けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

ギリシャ破綻と「盗人にも三分の理」

2011-11-09 23:17:40 | 政治
ギリシャ危機が一難去って、小康状態に入った。次はイタリアか?と注目はイタリアに移りつつある。

傍から見ていると、ほとほとEUは大変だな・・・と思う。EUの中にはギリシャ国民より低い生活レベルを享受しながらも、つつましく、精一杯我慢してやりくりしている国もある。そんな国の人たちからすれば、ギリシャの財政破綻は自業自得としか言いようがない。EUからの緊縮財政の条件提示を受け入れ、金融支援を得るしか道がないのは全てのギリシャ国民も分かっているはずなのに、それなのに国民の暴動は止まない。笑ってしまうのは、政権側のはずの財務省などの職員が官庁の建物を占拠して立てこもったりしていて、「そこまでやるか?」という状況にまでなっている。どう見ても、EU圏内の他国は理解できない状況である。

しかし、テレビの報道によれば、暴動を起こす国民にも一理あるということのようだ。「ここまでの財政破綻を生んだのは、これまでの政権中枢にいた国会議員や官僚たちが、その権力を利用して蓄財しtからだ。さらに、破綻状態にある財政がさも健全であるかの様に情報操作し、急に今になって『ゴメンなさい。皆さん、一丸となって貧しい生活で我慢しましょう』と言われて納得できるはずがない。その責任者が蓄財した財産を全て掃き出し、自らの責任と義務を完全に果たしたら、我々も相談に応じる・・・」というロジックらしい。同情の余地は無くもない。

詳細は省略するが、かって、私も「これに対して、絶対に反論の余地などあろう筈がない」という議論に対し、逆の立場で異を唱える人の言い分を聞いて納得したことがある。その時感じたのは、「盗人にも三分の理」というのは確かに正しく、人は「立場」が変れば全く信じられないような結論を出してもおかしくはない・・・、ということだ。先日から書いている、政治にパーフェクトな解は存在しない・・・という理由付けになっているかも知れない。

日本でも増税の議論がなされる時、「無駄遣いを全てあらためるまでは増税はしない」という議論があるが、所詮、悪いことを考える奴らは腐るほどいるのだから、「完全」を求めるということは「未来永劫、増税はしない」ということを意味する。もちろん、3.11で国内経済が大きなダメージを受け、円高やリーマンショック以降も燻る世界経済の低迷などから、「今、増税すべきか?」の議論は慎重にすべきである。少なくとも、(リーマンショックの際にも使われ、使い古された軽い言葉に感じられてしまうが)「100年に一度の危機」であるならば、100年に一度に対応したスペシャルな緊急避難措置で対応するのが筋である。

だから、今、増税かと言われれば増税には反対するが、「小さな政府」「大きな政府」論争において民主党が提示したニンジンに食いついてしまった国民は、もはや「小さな政府」に戻ることはできないだろう。政治とは、不可逆反応なのである。好むと好まざるとに係わらず、増税の流れは食い止められない。問題は、増税の程度と時期に他ならない。さらには、多くの税種の中のどの税を上げ、所得制限の様な例外を作るのか作らないのかなどの、テクニカルな話が議論の中心となる。もちろん、その税が何に使われ、その恩恵が自分たちにどの様に還元されるかは重要である。ただ、天下りを始めとする無駄使いの監視などの議論と、増税の議論は明らかに分けて考えるべきである。

ここであらためて考えさせられる問題は、立場の違う人がそれぞれの立場で異なる主張をしている時、如何にして議論を収束させるかである。多分、最終的に両者の納得できる落としどころを見つけることは不可能だろう。だとすれば、人として(政治家として)、最大限の誠意と丁寧な対応が、その後の両者のわだかまりを癒す薬となると期待するしかない。ギリシャは誠意と丁寧さでは明らかに道を誤ったが、棚ボタ的に何故か落ち着くことができた。

イタリア、そして日本はどうなることだろう。

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