けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

チャレンジとその結果の失敗について

2013-06-23 23:58:57 | 政治
先日、フリーアナウンサーの辛坊治郎さんが、盲目のヨットマンの岩本光弘さんと行っていた太平洋横断への挑戦に失敗し、ヨットを捨てて救命ボートで漂流しているところを海上自衛隊の救難飛行艇に救助され、無事に帰還した。今日はこの件についてコメントしたい。

私は出発前から日テレの「ウェークアップ!ぷらす」で紹介されていたため、無事にアメリカに辿り着けることを祈っていた。金曜日に出先で辛坊さんたちのヨットが浸水し、船を捨てたとの報を知って、無事に帰って来れることを祈っていた。このニュースを聞いて思い出したのは、冒険のレベルからすれば全然違うのかも知れないが、冒険家の植村直己さんがマッキンリーで遭難した報を聞いたときのことである。遭難と一報が流れた後、無事が確認されたなどの報もあり、どれが本当かと気になって毎日新聞を眺めていた記憶があるが、結局、帰らぬ人となった。レベルで見ればどうか知らないが、先日も三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登頂に成功した。これまた、ただただ無事を祈っていたが、驚くことにエベレスト山頂から電話連絡が入り、TBSの「ひるおび」ではリアルタイムで登頂成功と生の声が届いていた。これらどれをとっても、見方によっては無茶な話だし、人騒がせな迷惑な話とみることもできる。しかし、冒険とは人々の心に熱い何かを呼び起こさせるものであり、三浦雄一郎さんのエベレスト登頂のニュースを見て、高齢者の中にはまだまだ自分も頑張れると思った人も少なくないだろう。だから、この様な冒険を「人騒がせだ!」と言ってしまえばそれも一理あることは認めながらも、そんな簡単に切って捨てることはできない。

最近の報道やネットに流れる情報の中には、実は出航前から船に不具合も所々見つかっていて、それでも無茶したから国民の血税を使うことになったと非難する人たちが少しずつ出てきている。あれだけ海上自衛隊が動き、計3回(うち一回は現状確認のための飛行)も遭難地点との間を往復し、噂では1千万円を遥かに超える血税を無駄にしたとも言われ、それを「自費で払え!」という人もいる。自衛隊の出動に際しては、山岳救助などとは異なり、救出に要した費用は支払う必要がない。しかし、ひょっとしたら辛坊さんは自腹で払うかも知れないと個人的には感じながら、実際に費用を払おうが払うまいが、そんなことで今回の評価が変わる(例えば「払えば許してやる」とか)ものではないと思っている。

ただただ感心するのは、自衛隊の方々の意識の高さを思い知らされたことである。戦争のない時代に自衛隊に入隊する人々の中には、絶対に失業しない公務員のひとつ程度にしか考えていない人もいるのではないかと思いながら、今回、水陸両用の救難飛行艇「US-2」の着水能力(3mまで)を超えた4mもの波の上に、エンジンが水を被り一時は利用不可の状態になりながら、水上にて真水でエンジン内部を洗い、何とかエンジンを復活させて無事に帰還できることになったという。その時、自衛隊員は11名が搭乗していたというから、2名を救助するために11人をさらに犠牲にするリスクもあった訳だ。しかし、それでも命がけで救助する隊員の責任感には感服する次第である。実際、辛坊さんの記者会見によれば、体温の低下が激しく、夕方のラストチャンスを逃したら翌日まで体温が持つかどうか、半ば諦めかけていたというから、あの隊員たちが辛坊さんたちの命を救ったのではないかと思う。でも、彼らは決して救助のことを恩着せがましく感じることもないだろうし、当然のことをしたまでと感じているのだろう。

結論から言えば、遭難したのだから辛坊さんたちの責任問題が問われるのは結果論として仕方がない。ただ、帰国後の記者会見を見ていれば、辛坊さんの対応の適切さが強く感じられる。まずは、ヨットを見切るタイミングである。あれだけの大見得を切って出発したのだから、少しでも船に執着する気持ちがあれば判断のタイミングを誤り、逃げ遅れて死に至る可能性があった。今回は盲目のヨットマンが一緒だったから、目で見て多くの情報を瞬時に収拾し、辛坊さんが主体的になってヨットの放棄を判断せざるを得なかったのだろう。辛坊さんからすれば、記者会見でもあったように岩本さんを無事に返すのが最大の仕事だと自覚していたから、目の見える人が避難するギリギリのタイミングよりは、盲目の分だけ早く判断する必要があったのだろう。断腸の思いの中で、よくぞ決断してくれたと他人事ながら感心する。さらには、記者会見での発言をみれば、自分たちの非を前面に認め、ひたすら謝罪と感謝の気持ちを表し、一方で、記者たちが知りたいだろうことに対しては真摯に回答する。再チャレンジにしても、「口が裂けても、そんなことは言えない」と答えていた。巷ではリスクマネージメントと言う言葉で取られるが、今回の謝罪記者会見はその教科書の様な会見だった。それが、白々しく「ここは謝っておいた方が得!」というニュアンスではなく、心からの感謝の気持ちが第1、言葉に尽くせないストレートな謝罪の気持ちが第2と、正直に語っていた。「こんなことを言うのはどうかと思うが、(あの意識の高い自衛隊員のいる)この国に生まれて良かった(だから助かった)」というのは、人によっては白々しいと言いたいところだろうが、私にはズシンと伝わるものがあった。海上自衛地のワッペンをずっと手にもって会見していたところからも気持ちは伝わってくる。

