日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

インドは判らない国だ

2010年11月14日 | Weblog
インドは判らない国だ

カルカッタで泊まっていたホテルから、シエルター駅までは足で10分そこいらである。そんなに遠くはないのだが、旅の疲れが目立ち、背中のバッグはやけに重く感じていた。僕は一人電車通りを目指して黙々と歩いていった。す

ると汚れた壁の汚い家から子供が一人飛び出してきた。よく見るとその子はまだ小学校に上がるが上がらないかの児童で、女の子だった。彼女はそばによってくるなり、背中の荷物を持ってという仕草をした。

こんなみすぼらしいな身なりをしても、親切な子供だなと感謝したのもつかの間、彼女は100ルピーと言い出した。100ルピー?
それはないよ] と断った。

駅はもう目と鼻の先だ。子供にとってみると確かに、20kgは重いだろうが、そのぐらい払うのなら初めから自分で持って歩きはしない。だって目的地はもうまぢかだし、背中の荷物の重さも、身動きのできないほどのものではない。

彼女はとみると裸足で相変わらず100バーツ、100バーツといってそばによってくる。僕はもう言いようと何回も言っているが、彼女は無視しているかのように、少しも意に介さない風体でついて来る.。僕は疎ましく思って声をあらげて[もういいから]
といった。やがて駅に着いた。彼女もいっしょに駅まできた。おかしいなぁ。荷物をここまで持ってきてやるから、100ルピーくれという話はいったい何なのか。

僕は彼女の行動が理解できなかった。乞食で物乞いをしたわけでもないし、ポーターをしたわけでもない。僕は考えこんだ

後日インドから帰宅してインドを旅した友人に、この奇妙な少女の話をした。彼にも同じような経験があるみたいである。彼は後コメントした

日本ではほとんど考えられないことだが、あんな年頃の女の子が通行人、特に外人に向かって100ルピーを要求するのは、身うりの対象だということらしい。
日本中に翻訳すれば、[私を抱いて。100ルピーでいいよ]ということらしい。
自分の孫のような子供が体を売るという。いったい何ということだ。

僕はインドという国はいったい何という国だと腹が立ってきた。国家がこの程度の子供の命を守ることは、社会的インフラ整備の必須事項だ。
その部分が抜けをして何が核保有国なんだ。

そもそもインドはマハーラタ・聖なる大地、偉大なる大地。ではないのか。だから偉大な釈迦が誕生し宇宙の真理を発見し、道を説いたのではなかったか。我々からみると、インドという国は偉大な釈迦を生み出した聖なる国、不思議な国として、心の底ではあがめているではないないか。インドの現実を知らない僕はこの女の子の事実をしって愕然とした。
わからん。あの女のこのことも。この国の国民の底流にあるインド人のものの考え方や発想方法も。

今まで僕が作り上げたインドのイメージは、その国として、かくありたいという僕の願望を、そのまま現実にある当てはめて、その落差の大きさに驚くということなのだろうか。

旅をすると、想像もつかない現実を、体験的に知ることがある。だから旅が止められないのだ。だろう.



03/2/22 インチョン空港にて



誰でも身内には甘いが

2010年11月13日 | Weblog
誰でも身内には甘いが


ある新聞の社長の監禁事件

奇怪な事件が起こった。1ヶ月も前の話である。それが約1カ月後の2月27日に発表された。
調べによると、容疑者は、部下や知人の計5人と共謀し、1月31日、午前9時ごろ、東京南青山にある新聞の社長の自宅近くの路上で、散歩していた社長の顔に布をかぶせて、ワンボックス車に、押し込んだ。監禁は2時間に及んだという。
このようなセンセーショナルな事件が、どうして1ヶ月も遅れて発表されたのか、
その言い分はこうである。
背後関係が不明で、再度被害にあう危険性があった。だから犯人が逮捕されて、起訴された後に発表したと言うのである。
確かにマスコミは、事件の本質を真実として伝えなければならないが、同時に、即時性という使命もあるはずだ。

