けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

解散へのカウントダウンを暗示するのか?

2012-09-24 23:57:47 | 政治
民主党という党は一体どういう党なのだと益々分からなくなった。細野環境相の政調会長への起用の話題のことである。

多くの新聞も書いているとおり、先日の党代表擁立劇では「福島のことが頭から離れない」という理由で立候補を断念した。今回は、政調会長という立場で福島の復興により貢献できるとの言い訳で政調会長職を引き受けたそうだが、どう考えても理屈に合わないのは誰もが認める通りである。もし、環境相、原発相という立場での福島への貢献よりも、政調会長という立場での貢献の方が効果が大きいというなら、自らが総理になればそれ以上に福島の復興に貢献できたはずである。少なくとも、本人は「誰よりも、原発事故で苦しむ福島の人々の苦しみを理解している」との自負があるだろうから、その様な人が総理大臣になれば福島の復興、東日本大震災の復興がより一層、進むことは理屈の上では考えられる話である。それが良いか悪いかは別として、福島の惨事を繰り返さないという国民への強いメッセージという意味では、福島に寄り添う政治家が、総理大臣という職を通して脱原発という形で福島県民に懺悔するという形は分かり易い。青森の六カ所村やもんじゅを廃止し、新設の原発も認めないなどの問題提起は、細野環境相であれば大義名分が立ったかも知れない。これならば、代表選直後に解散総選挙を実施し、国民に脱原発の是非を問うシングルイシューの選挙を実施すれば、それなりの人数の議員が生き残れたかも知れない。勿論、そんなことを私は決して許したりはしないが・・・。

つまり、この様に書いてきて私が理解できない最大の対象は細野原発相なのである。少なくとも、彼は断ることは可能だったはずである。勿論、野田総理が環境相を続投させないと決断すれば話はそこで終わりであるが、そんなことをしたら多分、世論が許さないのは目に見えている。大義名分が立たないことを知っている。だから、細野環境省が拒否すれば、10月以降も環境相に留まり福島のために働くことは出来たはずである。しかし、自らの意思でそれを断ち切ったのである。

勿論、このようになった理由は野田総理が強硬に細野環境相に迫ったことが背景にあるだろうから、当然ながら野田総理の罪も重い。しかし、野田総理がその様な世論の空気を全く理解できないとは思えないから、彼の目には「何が、そのリスク以上のメリットと見えたのか?」という点が疑問なのである。選挙のための人寄せパンダと指摘する人はいるが、それを言うなら細野環境相を幹事長に起用すれば良かったはずである。福島への貢献という意味でも、ギリギリ、政権与党のNo.2というポジションであれば説明がつく。しかも、選挙となれば代表、幹事長、政調会長の順でテレビ映りの頻度が多いのだから、民主党4人目となる「細野総理」は世間が認めないだろうが、「細野幹事長」ならば認めてもらえる可能性が高い。党内でも敵を作らないことで有名な細野氏だから、党内結集の旗印としても悪くない。

なのに、輿石幹事長、細野政調会長なのである。説明がつかない人選である。

私が悲しくなるのは、政治、特に政権に求められる戦略性とそのしたたかさが民主党に感じられない点である。何となくの、行き当たりばったりでの決断が多すぎる。このままでは、原口元総務相を重要閣僚に抜擢するなど、離党対策の閣僚人事が横行するのではないだろうか?とすら思ってしまう。

しかし、解散の先伸ばしは特例公債法案成立の先延ばしそのものであり、国民の生活を人質にとることになる。国民の意思に反した問責決議ならば効力も対してないだろうが、圧倒的に国民は与党民主党にレッドカードを突きつけているのだから、この問責の効果は思いのほか大きい。自民党総裁に石破氏、安倍氏の何れかがつけば、多分、野田政権の前途は風前の灯火である。であれば、もう少し真剣な人事があっても良さそうだが、そうはならない。具体的には、幹事長に前原政調会長を繰り上げ、野田民主党に反旗を翻す者を追い出し、ある意味で3年前の選挙に対する総括を行って目指すべき方向を明確にして選挙に打って出れば、もう一度信じてみようと思う支持者がいるかも知れない。

やはり、戦略なき政治家は退場して頂くしか道はない。世間の読みよりは早いが、10月中の解散は避けられないのではないかと強く感じた1日だった。

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