日々雑感

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おばちゃん軍団

2010年11月21日 | Weblog
おばちゃん軍団

観光客でにぎわう京都嵐山、中之島公園では、人目もはばからずに、満開の桜の下で宴会がたけなわである。
世に言う、オバタリアンの集団・オバタリアン軍団である。
開き直りがあるのだろうか。日頃のうさを晴らしているのであろうか。
慎みがなく、そこのけそこのけお馬が通る的に、傍若無人である。

主人をなくした、後家の集団か、はたまたかかあ天下の集団か、
職場の同僚か、ご近所の奥さん集団か。

手作り弁当と、ビールや酒のアルコール類は、男女の隔てなく進んでいく姿だと思い目を向けた。嗜みや恥じらいを失った女性は、確かに格好が悪い。
大股開きで、電車の通路に、しゃがみ込む。女子高校生はその典型である。
そこまで考えたとき、
これでいいんだ。という思いが、横切った。考えてみれば、この軍団のメンバーは、これまで5、60年の風雪をくぐり抜けて、今ここに、今日の命を輝かせているのだ。誰がなんと言おうと、その人生は尊い。
見てごらんのとおり確かに、見た目には悪いが、そのことが、この人たちの生きざまを傷つけるものではない。何をしようと、何を言われようと、美しいのは、命の輝きである。それを見なくちゃ心眼で物を見ることにならない。
網膜に移ったものだけで、是非を決めるのは底が浅い。軽率だと自分に言い聞かせた。

そういえばここへ来るまで、道中で黒い喪服に、身を固めた、幾人もの人に出会った。きっと似たようなクラスの人の団体であろう。時が経てば、人は、一人の例外もなく、この有様。それが人の世の掟であり、自然の定めである。

上り坂は、息切れがする。下り坂は、足に、力が入るのか、がくがくする。いずれにせよ、坂道は大変だ。人生坂も、またカクのごとし。

この前は桜の下でどんちゃん騒ぎをしていた、オバタリアン軍団も、今日はその姿なく、関の水音のみが、耳につく。というのはちょっと寂しい。
時節が過ぎると、人影はない。嵐山の中島公園。
時節も人も、移り変り行くものだ。ちかごろ、やっとそのことが、名実ともに実感を伴って判るようになった。 。

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