日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

山田耕筰先生の思い出

2013年04月18日 | Weblog
山田耕筰先生の思い出

僕と先生の年の差は50年である。先生は77歳になられたときに、先生に喜寿のお祝いをお伝えしたことがある。
呂律もままならない先生に電話に出て頂く事はとてもできなくて、お手伝いさんに喜寿の祝いのお言葉を申し述べて、先生にお伝え頂くように頼んだ。
先生は苦労人である。ぼくもまた人並の苦労をした。
だから相通じるところがあって、僕は先生にとても親しみを感じていた。
何回か目から火が出るように、怒られることがあったが、精神エネルギーのレベルの違う2人の人間だから、その分は仕方がない。
先生は60代になって左半身の手足が不自由になり、あの弁舌爽やかな喋り口調の中にも、呂律が回らなくて発音が不明朗であるところがあった。

甘い考え方を先生に話すと、目の玉がまんまるくなると思いきや、すごい剣幕で怒られた。先生の集中した精神エネルギーが目を通して形のない矢のように僕の心に突き刺さった。後で考えてみるとそれは先生のおっしゃる通りなので、反論などしたことはなかった。生意気な年頃の僕でも反論どころか、先生のあの勢いには押されっぱなしであった。
猛獣的バイタリティーとファイト。この2つは先生の信条であったように思う
時代は確かに移り変わっていく。音楽大学を卒業した専門家の卵達も、、山田耕筰先生の名前を知らない人がぼつぼついる。僕らの年代には神様のような存在であった。音楽室には先生の写真が掲げてあったものだ。
先生との出会いがあってから、50年の歳月が流れた。その歳月を振り返ってみると、僕の生き方が、いかにいい加減なものであったか、生半可なものであったか、不徹底なものであったかがわかる。
今年喜寿を迎えた僕は、そういう感想を持っている。
今となっては目をむいて怒られた先生の、あの懐かしい顔が目に浮かぶ。
























いつでも愛はそよぐ葦