事件が起こった当日に、このことが報道されようと、1ヶ月後に報道されようと、一般庶民の生活には、何ら影響はないが、これがもし、新聞社、いわゆるマスコミでなくて、外で起こっていたとしたら、マスコミはどういう態度で、この事件を取り上げたであろうか。それを考えてみると、やはり言いたいことがある。
大体マスコミというのは、大きな力を持っている。つまり、社会に大きな影響力を及ぼす存在なのだ。だから、すべてに置いて公平で、迅速で、真実の報道が要求されるわけである。
マスコミ関係者は自己に甘い
一般論として、よく言われることであるが、身内には甘いということである。今回の報道ぶりを見ても、事件があってから、1ヶ月後に、その事件について発表するというのは、古びて、腐りかけたネタを出すタチの悪い寿司屋のような感じがしないでもない。
これがマスコミ以外のいわゆる普通の会社だったら、どうか。
記者は、ネタを求めて夜討ち朝駆けしたのではないだろうか。取材や報道の有様を見ていると、人の迷惑もかえりみず、よくここまで突っ込んで、取材し、報道するなと思うことが度々ある。世間の常識からしてみると、やりすぎなのである。
今回の事件に限らずマスコミ人はそこのけそこのけお馬が通る的な態度が散見されるのは思い上がりの結果だと思う
マスコミ力を勘違いして、過信しているのではないか
心して謙虚に反省すべし。

進歩のテンポ

2010年11月12日 | Weblog
進歩のテンポ


社会の進歩のテンポがはやすぎはしないか

30年前の状態を思い返してみると、人々はゆったりしていたように思う。

産業技術の進歩発展が早すぎる。それは競争が激しくなってきたことを意味するのだろうが、そんなに急いでどこに行くとため息がでる。

30年後はいったいどんなことになっているのだろうか。想像が難しい

人間よそんなに急いでどこへ行く

有限の資源であることが忘れているのではないだろうか 。全世界の人々に言いたいのだが、我々は地球船に乗ってしか、存在し得ないのだぞ。

本音と建て前

2010年11月11日 | Weblog
     本音と建て前

人間の知恵が発達して、その社会構造が複雑化するにつれて建前と本音の使い分けが激しくなってきたと思うのは僕一人であろうか。

確かに建前は本心とはかけ離れている。本音とは別物だ。
本音はそのものズバリだけど、建前にはその裏にいろいろなものが隠されている。
京都ではよく使われるらしいが、来客にもうかえってほしいという本音を伝えるのに、ぼつぼつ腰を上げておかえりやすとは言わずに、もうすぐぶぶ漬けが出るから待ってほしいと謎のような建前を言って本音とすり替える。この建前と本音を上手に見極めないと、京都では野暮天と見下され、田舎ものと軽蔑される。こういう風潮は近頃の若者には通じることが難しく、時間の問題で消えて無くなる言い回しだとは思うが、まだ生きている。本音と建て前の説明にはちょっと不向きな説明をしたが、要は建前には複雑な意味が隠されているので、建前の下に隠された本音を見抜いて、その言わんとするところを正確に察するまでにはそれ相当の訓練が必要である。


人間が社会生活をする以上、建前と本音を上手に使い分けて生活しないとやっていけない。その使い分けのバランスが自分はもとより、相手にも好悪の感情を抱かせ、人間関係に直接響いてくる。
その使い分けのうまさが大人としての成熟度を示すバロメーターである。彼はまだ子供だ という場合大体本音丸出しの未熟者という意味だし、なかなか喰えんやつだという場合は余りにも鮮やかにこの二つを使い分けが上手で相手に警戒心さえ抱かせる場合のことだ。


建前ばかりでも、人は相手にしないし、本音だけでは見苦しいことが多い。嘘とホントを取り混ぜて円滑に人間関係を転がすように、建前と本音はうまく取り混ぜて、人間関係を円滑に運ぶことこそ生活上の知恵だと思う。その取り混ぜ方や、使い分けがわかるのは、社会にでて、いろいろな場面で経験を積み、泣いた笑ったり、悔しい思いをしたり飛び上がって喜んだり、いろいろな経験を積んで、それによって学習されるものである。

社会的訓練を受けて両者の使い分けがうまくできるようになる。ところで面倒な使い分けをやめてどちらか一本で社会を泳ぐことは出来ないだろうか。これはなかなかむつかしいことである。それは人間が複雑に出来ているからである。生地をそのままむき出しにすることははばかれる。かといって腹の底には本心がある場合は、どうしても両者の使い分けが必要になってくる。大人社会ではやはりこの使い分けが物事を円滑に運ぶ手段となる。

結城秀康の祟り

2010年11月10日 | Weblog
結城秀康の祟り

元禄末年のこと、彦根城の廊下橋で、刃傷事件が起こった。この事件の後に、城下では、奇怪な噂が飛び交った。結城秀康の祟りが原因だというのである。
結城秀康は徳川家康の次男だが、徳川家の相続権者から、遠ざけられていた。それは、家康が彼を嫌ったからだという。

家康は彼に68万石を与えて越前の大名にした。親子の間でも時として、そりが合わないことがあるのは、今も昔も同じだ。
忠臣本多正信は徳川家のために、井伊直政の嫡男直継に白羽の矢を立てて秀康の暗殺を迫った。
ところが直継は即座に断った。しかし彼の弟直孝は家康の意向であるならば、自分が引き受けると承諾した。むごい話である。家康は本当にそう望んだのか。心の奥底では何がしかの憐憫の情を持ち続けたのでは無かろうか。

