日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

車椅子

2012年12月01日 | Weblog
車椅子

白髪の老人が車椅子を押している。乗っているのは主人よりも、もっと老けた感じの老人。多分奥さんだろう。旦那は一眼レフ高級カメラを首からかけている。多分夫婦揃っての紅葉見物だろう。

人生の黄昏よりは、陽が落ちる寸前に見えた。やがて陽は暮れて、くら闇になるだろう。少なくとも外見上はこのように見えた。

しかし人生と言うものは、わからないもので、特に人の生死については誰もわからない。こういう傍観者の僕が先に幕を閉じることがあるかもしれない。
しかしこんなことを考えながら日々はおくれない。
「明日は明日の風が吹く。」そう思って今日いちにちを無事に生活をすることができるように祈ることかな


都会サバク7-64

2012年12月01日 | Weblog
都会サバク

曽祖父母の4世代まで、肩よせあって同じ屋根の下で暮らした時代もあった。そうしてお互い助け合いしないと生活して行くことができない時代があった。それは当時としては仕方がなかった。いくら人権だとか個人主義だとか言っても生きる方が最優先になる。

時代が代わって、社会が豊かになって個々人が自分なりの生き方ができるようになった。それと引き替えに人情が薄くなった。関わる人間がいないわけだから、それは当然の成り行きである。
誰からも干渉されない代わりに助けても、もらえない。
究極どちらを選択するか。僕なら大家族の中にいるほうが、精神的に安定がある。

都会では家が詰まっていても人間関係は希薄になっている。お隣さんはどこのだれだが全く関心がない。もし夫婦のままで、一方が欠けたとしたら、都会という名の砂漠にぽつんと取り残される。
そこには寂寥感のみが漂い、人間らしい匂いは消えてなくなる。

今日は久しぶりに東京へ出てきた。どこ行っても人混みであふれている。1人波にもまれて疲れた。こんなに大勢いても話しかける人もいない沈黙の世界である。
列車に乗ると、人声は車内アナウンスのだけで乗客は皆押し黙っている。話をしないで、どうして人間関係は気付けるのか。共通の関心を繋ぐのはマスコミという媒体だけじゃないのか。
これで人間らしい生活していけるのか。人間社会が砂漠化する分、ある程度致し方あるまいが、人間は人間社会の中でしか、生きられないという言葉が頭をよぎった。