けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

判断に迷った時の考え方(TPPについて考える)

2011-11-08 22:41:20 | 政治
今、巷で最もHotな話題といえばTPPだろう。

どう考えても結論にたどり着ける状況ではない。ことの様相は、原発賛成、反原発の議論に似ている。お互いが、ガブリ四つに組もうとせず、ゲリラ戦を相互に仕掛け、特にTPP参加反対派は「議論が長引き決着が付かなければ、政治決断は出来ないはず」と考えているのではないか?一方で、TPP賛成派は、抽象的な議論に終始していて中々核心に踏み込めず、「結局は総理が『えい、やっ!』で決めてしまえば良い」と考えている節もある。

生きていれば、複雑な問題に遭遇し、どう判断して良いか分からないことが多くある。私の嫁さんは、子育ての中でその様な問題にぶつかり、多くの場合で判断を誤ってきた。判断を誤るにはそれなりの理由がある。逆に言えば、どう考えてもパーフェクトな答えが導き出せない場合に、どうやってbetterな選択をするかというのは非常に重要な問題だ。私は私なりに、単純なひとつの答えがあると信じている。

話はちょっとそれるが、私が子供に良く引き合いに出す話がある。それは高速道路での車の運転の話だ。子供には車の運転の経験は無いが、話せば大体理解してくれた。それは、高速道路で時速100キロで走っている時に、どうすれば真っ直ぐ走れるかの話だ。既にお分かりの方も多いと思うが、高速道路を運転する時の鉄則は、「遠くを見て運転すること」である。そもそも、自分が行きたい方向、行くべき方向がどちらの方角で、現在の車の位置からするとハンドルをどの程度操作すれば適切なラインをなぞれるかを考える。決して、車が少し車線に近づいたからといって、急ハンドルを切ってはいけない。目先のことに気を取られると、判断を誤り、本来すべきハンドル操作と異なる操作をしてしまうことが多い。

私は元々バイク乗りだったので、バイクでもこれと同じことを痛感した。バイクで峠を攻めていると、コーナーに少々オーバースピード気味で突っ込み、崖に向かって吸い込まれる恐怖に襲われることがある。怖くなると、ついつい行きたくない場所(つまり激突しようとしている崖)を見てしまう。そんな時、常に恐怖心と向き合い、コーナーの出口を見据えようと心がけた。面白いことに、コーナーの出口を見ると、まるで嘘の様にバイクがそちらに向かって適切なラインをトレースしてくれるのだ。

つまり、迷った時ほど「遠くを見つめる」のである。決して論理的ではないかも知れないが、多分、多くの方が別の形で経験している話だと思う。複雑な問題ほど、話をシンプルに焼き直し、『そもそも論』に照らし合わせて判断をすべきである。これならば、子育てのとっさの場合でも、まあまあ結論を出すのに困らない。私の嫁さんが子育てで判断を誤ったのは、目先のことを気にし過ぎたからである。遠くを見据えた判断が求められる中で、近場で子供に感情移入をし過ぎると状況が分からなくなる。

もちろん、それがBestな解である保証は無い。というより、Bestな解など存在しないのだ。昨日の「非線形100次元連立方程式を解く」でも書いたが、所詮、政治の世界ではパーフェクトな解など存在しない。我々が導けるのは「近似解」でしかなく、その近似の精度を如何にして上げていくかが重要なのである。近似解には、その精度を高めるための補正処理が必要であるが、当然ながら出発点が理想的な解に近い点から出発するのに限る。その理想的な解に近い点が何処にあるかを判断するのに、「そもそも、どうあるべきなのか?」の判断が有益なのである。

話をTPPに戻そう。日経ビジネスに「TPP亡国論のウソ」というタイトルで特集が組まれていた。賛成派の論客が、反対派の論客を切り捨てている。しかし、その議論を受ければ反対派も賛成派に逆に切り返すこともできよう。つまり、どちらも一方的な勝者とはなり得ない。