しかしお家のためにならぬと考えている家康の意向を汲んで本多は心を鬼にした。そして井伊直継にこそっと、その旨うちあけたのだったが、彼はそれを拒み、弟が暗殺計画を引き受けた。もしこれがぼくがこの立場にいたとしたら、どうしただろうか。わが身に引き換えて答えを出さないと、無責任な発言になる。お家のためとはいえ家康の実子を暗殺するか、それとも人間の心を持った一人として、人を殺めるわけにはいかぬと、禄の召し上げ承知の上で断るか、難しい判断を迫られる難問である。

1606年、秀康は彦根城に招かれた。名目は築城手伝いのお礼ということであったが、この酒の席で、毒をもられてしまう。そして翌1607年に秀康は病没した。
暗殺を断った直継は群馬県の3万石に左遷されたが、暗殺を決行した直孝は井伊の宗家をついて彦根15万石の藩主となった。

その後5代目の藩主直興の時代になって後継ぎの男子が次々と年若くして死んでいった。これには直興も困ったらしい。彼はこの災いを払いのけるために、秀康が信仰した弁財天祭祀のために建立を思い立ち、大洞弁財天社を建立して祀ったが、効果はなかった。


この時代には、この藩でもこのような血生臭い事件や、話は調べればきっとあることだろうと思うが、私は後年、井伊直弼が安政の大獄事件を起こす伏線がここに秘められているように思う。やはり先祖から伝わる血の部分があるのかなと、思わざるを得なかった。

殺すか殺されるか。と言う緊張の時代だから、あるいはやむを得ないかもしれない。人を毒殺するというのは、殺された人だけではなくて、殺した側にも人間としては何かが残るはずだ。

人間の霊や怨念が、時を経て、後世にどのような災いをもたらすか。それは実証不可能なことだから、真実は分からない。しかし、あまりにも奇怪なことばかりが継続すると、人間はやはりこういう部分をかつぎ出して、問題の解決をしようとする。それは気慰みかもしれないし、また実際に、それによって解決され得ることがあるのかもしれない。
こういうことは何も、井伊家だけのものではなくて、古くは、北野天満宮にまつられている、菅原道真の事件も、似たような部分がある。

それは、人間の心の奥底は深くに潜む、霊魂に対する恐れが作り出すものかもしれないが、人間には良心というものがあって、良心に反することをした場合、良心の呵責に、耐え切れないとき、が、出てくるのかもしれない。

怨念説をもう少し広げて考えるならば、天下の井伊家と言えどもに、随分と怨念を受ける行為がある。たとえば、石田三成の佐和山落城の状況を考えてみると良い。

関ヶ原の戦いに破れた、石田三成は本拠地である佐和山城に、戻ろうとするが、すでにここは、徳川家の勢力下にある。落城とともに、三成の妻や一族の女たちは、天守閣のわきの崖から、次々と、身を投げた。そこは、女郎谷と呼ばれて、その谷間は死体で埋まり、死にきれなかった女たちのうめき声が何日も続いたという。
いわゆる阿鼻叫喚にの地獄絵図である。
戦くさに破れたものが、このような悲惨な目に遭うというのは、何も佐和山城の女たちだけの悲劇ではない。が、たとえ敵方と言えども、人間としての熱い血が通っているならば、この悲劇を見過ごすのはどうかと思う。
つまり、井伊家には、先祖代々、このような冷血な判断や行為が行われる先祖代々の血の流れがあったのではなかろうか。
それは結局時代が下がって幕末に井伊直弼が藩邸から、江戸城に向かう途中、桜田門で、脱藩した水戸や薩摩の浪人たち18名によって、襲撃され首を切り落とされるといういう形で、因果応報、がめぐったような気がする。

彦根の住人でないヨソ者の僕が、どう考えるかは自由であるが、彦根においては、まだまだ井伊家に対する市民の思いというのは、僕の理解できないところにあるのかもしれない。

ともあれ、昭和の時代になり、大西洋戦争の敗戦を迎えた。日本では、欧米流の民主主義が輸入され、まがりなりにもそれが定着している。だから、今後はおそらく安政の大獄のような事件は起こるまい。それだけでも、良い社会良い時代になったといえる。

