けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「日本維新の会」の旗揚に際して思うこと

2012-09-13 22:17:06 | 政治
「日本維新の会」が旗揚げされた。今日は、この件に関して2点ほどコメントしたい。

まず1点目は、総選挙後の日本維新の会の立ち位置についての提言である。石破前政調会長か安倍元総理が自民党総裁になれば、総選挙後に日本維新の会も連立政権に加わる可能性が大いに出てくる。ただ私は、ここでは閣僚および政務三役の全てにおいて入閣を行わず、あくまでも閣外協力(but連立政権)という特殊な状況で対応すべきだと考える。

というのも、日本維新の会は政党構成要件を満たすために、既成政党から7人の造反議員の合流を許した(話はそれるが、私に言わせれば彼らは「竹ミツをぶら下げた『7人の侍』」である)。先日の討論会の中でも、彼らは政治信条的に日本維新の会と基本理念が一致しているのではなく、維新の会への入会を認められるために事前に7人で協議して意見を合わせてきたと公言していた。彼らからすれば口が滑ったのだろうが、この辺は有識者からも失笑がこぼれ、「バレバレじゃないか!」という空気が漂っていた。橋下市長は戦略家だから、この辺は大局に立ってどちらが得かを判断したのだろうが、彼らが維新の会に合流する狙いは自らの議席の確保に加え、閣僚という肩書きが欲しいのだろうと思う。特に参議院からの鞍替え出馬に至っては、鞍替えによって失職のリスクがある一方で、選挙後には参議院での議席数がキャスティングボートを握る鍵となり、その時になってから闇取引した方が自分の存在を高く売れる可能性がある。しかし、そこまで閣僚の椅子欲しさの造反では流石に世間が許さないだろうから、この時点で先に仕掛けてきたのだと推測される。日本維新の会の活動が、この様な議員の下心に乱されることなく王道を突き進むためには、自民党に対して「維新の会を閣僚ポストで釣ることは出来ない。閣僚を出しているのだから、少しは嫌なことでも妥協しろという考えには一線を画する。」という態度を明確にし、何のしがらみもない中で政策中心主義で是々非々の態度を貫くとした方がスジを通せて良い。実際、あと3年の間は橋下市長は大阪を離れることが出来ないし、政治的には素人の議員が多数いるから、議員個人の立場で活動するのではなく、ひとつのまとまった「日本維新の会の総意」という形で方向性を示すことで政治に関与した方が良いのだと思う。これなら、地方の首長である橋下市長が党代表のポジションであってもあまり不都合は生じなさそうだ。

2点目の論点は、維新八策についてのマスコミや有識者のコメントについて。まだ維新八策はマニュフェストにまでブレークダウンされていないので、現時点では個々の政策のマイルストーンなどは示されていない。このため、特に議員定数半減や、参院の廃止などは実現性に乏しいから、「言いっ放しの掛け声倒れで終わるのが見えている、不毛な提案だ!」と一蹴する動きがある。しかし、その様な言い方をする人は、(私の偏見入りまくりの立場から言わせてもらえば)政府や民主党の「2030年原発ゼロ!」を賞賛する人と重なるところが大きい。しかし、この原発ゼロの政策提案の何処にリアリティのある詳細な個別政策が含まれているのだろうか?提言の行間を見れば「状況しだいでチャラにすることもアリ」と書いてある訳で、首相官邸前でデモをしている人のように夢や希望を語っているに過ぎない。責任のない一般市民ならば夢や希望でかまわないが、結果責任の伴う政治家は、単に「夢と希望でした!」と開き直って無責任なことを言ってはいけない。信頼できる安全基準もなしに大飯原発を再稼働したり、青森県の六ケ所村の再処理施設の継続判断などを考慮すれば、こちらの方は明らかに選挙目当てで国民にうけの良さそうな人気取りの発言であることは明らかである。このレベルで見るなら、憲法改正の要件を緩和(所要賛成議席数の2/3から1/2への変更)や道州制の導入などの手順を踏んだ後の現状の参院廃止(厳密には自治体の首長による2院制への移行)というように、維新の会の政策はそれなりに大雑把な道筋としての戦略性は描けている。しかし、一方の原発ゼロには何もラフなスケッチすら描けていないのが現状である。

維新の会の提言が、誰もが簡単に納得して異論を挟まない様な単純なものなら既に誰かが手がけているだろう。しかし、やりたくてもそのハードルが高いと知っているから誰もが手をつけないのである。そのハードルが高いという単なる高さを指摘して「勝ったつもり」でいるのはどう考えてもおかしい。「勝ったつもり」なら、現状の制度が他の制度よりも優れていることを証明してみろ!と私は言いたい。多分、彼らは口を揃えて「いや、現状の制度はいけないから、だから議論して変えて行こうと思ってはいるが、ただその方法は維新の会のアプローチではないということだけを私たちは指摘しているに過ぎない」と逃げ口上を打つだろう。しかし、議論とは対案があって初めて成り立つのである。人のアイデアを間違っていると主張するなら、まずは自分の意見を提示するのは義務である。その辺を、マスコミも政治家も自覚すべきである。

政党を立ち上げ、マニュフェストを作り上げて段々話が具体的になってくると、マスコミなどからの突っ込みどころも多くなってくる。その粗をどう取り繕い、粗でなくするのか。その辺の手腕が今後の見所である。

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