そんな時、「そもそも論」は何であるかを考えてみる。多分、反対派の代表意見は「国内の農業を守れ!」ということなのだろうと思う。もちろん、その他にも論点があることを「TPP亡国論のウソ」は解説しているので、細かい話は専門家に任せよう。仮に「国内の農業を守れ!」ということがポイントだとすると、TPP不参加によりそれが実現できるのかを考える。現在の農業政策は滅茶苦茶で、どう考えてもジリ貧である。農家の後継者問題はいよいよ深刻で、TPPに参加しなかったからと言って問題は解決しない。だとすれば、「国内の農業を守れ!」とい命題に対して「そもそも論」を戦わせるとすれば、その主戦場はTPPではなく別の場所にあるはずだ。その主戦場での議論をTPPほど熱心に戦わせない人が、このことを理由にTPPでだけ騒ぎ立てるのは「そもそも論」に照らし合わせればおかしな話だ。この様に考えれば、TPPに関する「そもそも論」の議論は別のところにあると言わざるをえない。

TPP賛成派の基本的な主張は、「資源の少ない日本では、外国との貿易なしには発展はあり得ない。鎖国を脱して開国し、グローバルな世界での主導権を握ることこそ、日本が生き残る道である。」ということだろう。これだけ聞くと抽象的で、そこら中に落とし穴がありそうである。しかし、その落とし穴は努力次第では避けて通ることが可能である。TPPの各論に特化し、既に見えているバグを指摘すれば、TPP参加に色々問題があることは否定しない。しかし上述のTPP賛成派の命題は、(これがTPPとは関係ない場でこの命題が正しいか否かと質問されたなら)多くの人がその方向性を否定したりはしないだろう。

もちろん、このような言い方をすると「かならずしも、それが正しい訳ではない。そうでない場合もあり得る。」と例外の話をする人がいるが、私は「必ずしも、××××ではない。」という2重否定の文章を使う人が、正しい方向を指差してくれる人だとは思わない。

原発問題では、枝野官房長官(当時)が、「必ずしも、直ちに健康に被害を与えるレベルではない。」という言葉を連発した。私は枝野さんは論理的な人で大好きな政治家の一人ではあるが、あの発言は頂けなかった。住民は、(少なくとも未来を託すべき子供達に)健康被害が全くでないような安心できる対応を求めていたのである。「『健康被害が全ての人に現れる』とは必ずしも言えない」状況なんて、誰も求めてなんかいない。政治家が2重否定の文章を使う時は、大抵は何かのトリックを仕掛けているのである。

大切なのは、そんなトリックでうやむやにすることではなく、「そもそも論」として何を目指し、何処へ向かおうとするのかを明確にすることだ。今、総理大臣に求められるリーダーシップとは、その方向を国民に示し、その重要性を熱く語り、その際の問題点を必ず解決すると約束し、それを実行することだ。

多分、野田総理はTPP参加を表明するだろう。自民党は、民主党の分裂を引き出すために、総理の足を引っ張ろうとして反対する(厳密には、「慎重派」を装う)だろう。しかし、1年後、遅くとも2年後には与党と野党の攻守は逆転する。その時、「あの時、あんなこと言わなきゃ良かった」と言わずに済むように自民党もご都合主義に走らない方が良い。

前原さんは「いざとなればTPP離脱もできる」と発言し、他の人は「国際的な信用を失うからそんなことはできない」という。この辺は既に泥試合だ。議論するだけの価値がない。しかし忘れないで欲しい。民主党は、日本国と米国との間の国際的な約束、普天間飛行場の辺野古移転の合意を、「それは前の政権が行った約束で、日本国の約束ではないから反古にしても何ら問題ない」と判断した前歴がある。それができる勇気があるなら、後でTPP離脱なんて怖いものではない。

大局を見て道を選び、選んだ後は緻密にして確実に歩みを進めて欲しい。更に国民に理解を求めるなら、判断と同時に政府は情報開示を進めて欲しい。

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