昨日久しぶりに映画を見た。桜田門外の変である。将軍継嗣問題、と外交問題
つまり開国を巡って井伊は大胆に反対するもの、異議を唱えるものにたいして、大なたを振るって弾圧した。吉田松陰を初め、橋本左内、など犠牲者は100名余りという。
それが井伊の独断専横に憤りを感じていた水戸藩の武士が脱藩して浪人となり薩摩藩有村(井伊の首級を取った)達の決起を促進させた。
襲撃者それに井伊大老を警護できなかった武士の切腹者をくわえて150名近くの命が失われる。井伊の首1つをとるためにそれだけ多くの人命が損なわれたのである。こういう弾圧事件はほとんどが失敗に終わっているが、この事件だけは例外的に歴史を一歩前に進めたと見るのが、司馬遼太郎さんである。
でも当時の国内情勢や外圧に対して見方が分かれるのは、納得できる。もし井伊の立場に僕が立っていたとしら水戸斉昭の主張のように、強硬外交をすすめただろうか。失敗したら亡国の危機にさらす綱渡り外交に踏み切れただろうか。
この井伊の開国決断が正解だったかどうかは、未だに評価の定まらない状態らしい。
そして僕は思う。よくぞあの難しい判断を迫られる立場に生まれなかったことだ。名もなき庶民に生まれた喜びがここにある。


















井上玲奈さん

2010年11月09日 | Weblog
井上玲奈さん

彼女のお父さんはまだ40歳代という若さで、肺がんのために亡くなった。しばらくして彼女にもガンの症状が出た。

彼女は井上玲奈さん。32歳。フュギュアースケート選手である。

やりたいことがあったから前へ進めた。と、ガンを克服したこのスケート選手は言う。また、1日1日を大切に過ごすことともいう。

彼女は、アメリカに渡り、アルバイトをしながら独力で、病と戦う。

テレビでは、この銀盤の女王が、コンビニの店員して働いている姿も放映した。

この場面を見たとき、僕は、久しぶりに感激した。テレビ画面を見て感激することは、ほとんどないから、この感激は新鮮だった。そして彼女のことは、頭の中に、くっきりとやきついた。

すごい人がいるものだ。がんばって欲しい。病気を克服してほしい。立派な選手になって、スケートリンクの上で、舞ってほしい。美しいその姿を見せてほしい。僕は心からそう願った。

そういう彼女に、大きな大きなプレゼントが、贈られた。
彼女とペアーを組んだ選手 ジョン・ボールトン選手が、彼女に、スケートリンクの上で、プロポーズしたのである。これを見た僕は心から拍手をした。
拍手は僕だけではない。リンク上で彼と彼女を見た人たちは、大きな大きな拍手を寄せて二人を祝福した。

昨日のテレビでは、彼女はガンにかかっている子どもたちをスケートリンクに招待して、一人一人に声かけ励ましていた。
言葉ではなくて、その姿や行動によってガンにかかっている子どもたちをどれほど慰めたことだろうか。子どもたちにどれほど生きる希望を与えたことだろうか。
これは作り話ではなくて、現実である。だからなによりも説得力がある。毎日毎日、暗いニュースしか放映しない、テレビ画面に比べ、これらの場面を見て、僕は心の底から気持ちが暖まり大いに励まされた。
僕が感激したのには訳がある。
人間は皆生まれ落ちるなり、死が待ち構えている。普通であれば日本人の場合平均寿命は80才くらいだ。その年頃になると覚悟が出来るというもの。30代や40だい、50代で死を目前にする人は普通ならばいないはずだ。不幸にも彼女は30代で癌という死の病にとりつかれた。それを乗り越えた所に僕は彼女の偉大さを見つけるのである。必死になって病と闘ったことだろう。死の幻影に脅かされながら銀盤で決死の努力をして生き抜き、同病の子供を招いて励ましたと言うではないか。何と素晴らしいことをするのだ。感激。ただ感激あるのみ。そして願わくば彼女に神の加護がありますようにと祈らずにはいられない。

PCロボットで作曲

2010年11月08日 | Weblog
過去の名曲のフレーズをPCで、分析して良い部分を選択してつなぎ合わせることによってメロデイを作ることは出来る。それを器用にアレンジすれば素人目には判別のつかない作品ができあがる。それを作曲と言うならば、今後ロボットやパソコンが作曲者になることが出来る。
巷ではこのような曲が素人によって作られ、鼻紙のように消費されていく。それが現在の演歌の世界の生産と消費の現状だと言えば、言い過ぎになるだろうがそんな程度の作品が出回っているのは嘆かわしいことだ。

しかしこうして作られた曲の値打ちを判断するのは人間の心である。
人の心の中身はそれぞれが持つ人生観  品格  美的感覚 等である。

歌は生の人間の心の叫びだ。  
それは人間の心以外の物では作れないと僕は思うのだが。いったい歌の世界はどのような方向に向かって進んでいくのだろう。おそらく無機質な歌に嫌気がさしてCDの販売は衰退に向かうことだろう。


