けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

マスコミも劣化しているのか?

2011-12-03 23:29:22 | 政治
今朝の産経新聞の産経抄に面白いことが書いてあった。なるほどと思った。

要約するとこうである。最初は2ケ月遅れの就活の話から入ったのであるが、新聞記者志望の学生から「記者に必要な資質は何ですか?」と聞かれた時、新聞とは時として人の悪口(政治家の批判)を書くのだから、せめて人としての信義にもとることのないようにと、信義を守る気概が重要といったような答えを返したそうだ。これに対し、前沖縄防衛局長が居酒屋のオフレコ談義で言った暴言を新聞で素っ破抜いて失脚に導いた琉球新報の記者に対し、「何故、言われたその時に抗議しないのか?」と指摘し、黙って帰ってスクープというのは如何なものか・・・といった議論をしている。

私は、これは至極ごもっともと思うし、最近のオフレコの談話が表に出て問題となることに不満を感じていた。ただ、ちょっと付け加えたいと思うのでここに書くことにした。

まず一つ目は、仮にオフレコであろうと何であろうと、何で相手を見て話の内容を変えないのかが不思議なのである。最近は、言葉狩り的な風潮があるので、当然、それなりの要職の人は自己防衛をする能力が求められる。私の上司だった人は、仕事の上での来客があるとき、相手が女性一人の場合には必ず打ち合わせに私を同席させていた。極めて倫理観の高い人で、仮に何かトラブルがあっても誰もが身の潔白を保証してくれそうな人である。しかし、仮に悪意を持って何かを仕掛けられたとき、1対1では身を守りようがないというのである。高々、民間企業の課長級ぐらいで「何もそこまで・・・」とは思うのだが、多分、それなりの要職の官僚、政治家などであれば、悪意を持って人をおとしめようとする人も寄ってくるので、この程度の危機感をもって望むのは当然であろう。ましてや、防衛省というのは様々な思惑を持った人が周りに蠢く世界だから、幾ら居酒屋でオフレコといえど、「この中に、自分をおとしめようとする人がいないのか?」という感覚をもってしかるべきである。しかし、全くの無防備であるというのは信じ難い。あまりに緊張感がなさすぎるのである。「この人なら、私のことを刺したりしない!」と確信を持てるような相手でなければ、気を許した発言をしなければ良いのである。

多分、防衛省はもちろんのこと、普通の政治家であろうと、周りの世界は権謀術数だらけである。性善説を前提とするのではなく、相手がマキャヴェリストであることを前提としなければ、対等にはやっていけないのである。相手より一枚も二枚も上手でなければ世界で勝てないのであるから、ホンワカとした世界を期待してはいけないのである。あまりに甘ちゃんすぎる人が多過ぎる。

あと、もうひとつ思ったのは、新聞記者の取材の技術についてである。あるとき、ラジオで次のような話を聞いた。某有名新聞社の官邸付きの政治部の記者が、官邸付きから外れて待っていれば記事が飛び込んでくる環境から自分の足で稼がなければならない状況になり、フリーのジャーナリストを捕まえて「取材の仕方を教えてくれ」と言ったそうだ。本当ならば、その卓越した取材技術で食っていく世界なのに、甘い環境であぐらを書いている有名新聞社の記者をさして、マスメディア側も劣化したものだと嘆いていた。

この様な観点からすると、大勢の記者との居酒屋でのオフレコ談義というのも甘えた話だが、ここで暴言を暴露したら次からはこのような形で有益な情報を収集するのに支障があるとは考えないのであろうか?情報源を守るのがマスコミじゃないの?と思ってしまう。これまた関係ない話題であるが、第2次世界大戦中、米軍は日本の暗号を完全に解読する技術を持っていたそうである。あるとき、山本五十六を載せた飛行機がラバウル基地を発信したとき、その暗号電文を解読した米軍が、山本が乗った飛行機を撃墜するか否かで議論が別れたそうだ。撃墜すれば、暗号を解読されていることが日本軍にバレてしまうかも知れない。一方で、知将の山本を葬ればその効果は予想以上に大きいかも知れない。天秤にかけた結果、撃墜を選んだと聞いた。今回の琉球新報の編集部はいったいどれぐらい悩んだのだろう?

やはり最近、余りにもオフレコネタが話題になりすぎる。それは、やはりマスコミの劣化なのだと思う。政治家の劣化、官僚の劣化も問題だが、ひょっとすると、マスコミの劣化はそれ以上に深刻なのかも知れない。

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