けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

『政治主導』から『官僚主導』へ(官僚の正しい使い方)

2011-12-08 22:06:02 | 政治
今回、敢えて逆説的な提案をさせて頂く。このテーマで全ての問題を解決することなど出来るはずもないが、問題提起だと思って読んで欲しい。というか、思考実験と思っていただいた方が良いかもしれない。

私の提案は、「『政治主導』の代わりに『官僚主導』の体制を確立すべし!」である。なんと馬鹿げた提案だろうか(少々、自虐的に・・・)。

論点はこうである。政治家が政策を決める時、例えばTPPの例など分かり易いが、多分8割以上の政治家は常に「何が選挙に有利か?」「どうすれば票につながるか?」を判断基準にしている。この様な下心丸出しの行動で、到底、正しい国のあり方に導くことなどできようはずもない。ある意味、選挙で一喜一憂しなければならない議員の性である。

となれば、どうすれば選挙などの下心に左右されない政策決定のシステムを確立するかと言うと、選挙で一喜一憂する必要がない人が政策を決定すれば良いのである。それは誰かといえば、「官僚」なのである。

高度経済成長期、優秀な日本の官僚が日本を支えてきたといってもいいだろう。しかし、戦後からの復旧復興、アメリカに追いつき追い越せの目標を失った時点で、比率的にはそれ程多くもないのかもしれないが、ある程度の官僚が「国家のため」から「自分のため」に舵を切った。そして、天下り先の確保とその企業・団体への無駄金の投入を繰り返し、明らかに破綻するのが分かっていても状況をも先送りし、責任を有耶無耶にして甘い汁を吸い続けた。

マスコミは官僚バッシングをし、さらに民主党政権は自分をサポートしてくれるはずの官僚を「大馬鹿者」扱いし、政策立案能力のなさ故に自滅していった。その流れにストップをかけたのが、財務官僚との信頼が厚い野田総理である。しかし少々度が過ぎて、財務官僚の言いなりという状況も否定できない。

少々話がそれたが、下心で政策を捻じ曲げる政治家の考え方を正す制度は中々実現できそうもない。なぜならば、その制度を作るのが正されるべき政治家だからである。しかし、官僚が「天下・国家のため」に仕事に精を出すための制度であれば、まだ実現の可能性は相対的には高い(しかし、絶対的には実現の可能性が低い?)かもしれない。

基本的な考え方は、例えば「天下りによる利権の徹底排除」「政策に関する責任の明確化」「国家に貢献した者へのインセンティブの確保」などで如何であろうか?そのためには、指しあたって「国家公務員給料の大幅増額」「個々の政策に関係した官僚の(係長級以上の)全氏名の(条件付)公開と個々人の寄与率(逆に言えば責任率)の明確化」「第3者機関による個別政策の査定」「査定結果×寄与率×重要度係数の累積値に比例した賞与制度(及び人事制度)の導入」などを導入しては如何だろう?ちなみに上述の「重要度係数」とは、例えばお金の無駄遣いがあった場合、1億円の無駄と100億円の無駄は、その金額に見合った係数で重み付けすべきである。この様な制度を導入すれば、官僚はとてもではないが無駄遣いの温床となる天下り先にお金を回すことよりも、税金を有効活用するために頭を悩ますはずである。過渡期においては、かって上司だった天下り先の人の便宜を図り、自分も天下りをしようと思うかもしれないが、10年先には天下りなんて出来ないと思い込むのに十分な状況を作れば、可能性の低い天下り先よりも、可能性の高い現在の実績を上げることの方に汗をかくだろう。この様な体制が確立すれば、「政治主導」よりも「官僚主導」の方が信頼できそうである。

もちろん、ここで書いたことは暴論である。「政治家なんていらない」と言える訳もなく、優秀な政治家は当然ながら必要である。だから結局のところ、階層的に示せば、官僚は国会議員ないしは政府を構成する閣僚および政務三役の下に配置せざるを得ない。しかし、これは上司である政治家に絶対服従である必要もない。官僚は自分の責任を全うするに当たり、大臣と衝突することになるかも知れない。その際には、先ほどの査定の「寄与率」に「政治主導係数」を乗算すれば良い。つまり、官僚は反対したが政治主導で断行した案件は、明確にその指示をした政治家の責任として広く公開し、その責任を政治家に負わせれば良い。この「政治主導係数」は、官僚(事務次官)と大臣で相談して決めればよい。

長々と戯言を書いてきたが、無責任ながらここに書いたことは多分実現不可能であろう。しかし大切なのは、時として政治家と官僚が対峙することも厭わない真剣勝負の政治を実現することである。そうなれば、官僚と戦うために政治家ももっと真面目に勉強するだろう。少なくとも「乗数効果」も知らない人が財務大臣(その後は総理大臣)になることはないだろう。責任の所在を明確にし、一方で官僚が天下・国家のために身を投じるモチベーションを如何に高めるかである。

マスコミも、何処かの前総理大臣の真似をして官僚いじめをするよりも、官僚を上手く使いこなす術について議論しては如何だろうか?

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