法句経 ダンマパダより

2010年11月07日 | Weblog
法句経 ダンマパダより


自分よりすぐれた人と比較して、劣等感を持ち、劣る人と比べて優越感を持つ。果たして己というものは他者との比較において位置が定まるものなのだろうか。

どちらも取るに足りない事ながらこだわるのが人間の現実だ。しかるに釈迦はといた。 法句経 ダンマパダ
己こそおのれの寄る辺、我ならで何によるべき
   みがかれし 我の力に勝るものいずこにあらん

自力と他力

2010年11月05日 | Weblog
自力と他力


やろうという、気持ちがどこからか訪れ、心身に強くわき起こってきた時、それこそが本当の他力の働きだ。この力を信じてやる気を起こさせた力こそが他力だと思う。

アメリカの、ヘッジフアンド会社。ロングタームキャピトルマネージメントが
ロシアの通貨危機の影響を受け多額の損失を出して経営破たんした。2人のノーベル経済学賞を受賞した経済学者が参加しているにもかかわらず、破綻した。
そのリスクは計算上は限りなくゼロに近い。ほとんどあり得ない確率であったと思われる。
そもそもヘッジファンドは、人間の自力、つまり人間の知恵の結晶にほかならない。人間の知恵で考え尽くされた計算上の自力である。

ところがこの現実世界には自力という人間の考えや知恵を超えた、事態が起こりうるといえるのが今回の破綻でわかった。

私たちは生まれてくることも、老いることも避けることはできない。病気にもなり、死については人間はいや応なく迎えなければならない。
自分の意志や努力では、どうにもならないものを抱えていると言うのが人生なのだろう。それは文明が進歩しようと、時代が変わろうと民族が異なろうと、人間が背負っている宿命である。

その一方で目に見えない宇宙の力とともいえる大きなエネルギーが、見えない数のように、流れていることを感じる瞬間がある。ちょっとしたことだが、目に見えない何か大きな力を実感する瞬間がある。
自力と見える努力も本当は他力の働きで、他力の風が吹かなければ私たちの日常も本当は思う通りにはいかないのかも知れない。

他力とは、目には見えない何か大きな力がどこかで、自分の生き方を支えているという考え方である。
自分以外の目に見えない大きな力が、自分の運命にかかわり合いを持っている。自分以外の他者が自分という存在を支えてくれると謙虚になって受け止めることが他力を知ることだ。

本当のやる気を、自然と起こさせてくれる不思議な力、それが、他力の働きの本質ではないかと思う。

他力は自力の母である。他力と自力の関係は対立するものをではなくて他力は自力を生み出す源である。他力の中に自力があるのだ。
本当に、やる気が心の奥底からからわいてくるとき、それは他力の風を吹いてきた
時で、自力と見える努力も、実は他力の働きに支えられてと考えることができる

自殺、離婚、自己破産、 失業、犯罪 汚職などの右肩上りの増加ぶりは私たちの魂の非常時を意味する。
自分を客観化し批判的に見るのも大事だが、自己嫌悪はよくない。1度落ち込んだら、抜け出ることのできない泥沼だからだ。
全国の自殺者、総数97年度で24239人 ここ数年増加傾向にありすでに、30000件は越えている。

一見平和に見える今の豊かな日本で失われていく市民の数は、戦争の時に勝るとも劣らないのが現実だ。これは心の内戦である。

命の重さが全く感じられなくなり、濃密な充実感が、まったく失われてしまったのが、今だと思う。
現在、日本はこれまで経験したことはない質的な、大転換期にさしかかっている。
見えない明日に心の底で覚え不安を感じ、やり場のない嫌悪感にさいなまれ、強い焦燥感を抱く。
今、この大乱世というべき事態に鏡を置いて、時代を映し出してみると、今後他力というすごい力にひとつの活路が見いだせるのではないかと私は強く感じる。
私にとって他力とはいったい何なのかというと、それは絶対者であり、神であり、宇宙の真理である。これらは実情を感じて、信じる他はない。科学を超越したサムシング・グレートである。





















