本を読んで気付かされたことに,話をきちんと聞けていることの重要性がある。
僕自身,人の話を注意深く聞いてはいないようである。
人の話をどのくらい聞いて理解しているかを確認するには,例えばラジオやテレビで話を聞き,
その内容を書き出して再現するという,「書き取り」 dictation をやってみればよいだろう。
特別な訓練を積んでいなければ,日本語のナレーションですら満足に書き取ることが出来ないだろう。
あとでちょっとやってみることにする。皆さんもぜひ試してみて欲しい。
僕がこれまで行ってきた授業は,音声による解説と板書による講義だった。
皆さんからは,よく「書き写していると話に集中できない」,「板書が速くて書き写しきれない」という苦情が寄せられる。
このような講義では,受講者の脳は
・話を聞き取り,
・黒板に書かれていることを目で見て確認し,
・手元のノートに話の内容をメモしたり,板書の内容をなるべく間違えないように書き写す
という,それぞれに高度(?)の集中を必要とする情報処理が要求される。
このような単純な分析によっても,1コマ90分間,このような作業を行い続けるのは非常に難しいだろうことが想像される。
その上,さらに悪いことに,授業中に体を動かしたり声を出したりしてリラックスするようなことは同室の他の学習者の迷惑になるということで禁止され,情報を受け取るだけの受身の姿勢を取らされ続ける。
たくさん授業がある日などは,授業を受け続けることは,もはや拷問だといっても過言ではない。
授業を何コマも連続して受ける場合,授業間の10分間程度の休憩では脳の機能は十分に回復せず,疲れきった脳にいくら知識を詰め込んでも,その日に教わった内容はほとんど記憶に残らないのではないだろうか。
少しでも楽しい気分で授業を受けてもらえるよう,(笑えない?)冗談や雑談を交えながら「なだめすかして」講義を行ってきたが,こうして冷静に考えてみると,いくらわかりやすく教えているつもりであっても,全然意味がなかったのかもしれない。
この話題自体はもっと詳しく考えるべきことであるが,とりあえず話を戻す。
きちんと話を聞けているかどうかを知る他の方法は,会話の場合であれば,相手の言ったことを復唱して相手に確認することが挙げられる。
(ただし,ここでは「復唱」という言葉を,本来のオウム返しに繰り返すという意味ではなく,「あなたが言ったことはこういうこと?」と自分の言葉に直して繰り返す,という作業というように,違った意味で使っている。)
これは受身の書き取りよりも発話を伴うので能動的な行為である。
こちらの方が脳をしっかり働かせることができる。
また,相手に質問することもできる。質問は,自分が理解していないことが何かをちゃんと把握していなければ出来ないことである。
脳が活性化している状態で臨めるような授業形態を考案するのが,新学期へ向けての僕の課題である。
準備する時間が足りなくなったり,学期が始まるまでに納得いく答えが得られなかったら,これまで通りの講義になっちゃうんだけどね。
僕自身,人の話を注意深く聞いてはいないようである。
人の話をどのくらい聞いて理解しているかを確認するには,例えばラジオやテレビで話を聞き,
その内容を書き出して再現するという,「書き取り」 dictation をやってみればよいだろう。
特別な訓練を積んでいなければ,日本語のナレーションですら満足に書き取ることが出来ないだろう。
あとでちょっとやってみることにする。皆さんもぜひ試してみて欲しい。
僕がこれまで行ってきた授業は,音声による解説と板書による講義だった。
皆さんからは,よく「書き写していると話に集中できない」,「板書が速くて書き写しきれない」という苦情が寄せられる。
このような講義では,受講者の脳は
・話を聞き取り,
・黒板に書かれていることを目で見て確認し,
・手元のノートに話の内容をメモしたり,板書の内容をなるべく間違えないように書き写す
という,それぞれに高度(?)の集中を必要とする情報処理が要求される。
このような単純な分析によっても,1コマ90分間,このような作業を行い続けるのは非常に難しいだろうことが想像される。
その上,さらに悪いことに,授業中に体を動かしたり声を出したりしてリラックスするようなことは同室の他の学習者の迷惑になるということで禁止され,情報を受け取るだけの受身の姿勢を取らされ続ける。
たくさん授業がある日などは,授業を受け続けることは,もはや拷問だといっても過言ではない。
授業を何コマも連続して受ける場合,授業間の10分間程度の休憩では脳の機能は十分に回復せず,疲れきった脳にいくら知識を詰め込んでも,その日に教わった内容はほとんど記憶に残らないのではないだろうか。
少しでも楽しい気分で授業を受けてもらえるよう,(笑えない?)冗談や雑談を交えながら「なだめすかして」講義を行ってきたが,こうして冷静に考えてみると,いくらわかりやすく教えているつもりであっても,全然意味がなかったのかもしれない。
この話題自体はもっと詳しく考えるべきことであるが,とりあえず話を戻す。
きちんと話を聞けているかどうかを知る他の方法は,会話の場合であれば,相手の言ったことを復唱して相手に確認することが挙げられる。
(ただし,ここでは「復唱」という言葉を,本来のオウム返しに繰り返すという意味ではなく,「あなたが言ったことはこういうこと?」と自分の言葉に直して繰り返す,という作業というように,違った意味で使っている。)
これは受身の書き取りよりも発話を伴うので能動的な行為である。
こちらの方が脳をしっかり働かせることができる。
また,相手に質問することもできる。質問は,自分が理解していないことが何かをちゃんと把握していなければ出来ないことである。
脳が活性化している状態で臨めるような授業形態を考案するのが,新学期へ向けての僕の課題である。
準備する時間が足りなくなったり,学期が始まるまでに納得いく答えが得られなかったら,これまで通りの講義になっちゃうんだけどね。
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