」
  
街の案内版....どこで撮ったか失念
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洗礼堂 (イタリア)

2010年09月19日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ピサ】洗礼堂は大聖堂より遅い1152年から建設が始まり、約200年かけて建築。
下層は直径35mの円形の堂でロマネスク様式、上層は尖頭アーチが連なるゴシック様式になっている。
内部の洗礼盤は1246年にグレード・ダ・コモが....そして、説教壇はジョヴァン・ピサーノの父ニコラ・ピサーノが1260年に製作。

城門を入ると、濃い緑の芝生が広がる広場の一番手前に建つ洗礼堂にまず目が行く。
長い時間をかけて建築されたため上層と下層の建築様式が異なる....木造建築に住む日本人にはなかなか理解できないかも? 時間の関係で中に入れなかったが、入口の扉の上にあるマドンナ像が訪問者をやさしく迎えていた。
 
12世紀~15世紀にかけて建築された洗礼堂

ドーム型の屋根は14世紀に造られたゴシック式....針を刺したような姿が印象的

正面入口の扉の上のマドンナ像はジョヴァン・ピサーノの作
  
大聖堂の真正面に建つ洗礼堂
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ピサのドゥオモ (イタリア)

2010年09月18日 | 史跡探訪-イタリア編

【イタリア・ピサ】都市国家として栄えたピサは11~13世紀に港町として発展したが、それ以前のローマ時代から軍港として栄え、ローマ人は海軍基地にしていた。
11世紀初期にイスラム教徒と海上で戦った際の戦利品(金銀財宝)を大聖堂を建てる資金に....1063年のこと。 建物はフィレンツェの大聖堂より古い、ロマネスク様式の建物。

13世紀に取り付けられた3つのファザードの右端の扉から大聖堂内に....。 正面の左奥に建築家であり彫刻家であるジョヴァン・ピサーノが1311年に造った美しい石彫の説教壇があり、ジックリ拝見。
天井からは「ガリレオのランプ」と呼ばれるランプがぶら下がっているが、ガリレオがこのランプを見て振り子の等時性を発見したと言われている。 しかし、このランプは等時性を発見した6年後の1587年に造られたとのこと....「ガリレオのランプ」と呼ばれる由来を知りたいものだ!

荘厳な雰囲気の堂々たるドゥオモ

1063年から建築開始....フィレンツエ大聖堂よりも古い
  
ファサードの大きな扉         イスラム教徒との海戦で勝利した戦利品を売った利益で建てられた

左隅にカンポサントという墓地(納骨堂)がある
 
ロマネスク様式の大聖堂

ドゥオモ近景....堂々たる構えだ

ドゥモオ内部....イスラム文化の影響を受けている
 
パレルモ沖海戦の戦利品である68基の円柱が並ぶ....正面のモザイク画「玉座のキリスト」
 
天井のフレスコ画は1595年の火災の後の加えられた
 
天井からぶら下がるガリレオのランプ(1587年作)

彫刻家&建築家ジョヴァンニ・ピサーノによる最高傑作(1311年作)
  
キリストの生涯を表す浮き彫りの石彫の説教壇....「信仰・希望・慈愛」を表現
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