秋色高野山

2010年11月04日 | Weblog


          秋色高野山                    

ケーブルカー

極楽橋は南海電車・高野線の終点である。ここから山上まではケーブルカーで上る。5分そこらの乗車だが、ゆっくり走るから景色はじっくり観察出来るし堪能できる。
10月に来たときは、台風で杉や桧の大木がねじ倒され、台風のとてつもないエネルギーを見せつけられたが、今日は穏やかな秋景色。
雪はまだないが、落葉樹は冬支度。今年になって、今日は初めて霜が降りたそうな。それでも例年より暖かいらしい。
高野の森の木は動きはしない「が、まるで季節認識に合わせて、衣替えするようで、面白い。
落葉樹はたいがい黄色か、茶褐色に色づいているが、霜焼けしたのだろうか、黒く斑点がついているものもある。
急な斜面の為に倒木の始末はなかなかはかどらないみたいで、先月見たのと同じ状態で放置されている。話によると、ねじれて倒れた木は板に製材すると真ん中にヒビが入っていて、板としては使えないそうな。 てなわけで処置に困っているとのこと。
           金剛峰寺へ
 ケーブルカーを降りた途端、冷気が体を通り抜けた。ひやりとした感触が秋というよりは冬の近付きを感じさせた。今年はことのほか暖かい日が続き、山の下、例えば大阪市内ではどうかするとTシャツ1枚でうろついている若者に出会うことだってある。
やはり高野山だわい、僕は納得した。
  駅前からバスに乗った。本当は歩きたいのだけど、高野山の商店街のある、町の中心まで歩いて行くには、ちょっと距離がありすぎる。
女人堂が最初のバスストップで、次の次が南院だ。南院さんには浪切不動尊が祀られている。
ここは浪切不動尊の全国の総元締めだ。
袈裟懸け、手には金剛杖、スニーカー履き、背中に南無大師遍照金剛と墨書きした白のハッピ(おいづるというらしい)を着た遍路スタイルの善男善女が幾組も、お参りに来ていた。菅笠は布の帽子に変わっている。鈴を鳴らして、というのが常識だと思っていたが、現代風なのかどうかしらないが、鈴の音は聞こえてこなかった。

正面の賽銭箱の前に立って拍手をするとビイン、ビインと反響が天井から返ってくる。子供じみた話だが、面白いので何回も手を打ってエコーを楽しんだ。
先程から後ろで命令調で話の受け答えをするお遍路さんがいる。
「はい、しかと申し伝えます。」 、「ハイ、承知しました。」 そんな会話が聞こえた。


誰を相手に話しているのかと振り返ったが誰もいない。
おかしな人達だな。大きな声で独り言をしゃべって。僕は薄気味悪くなって来た。
気づかれないようにして僕は寺務所にいた人に独り言をいう、お遍路姿の行者さんの事をたずねてみた。
「それはあんさん、なんですよ。お不動さんと話をしてはるんですよ。」
「ええっ、お不動さんと話を。神さんと話ができるのですか」
「ええ、できますよ。ここにはそんな方がたくさんみえますよ。」
「皆お不動さんと話を出来るのですか。」
「ええ、ええ。先達さんは皆さん話されるのとちがいますか。私ら毎日見ているから慣れてしもて、別に何とも思いませんが、、、。」
生まれて始めての経験に、僕は自分の伺い知れない世界もあるものだな、というところに棚上げして、深く考えはしなかった。

警察の手前から右おれして、真言宗の宗務所の前を通り越して、殆ど段差がない石段をのぼり、金剛峰寺の北入り口から正面に抜けた。表門の敷居をまたぐと、ゆったりとした緩い勾配の石段の右側にある紅葉は、1本だけ紅く色づいていたが、霜焼けした手のような色の葉が有るのは、今朝初めて降りた霜にやられたのだと思った。
表門をでると前はかなり大きな駐車場で、僕は前の道を右にとって六時の鐘の前から枝分かれした道を左にとった。

参道

この道は金堂や大塔に通じる参道で、季節毎の木々の有り様が、風情があって魅力的だ。参道の入り口は2、3段の石段になっていて、それを越えると、枝は参道に覆いかぶさるように茂っている。青空を背景に、紅葉のトンネルをくぐる感じだ。
道の右側に有る、紅葉は四季それぞれの趣を楽しませてくれる。春先から初夏にかけては、青葉若葉の紅葉、秋が深まり霜が降りるころになると、真っ赤な紅葉、雪が積もると白い雪の上に舞落ちた霜枯れの一枚の紅葉、季節にぴったりの雰囲気をつくってくれる。
1本のこの紅葉の移り変わりが、人生の何かを暗示しているように思うのは、ここがそういう雰囲気をもった霊場のせいだろう。
            

