僧的発想
今回の東北大震災に作曲家として何か役立つ事はないか、と誰しもが考えうることだ。
壊滅的被害を受け何もかも、肉親さえも、失った人々に何が1番役立つだろうかと考えると、大抵の人はまず慰め 、励ますことを考えて、そういう作品を作っただろう。
ところが今回もまた撲は全く違った発想で作品を書いた。
僕の心から飛び出してくるものは、犠牲者の慰霊の気持ち、すなわち鎮魂曲だ。計算して作っているわけでは無いのだが、普通だったらだれでも、慰め、勇気付ける、元気を引き出す作品をと考えるものだ。
そしてこの種の曲はたくさん生まれた。
だけど僕はまず鎮魂曲を書いた。最も悲惨なのは行方不明者であると僕は思う。葬式もしてもらえず、その魂は宙をさまよっている、と思うと、いてもたってもいられない。
多くのお坊さんが読経に参加されたのと同様に、鎮魂曲をお供えしたいと思って作った。
まだ公には発表していないけれども、思いは犠牲者とつながっていると
思っている。幻想かも知れないが。
今回の東北大震災に作曲家として何か役立つ事はないか、と誰しもが考えうることだ。
壊滅的被害を受け何もかも、肉親さえも、失った人々に何が1番役立つだろうかと考えると、大抵の人はまず慰め 、励ますことを考えて、そういう作品を作っただろう。
ところが今回もまた撲は全く違った発想で作品を書いた。
僕の心から飛び出してくるものは、犠牲者の慰霊の気持ち、すなわち鎮魂曲だ。計算して作っているわけでは無いのだが、普通だったらだれでも、慰め、勇気付ける、元気を引き出す作品をと考えるものだ。
そしてこの種の曲はたくさん生まれた。
だけど僕はまず鎮魂曲を書いた。最も悲惨なのは行方不明者であると僕は思う。葬式もしてもらえず、その魂は宙をさまよっている、と思うと、いてもたってもいられない。
多くのお坊さんが読経に参加されたのと同様に、鎮魂曲をお供えしたいと思って作った。
まだ公には発表していないけれども、思いは犠牲者とつながっていると
思っている。幻想かも知れないが。