多分、冒険家にもマナーがあるのだろう。救助・救出のために多くの人に迷惑をかけ、血税も大量につかうことになったとしても、それ自体はある意味で仕方がないことである。しかし、その様な迷惑をかけておきながら、その後も懲りずに我を通すとなれば、それはマナーに反するものだろう。勿論、安倍総理ではないが、一度失敗した人が再チャレンジできる世界というのは歓迎するところではあるが、呑気に「じゃあ、俺も!」と言われては大迷惑であり、少なくともその責任の大きさを自分の中で受け止められる人を我々は期待している。

話は逸れるが、サッカー日本代表がコンフェデ杯で3戦全敗で敗退した。セルジオ越後さんなどが監督更迭の選択肢を示し、ラモス瑠偉さんも監督采配を責めていた。私は、今回の見所は1戦ごとにどの様にテーマを設定し、その様にそれに取り組むかを見るべきだったと思う。最大のテーマは言うまでもなく、如何に「チャレンジするか!」なのだと思う。攻撃にチャレンジすれば、その分だけディフェンスには無理がかかる。トルシェ監督の時にはひたすら守備を固め、攻撃は1発勝負の個人技だけに頼るように割り切ったチーム作りを行った。そのため、ディフェンスラインに森岡や中田(浩)の様なロングボールを高精度で前線にフィードできる選手を重用した。日本の様な勤勉な国では、その気になればベスト16に進出できる程度の守備力を身に着けることが出来ることを彼は証明した。しかし、そこにはチャレンジがなかった。2006年のドイツ大会では、何とも中途半端なチームで、中田英が試合後に引退を決意するにまで至った。

今回、ブラジル戦ではチャレンジが出来なかった。しかし、本田のキープ力は光っていたし、それなりに確認できる部分はあった。イタリア戦ではその失敗を反省し、とにかくチャレンジを意識した。勝っていても守りに入らず、常に攻めを心掛けた。3対3に追いついたところで、決して引き分けで勝ち点を取ろうとも思わなかった。結果、負けはしたが多分、相手には相当な屈辱を与えたに違いない。「本来は、我々は勝者に値しない」と思わせるまで。しかし、そのイタリアの動きが最後の方で悪くなっていた背景には、中2日での試合であったことは間違いない。最後のメキシコ戦では、前半の日本の動きは非常に良かったが、後半は相当へたばっていた。本田ですら後半は、全く見る影もなかった。イージーなミスを多発し、イタリア戦でのキレとは別人のようになっていた。しかし、これは多分、ペース配分など考えずに積極的に試合を運んだらどうなるかということを確かめていたのだと思う。吉田と内田が外れたのは、イタリア戦でのミスを選手に「仲間はどうか知らないが、自分自身では『ドンマイ』では済ませるなよ!」というメッセージの様なものであったと思う。そして、2点差がついたところでザックは長年の懸案である3バックに大舞台でチャレンジする。しかし、長友の怪我でそのシナリオも狂い、中途半端に終わった。

しかし、チャレンジはそこにあったのだと思う。だから、そのチャレンジ精神は評価すべきであり、今はその結果から次のための何かを引き出して改善すべき時なのだと思う。それを安易に手放しで褒めるのもどうかと思うが、評価すべき点は評価されてしかるべきだと思う。

殆どこの辺になると、ザックのことが好きか嫌いか、辛坊さんのことが好きか嫌いかでしかないのかも知れないが、チャレンジしたことは評価すべきことで、その結果の失敗は覚悟することも必要なのだと思う。

たまたま、同時期に感じたことであるが、現在の日本にもチャレンジは必要である。そのことの意味は深いものであるが、如何なる場合においても、万全の準備のもとでチャレンジする心を忘れないでいたいと思う。

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