        愛染堂

参道を進めば、大塔へ行く手前に愛染堂がある。
今日はたまたま扉が空いていたので、中をのぞき込んだ。若い坊さんがお経をあげている。
 愛染さんと言えば、色と欲の仏さんだ。僕の常識では色と欲は宗教とは無縁の世界で、むしろ、それを遠ざけようとしているのが、日本の仏教世界だと思っていたが、密教では煩悩即菩提だという。つまり煩悩が有るから悟りがあるのだと教えている。
例えば男女交合が悟りの糧になると書いてある。理趣経の最初の部分に出てくるのだ。愛欲の行い、そのものが最高の仏へのさとりを完成させる方法だと説いている。 本当かい?、これには正直驚いた。このことを僕はNHK教育テレビの「、心の時代、仏典のことば」を読んで初めて知った。
そういえばネパールの古都バクタプルへ行ったとき、男女交合の姿そのものがお寺のひさしに彫刻されていた。ミトウナ像をみて、日本人の僕がもつ宗教観とあまりに掛け離れていたので、唖然としたことがある。どうも理趣経の性を肯定する思想は、俗世間を離れては仏も生まれない、という確信の中で生まれたものらしい。

考えてみればそりゃそうだ。男女の交わりがなければ人は生まれて来ない。人が生まれて来ないなら仏も生まれない。ああそうか。出発点はここなのだ。この出発点を考えないと、宗教そのものが成り立たなくなる。何か俗世の現実そのものが真言宗の出発点になっている感じだ。宗教というより当たり前の常識だ。宗教だなんて大袈裟に構えない方がいいと僕は思った。
1000年間女人禁制の、この高野山真言宗の根本経典の主旨はこんなところにあったのか。内心すっきりしないものを感じつつも、あの燃え立つ朱色の愛染明王のお姿をぼんやりと眺めながら、僕は薄暗い堂内に佇んでた。
それから何を考えていたのか分からないが、しばらく時が流れて急にハッと思いついた。
そうか。それなら頼んでみようと自分で決めた。
「愛染明王。どうか僕にも良い女人にご縁をくださいますように。うまく取り計らってもらえませんか。こういっちゃなんですが、この年をして、まだ女人とのご縁の結び方も知らず、したがって口説いても成功したためしが無く、それこそこの方面にかけては、毎日が旗本退屈男ですからよろしくお願いします。
ところで、こういうご縁というものは、努力してつくりだすものですか。それとも、向こうからやってくるものなのでしょうか。娑婆の世界と言うものはなかなか難しいことが多くて、一筋縄ではいきません。最後には面倒臭くなって、おっぽりだしてしまうのがおちでした。でも神さん、あれ、間違えた。愛染さんは仏さんでしたね。ご縁をくださるというのなら、何でもと言ったら大袈裟だが、出来るだけのことはしますから、何分よろしくお頼みもうします。」
今日の収穫はこれだ。秋の紅葉もいい、高野山の秋の景色も雰囲気も好きだ。しかし、それらは感じるだけで終わってしまう。それにくらべて愛染さんへの願かけは、あとに楽しみが残る。
 こんなことをいったら、しかられてバチが当たるとは思うが、女人禁制であったこのお山で、女人求むと言うだけでなく、愛染さんに世話してくれと頼み、それを当てにするとは痴れ者もいいところだ。
 だが、これが自分の現実であってみれば、それもよかろう。当てにして良いのか、当てにしては悪いのか、それは一重に愛染さんが吹かす風向き次第である。言い換えれば愛染さんのちょっとした采配にかかっているのだ。まあ、当てにしないで待っておこう。 
ウッフッフー。
ちょと待って。仏様にお願いをしておきながら、当てにしないで待つとはどう言うことだ。
当てにしないのなら、初めから頼まなきゃいい。仏を冒涜するにも程がある。僕はそう思いかえして姿勢を正した。照れくさい願い事だが、改めて真剣にご祈願した。       

               

盾と矛

2010年11月03日 | Weblog
盾と矛

高く買います。安く売ります。矛より強い盾をうります。盾より強い矛を売ります。
実態ははともかくも、人の目を引く強いフレーズとしては面白い。

中には、このフレーズをまともに信じてしまうおめでたい人もいる。
高く売りたい。安く買いたい。それは、万人共通の願いてある。
それに、うまく、あてはまるキャッチフレーズだから、人目を引くのだろう。

子供の時はこの騙しが、一直線にそのまま受け止められた。大人になってからは、マユにつばをつけてみることを覚えた。
人の言うことを簡単に信じてしまうと、おれおれ詐欺に遭う。

日本人とはどこまでお人好しなのだろう。日本列島には自分のような正直者しかいないと言う先入観があるのだろうか。海外特にインドに行ってみると日本人は如何にスキがあるかよく分かる。それも何回もだまされたあげくやっと気がつくというお人好しさである。だまされるされる自分が悪いと何回ジタンダを踏んだか判らない。

日本に帰国して、日本の国家そのものがお人好しの集まりだという風に思えた。だから外交が下手なのだ。これはひょっとすると国民性かも知れない。
これからグローバル化によってより多くの国とつきあわなくてはならいが、お人好しを、国民性だからしかたがないとあきらめられるがどうか。

