けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

25年ほど前の話ですが・・・

2011-11-14 11:22:48 | 政治
今日は今から25年ほど前の私が大学生だった頃の話を思い出しながら書いてみようと思う。

昔、藤尾正行という政治家がいた。中曽根内閣で文部大臣だったが、『文藝春秋』に「放言大臣 大いに吠える」などの記事が載り、中曽根首相に罷免された。当時、大学生だった私は新聞等に載っていた記事を読んで「ひどい奴がいるなぁ」と思ったものだ。

確かに、韓国、中国を怒らせることになり、当時の政府側の人から見れば、明らかに迷惑な人物であった。何しろ、「戦争で人を殺しても殺人には当てはまらない」「韓国併合は合意の上に形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」と言ってしまったのだから、韓国や中国が怒るのは無理もない。記憶違いかも知れないが、私の記憶ではマスコミの評価として彼にトドメを刺したのは、「今は平和だから良いが、戦争になったらこうはいかないよ!」的な発言をして、それが戦争を連想させて恫喝したという位置づけで評価され、完全に四面楚歌状態になったのではないかと思う。罷免と細かな発言の時系列までは覚えていないが、あまりにも無茶な発言なので気になって真意は何処にあるのだろうと気になり、週刊誌や新聞などを読んだ記憶がある。

勿論、言い方として適切であったかとか、足を踏まれた人の痛みを踏んだ人は理解していない…などの主張は良く分かるし、一方的に擁護するつもりもない。背景には、相当偏屈な右翼的な思想があったかも知れないので、その部分について議論するつもりもない。しかし、最近の閣僚が不適切発言で辞任に至った後は殆ど雲隠れ状態になったり、黙して語らず状態になることが多い中、罷免された後も彼は週刊誌のなどを通じて熱く語り続けた。

私の理解を、現在の状況を加味した上で説明するとこうである。

太平洋戦争では確かに、日本は近隣諸国に迷惑をかけてしまった。個別の事実を見れば、(世間で定説になっていることのどこまでが正しいか否かは議論が分かれるが)少なくとも本当に酷い虐殺などをした軍人は少なからずいただろう。しかし東西冷戦の流れの中でアメリカの顔色を見ているうちに、日本国政府が近隣諸国に明確な謝罪をする機会を逃してしまったのは事実だ。それをネタに近隣諸国は日本を責め続け、教育の中でオフィシャルに反日教育を徹底的に植えつけた。責め続けるのは気持ちとして十分理解できるが、教育という手段を通じて責めるエネルギーを増幅させたのは、明らかにやりすぎである。それは、大袈裟に言えばそれがイスラエルとパレスチナの様な「後に戻れない歴史」を作ることになるからだ。その当時から、日本は申し訳なさそうに丁重に対応すれば良いとひたすら信じ続け、先日の尖閣問題で中国側が無茶苦茶な行動に出てもひたすら低姿勢を続けた。幾度の事件があるたびに、長い歴史の中でもひたすら低姿勢を貫いた。面白いことに、戦勝国側の近隣諸国より敗戦国の日本の方が圧倒的に発展していたため、日本は経済的な援助で詫びの気持ちを示そうとした。しかし、教育で「日本は悪い国だ!」と教えているのであるから、日本を叩いて何かを獲ればかの国では英雄になれる。しかし、そんな状態が長く続いたら、今後何十年かの後、何処かでどちらかの国が弾けてしまう可能性は極めて高くなる。戦争になってから「話し合おう」なんて言ってももはや話し合うことはできない。しかし、平和な時代(25年前の当時)であればこそ話し合える話もある。それは、少々、どちらかにとって都合の悪い話かも知れない。事実を事実として見つめ直すことに前向きになろう、当時の日本が悪いのであればその悪さを定量的に評価しよう、そしてその先を目指そう…、という単純な話が当時の、そして今までの政治家の多くは言えないでいる。ないしは、それを好んで語る現代の政治家は、明らかに中韓に対して嫌悪感を示していることが多いから、どちらにしても前向きではない。仮に日本のためという立場を捨てて考えても、長期的な視点で見れば「反日教育」は中国にしても韓国にしても本当は良くないというのは分かっている話だと思う。多分、中韓の政治家の誰かが「反日教育は止めよう」と仮に言い出したら、その人はあっという間に政治的に抹殺されるだろう。もはや、「反日教育」自体が自らの「反日感情のブレーキ」を壊してしまい、アクセルを踏み続けている現状であるから…。

噂では、藤尾正行氏は文部大臣という職が気に入らなかったとか、中曽根氏との確執があり自爆したとか、そんな話まであるので本当のことは分からないが、ひょっとしたら「このままではいけない!」という責任感からくる言動であったかも知れない。

私がこの話の中で感じたことは、ひとつの出来事があった場合、その出来事を深く掘り下げずに一面だけを見て善し悪しを判断すべきではなく、その出来事に含まれる論点を細かく解析し、個別の議論としてそれぞれが正しいかどうかを是々非々の立場で評価すべきである…と言うことだ。そうでなければ、責任感を持った政治家は報われない。

小泉元総理は波風を立ててでも言うべきことを言っていた。あの時、「中国を怒らせる悪い奴」的な評価をしたマスコミも多い。格差拡大も全体の中のひとつの側面だ。しかし、その時に声高に批判していた人達のその後は見るも無残だ。小泉元総理を継いだ安倍元総理は中国や韓国からその当時は「両国関係が改善しつつある」と見られていたが、思想的には明らかに小泉元総理の方が鳩派なのである。とにかく、「東京裁判なんてデタラメな裁判だ!」と声高に叫ぶ政治家が多かった中で、「A級戦犯」が「戦争犯罪人」であるとの認識を示しているのであるから、少なくとも「小泉はダメだけど安倍なら良い」という中国、韓国人は何も知らずに騒いでいるとしか言いようがない。そんな小泉元総理に、当時、質問主意書で噛み付いた現在の野田総理はどのようなスタンスを今後見せてくれるのだろうか?そして、それなりの覚悟を持っているのであろうか?

もうしばらく様子を見ていこう。

←人気ブログランキング応援クリックよろしくお願いいます