けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

石原知事の「黙れ」発言について

2011-11-05 23:37:52 | 政治
昨日、東日本大震災のガレキを東京都が受け入れた問題で、石原慎太郎都知事が反対の声を上げる都民に対して、「『黙れ』と言えば良い」と言ったそうだ。

ネットでも賛否両論が乱れているという。都に寄せられた意見は9割が苦情だそうだが、ネットでの意見はそうでもなさそうだ。概ね、「石原は嫌いだが、今回の件は筋が通っている」といった感じか…。

面白いことに、受け入れ反対派の人の主張は傾向が似ており、大抵は「石原知事は『皆、自分のことしか考えない』というが、それはアンタだろう」といった口調で、今回の件とは関係ないことを引き合いに出し、人格攻撃的なことを言う。

私は石原知事が好きか嫌いかの論争は興味がない。自分が好きなら好きで良いし、嫌いなら嫌いでいい。彼は好きだが、具体的な○○○の件は反対だ…といったこともあるだろう。それは個別にやってもらえば良いが、議論とは焦点を絞り、その焦点に限って賛成反対の議論をすべきである。脱原発でも何でもそうだ。ところが、議論が深まらない理由は、議論が発散する方向に関係ない話を持ち出し、「だから、あいつがやることは全部ダメだ!」と決めつけるためである。「理屈で攻めたら負けてしまう、であればゲリラ戦法で戦うしかない。」と自覚がある人ならまだいい。しかし、今回の知事発言を避難する人の多くは、理屈で負けることの自覚がなく、別件で責め立てれば「理屈でも勝った」と誤解しているのではないかとさえ感じる。

11/2の「東京湾に原発を作るという議論から始めると・・・」でも書いたが、「議論できる状態」の確保は民主主義の中で最低限必要である。しかし、それを面倒臭がって怠っていると、いつの日か取り返しのつかない事態になりかねない。成熟した民主主義国家であるためには、好き、嫌いといった「(理屈の伴わない)感覚」を判断基準にしていてはダメである。

多分、マスコミは絶対にこのような論評を載せないだろう。マスコミは、政権や権力者、有名人の批判はお得意であるが、批判されることには滅法弱い。だから石原知事が正しい、反対する人は間違っている…、と言えとまでは言わないが、せめて、正面から議論しようとしない人にそれを指摘するぐらいのことはして欲しいものである。

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