日本に今日のような経済的繁栄をもたらしたのは、長年の冷戦と言う風にのっかって、日本人が勤勉だったからであると僕は思っている。
世界情勢も変わり、今後は国際社会の中でどのように民族性を変えられるのか、1つの課題である。
今回の中国のやり方やロシアの動きを見ると、いよいよ外交不在の日本を我ながら軽蔑したくなる。もっと大人になれ、とはなんたるごまかしのフレーズか
。打つ手がないと言う状況じゃないか。政治家よ。しっかりせい。

不老長寿

2010年11月02日 | Weblog
不老長寿

上は中国の皇帝から、下はタイのシーウイまで不老長寿の妙薬を求めて
全国も飛び回ってた。 絶大な権力を持つ皇帝は仙人を使わして全国津々浦々探し回った。

特にタイにおけるシーウイに至っては子供を誘拐し、殺して、肝を食べたそうだ。
どこかで得た不老長寿の妙薬の知識かしれないが、そうまでして、この世で長生きしたいか。

自然界にあるすべての動植物には、寿命というものがあり、もちろん人間だって、寿命の中でしか生きられないのは自明の理である。
皇帝がどんな権力者であったとしても、人生に寿命がある限り、寿命を超えて生きようという事は無理である。絶大な権力によって寿命の限界を突破しようというのは思い上がりも甚だしい。

思うに、現世で、そんなにも長く生きていたいのか。苦しみの多い人の世で、寿命まで生かせれてもらえば、それで十分なはずだ。

自然界の法則で、ある一定の年齢を超えると、心身共に衰えて、我が身の見繕いさえ出来かねるときが来る。
我が身の足りない部分を他人の手を借りて、長生きするというのは、社会にとってはいい迷惑だ。
介護なんて言うけれど、社会的に見ては、それは明らかに非生産的なマイナス部分である。
動植物はすべて寿命があるように、人間にも寿命があり、その中でしか生きられないのだから、自然にかれる命を人工的に、延ばすのは考えるものだ。

ましてや、長寿の妙薬を求めて、海山千里を探しまわると言うのは、気違い沙汰を通り越して、むしろ滑稽だ。
ましてや、犯罪を犯してまで、生きようとするのは、見苦しいばかりでなく、寿命を与えた神仏への冒涜に値すると私は考える。

時期がくれば、落ち葉がひとひら舞い落ちるように、自然にこの世を去るのがよい。
平均寿命まで生かしてもらえれば、オンの字だ。





















 メール

2010年11月01日 | Weblog
            メール


年頃が過ぎると、男3人よれば女の話になり、やがてそれは品定めを通り越して、エロ話に発展する。何も知らないふりをして好きな奴、話すことはいかにも感心させられるが、中身はたいしたとことのない奴、360度の方向性を持ちながら、意見の対立もなく、お互いに喧嘩もせず、、多少の笑いを浮かべながら、うなづいたり、相づちを打ったり、よくぞまあ話の種がつきんことよと感心するのはこの手の話である。そしてこの手の話はほとんど男子専用であった。

ところがである。
性の自由化が進んだというのか、解放が進んだというのか、近頃の若者の会話、特に女性のエロ話には感心する。
はじめはその手の話は長い間、男性専用で、女性が自らの言葉で性に関する話をすることは、はしたないと、禁句にされていた。

先日見た深夜のアダルトタイムのテレビ番組ではそこまでやるか、と感心した。男女交合について、女性の解説が付くのである。男には絶対にわからない女性の本性みたいな部分の解説まであって、エロ話には違いないが、エロっぽいと言うよりは、ある種の教養書にすら思えた。

えっ?それ本当?と感心したり、驚いたりしたことが幾たびかあった。
男子専用の世界に女性進出である。なるほど時代は変わった。と思う反面、これで正常に戻ったと言う気がしなくもない。

どうしてこの手の話は、今まで男子専用だったのか。男女カップルになる話が、なぜ男だけの専用事項なんだろう。
当然相方の女性も自らの関心事や、興味の対象として、この手の話をしてもおかしくはない。
今の時代はメールが大流行である。これは便利な文明の利器であるが、匿名性が高いので、割に本音が出やすい。しかも異性同士のメールが数多く楽しめるので、僕は冷やかし半分、期待半分で、毎日それなりに楽しんでいる。と言ったって、普通の女性からは、まともに相手にしてもらえない世代である。だからといってやけのヤンパチでメールしているわけでは無い。大まじめなのだが、誰もまともに相手にしてくれないだけのことである。
あーあ。ため息が出る。