担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

ぐるーっと回って。

2015-08-30 11:21:16 | Weblog
とある出来事がきっかけで,確率の基礎についての文献をいくつか収集した。その過程で van Fraassen という気になる学者の存在を知ったのだが,それはさておき,Rudolf Carnap や Richard Jeffrey,David Lewis を通じて,久々に Nelson Goodman の名に巡り会った。Smullyan の言う "the Nelson Goodman Principle" というのが具体的に Goodman のどの文献を指すのか,未だに原典がさっぱりつかめぬままである。せめてもの手がかりになればと期待して Goodman の "Axiomatic measurement of simplicity" という気になるタイトルの論文を眺めていたら,次の記事が "Two measures of complexity" と題する,また面白そうなものだと気付いた。著者は一体誰だろう?ネットの力は偉大である。記事のタイトルで検索しただけでただちに著者名が判明した。John Kemeny という人であった。

うん・・・? Kemeny とな・・・?

確か僕が通っていた高校の図書館に『社会科学における数学的モデル』という Kemeny と Snell の共著の翻訳があったような気がする。当時もタイトルに惹かれて手に取り,生物学に関する問題が微分方程式によって定式化されているのに非常な感銘を受けたおぼえがある。具体的な自然科学の現象の数理モデルを作って解析するという手法になぜだか強く憧れたものである。そうした体験がのちのち偏微分方程式論を専攻する結果につながったといえるかもしれない。一種の原体験であったろう。

現在の僕は生態学の微分方程式による数理モデルよりも公理的な方法による選好の順位付けの章に興味があるのだが,味覚のように数学の好みもじんわりと変遷している。にしても,歳を取るだけで身に着けた知識や技能がちっとも増えないままでいるのだが。

それはさておき,Kemeny の文献をネットで検索していたところ,当然のことながら有名な学者であった氏の人となりがついでにある程度明らかになった。驚いたのが,僕が唯一そこそこ使える(?)プログラミング言語,BASIC の生みの親の一人が Kemeny 氏まさにその人であったことである。

あー,なんか昔名前を聞いたことはあったけど,『社会科学における~』の著者の Kemeny さんと,プログラミング言語の開発者の Kemeny さんとが同一人物であるとは,若かりし頃の僕にはイメージがかけ離れすぎていて全く結びつかなかったわー。

と,さっき初めて知ったような心持ちでいるが,実は昔から知っていたはずなのにすっかり忘れていただけかもしれない。高校で手にした訳書の奥付もしくは訳者のあとがき等に著者の略歴が記されていた可能性が高いからである。近いうちに訳書に接する機会があったら確認してみようと思う。

ちなみに,確率や統計の科学における役割については科学哲学の分野で盛んに研究されており,冒頭に述べた van Fraassen と,測定の理論について調べているときに知った Patrick Suppes とが知りいだとか,Tarski の名が出てくるだとか,Nelson Goodman や Hilary Putnam もその界隈の人だとか,論理学の基礎に携わっている人々も当然同じグループに属しているのだということをようやく知った。もっと遡ればルーツは Boole や de Morgan,否,それよりもずっとずっと古いだろう。科学基礎論は西洋哲学のメインテーマの一つだと思われる。

しっかし,20世紀に限定しても科学哲学の巨人を列挙するとかなりの数に上るような気がするし,そういった偉人たちの著作を読んで研究するというのは,僕には無理だわ。
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