けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

タイガーマスクも虎の穴出身じゃないか!(原子力ムラ出身者は原子力規制委員会に適さないのか?)

2012-09-21 22:40:42 | 政治
今日は敢えて尖閣問題とは別の議題について語ることにする。テーマは、原子力規制委員会の初代委員長に野田総理から指名された田中俊一氏の是非についてである。

議論の前に、最初に私のスタンスを示しておく。ブログを御覧の方であれば分かると思うが、基本的に原発ゼロには反対である。かといって、積極的な推進波でもない。厳格に安全性を確認し、安全であると確認できるものに限定して再稼動を許すべきという立場である。ただ、大飯原発の再稼動は明らかに間違ったプロセスを経ていると考えている。どう考えても、免震重要棟すらない原発を安全だと判断できる訳がない。だから、この判断における「安全基準」は橋下市長のご指摘のように技術的な見地からの「安全基準」ではなく、あくまでも政治的な「判断基準」と断言できる。ただ、では政治的な「判断基準」は全て駄目かと言えば必ずしもそうではない。責任の所在を示した上で、再稼働に伴うリスクにも代え難い何らかの大きなリスクを回避するために、内閣総理大臣の政治決断として緊急避難的措置を講じるというのであればそれは許容する。しかし、今回の場合は野田総理はあくまでもそれが「安全基準」だと言い切っているから、何か事故が起きたとしても「私は安全基準に従っただけ」と言い張り、自分としては不可抗力であったと言い逃れできる布石を臆面もなく敷きまくっている。これでは政治決断ではない。

少々話がそれたが、この田中委員長の過去の言動を見ると、公平に見れば福島で原発事故の被害を受けた人々が感情的に「適任」と判断する訳がない人物であることは認めざるを得ない。しかし、それでも私には(この様な意味で多少のバイアスがかかっていることは認めた上で)マスコミ上で取り上げられている考え方には賛同できない部分があるのでそれを指摘したい。

まず、原子力の専門家であるならば、確実に「推進側にバイアスがかかった人」「原発ゼロにバイアスがかかった人」の何れかに分類できるはずである。よほど世の中のことに無関心でない限り、原子力の専門家であるのに真の意味で中立でいられる人はいないはずである。だから、電力会社や原子力ムラの人々と対等(ないしはそれ以上)に渡り合える人を選ぼうとすれば、必ずどちらかにバイアスがかかった人を選ばざるを得ない。その時、仮にどちらの人を選ぼうと、それと対立する陣営の人にとっては耐え難い人事となり、万人に認められる委員長を選ぶことは不可能である。おのずと「推進派の中の『慎重派』」か、「原発ゼロ派のなかの『穏健派』」の何れかを選ばざるを得ない。だから委員長人事を考えるとき、この中でどちらの方がより中立に少しでも近い人材を選べるか・・・という問題に置き換えることができる。もう少し言い換えれば、何処までも平行線で決して交わることにない勢力と接し、双方の声をちゃんと聞き届けることが出来る人材を何処から探し出すか・・・と言っても良い。

ここで、ふたつの勢力をもう少し吟味してみたい。「推進派の中の『慎重派』」というのは、かってはバリバリの推進派だったのが、3.11以降、流石に昔のままではまずいと当時に比べれば相当「慎重派」にシフトした人が多い。一方、原発ゼロの人たちは、今までは日の目を見ることが出来ない立場に追いやられていた鬱憤が募っており、今こそチャンスとばかりに僅かばかりの妥協を許さない強硬派が圧倒的である。多分、この情勢では「推進派に対して妥協する」などということは、彼らの頭の中の選択肢にはないだろう。

多分、現在の原子力に関する問題は、感情的にエイヤで決められるような単純な話ではなく、前向きに様々な立場の人と論理的な議論をしていかなければ一歩も進まない。野田総理がカッコつけて原発ゼロを宣言したが、しかし、その舌の根も乾かぬうちに青森の六ヶ所村の再処理施設の続行やもんじゅの開発継続などを決断したのには訳がある。一番典型的なのは、六ヶ所村の再処理施設であろう。今、この施設には日本中の使用済み核燃料棒が運び込まれている。福島第一原発の4号機の例が分かりやすいが、それぞれの原発にも使用済み燃料棒は管理されているが、既に殆どパンク状態なのでわざわざ青森まで運んでいるのである。しかし、この六ヶ所村への受け入れ条件は、これらの燃料棒を再処理することが前提なので、この前提が覆れば即座に日本全国の原発にこれが送り返されることになる。しかし、そうなると受け入れたくても受け入れるスペースがなかったり、新たな施設の建設が必要になったりするだろうが、当然、住民はそのようなものを認めるわけがないから、結果としてその行き場所が見つからない。高々、除染で集めた放射性廃棄物や関東の焼却場で放射線量が濃縮された焼却灰程度のものを最終処分する場所も決まらないくらいだから、それ以上に遥かに危険な使用済み核燃料棒など受け入れる先が見つかる訳がない。だから、野田総理はあっさりと矛盾だらけの決断を平気ですることになる。しかし、原子力規制委員会の委員長には、その様な矛盾だらけの決断をあっさり出来る人では困るのである。様々な基準や判断は、あくまでも純粋に技術的・論理的なものでなければならず、だからこそ、一方の言い分だけを聞いて安易な判断をするのではなく、ちゃんと双方の立場の人と話が出来る人、話を聞いてその主張の中の合理的な部分を最終的な結論の中に盛り込むことが出来る人を探さなければならないのである。

となると、電力会社や原子力ムラの人と技術論で戦うことが可能で、少しでも中立に近く、バイアスが相当かかった人とも論理的な議論が出来る人とは、「原発ゼロ派のなかの『穏健派』」の中に探すのは困難であり、結果として「推進派の中の『慎重派』」の中から選ばざるを得ない。仮面ライダーやタイガーマスクも、言ってみればその世界の「原子力ムラ」的な組織の出身者なのである。言い換えれば、そうでなければ正義の味方の彼らも悪の組織とは戦えないのである。この様な意味で、「原子力ムラ出身だから・・・」という理由で否定的な立場の人は、私に言わせれば「本気で何とかしようとは思っていない人(無責任に言いたいことが言えれば、結果はどうなっても良い人)」ではないかと疑ってしまう。

私は、この田中委員長がどの様などれ程の人かを良く知らないが、就任後の動向を見る限りでは、「推進派の中の『慎重派』」ではあり、全ての立場の人と論理的・技術的な議論が出来そうな人のように見える。まずはお手並み拝見である。そして、問題があればその時には法令を改正してでも、首の挿げ替えを行えば良いのだと思う。

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