日々雑感

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秋色高野山

2010年11月04日 | Weblog


          秋色高野山                    

ケーブルカー

極楽橋は南海電車・高野線の終点である。ここから山上まではケーブルカーで上る。5分そこらの乗車だが、ゆっくり走るから景色はじっくり観察出来るし堪能できる。
10月に来たときは、台風で杉や桧の大木がねじ倒され、台風のとてつもないエネルギーを見せつけられたが、今日は穏やかな秋景色。
雪はまだないが、落葉樹は冬支度。今年になって、今日は初めて霜が降りたそうな。それでも例年より暖かいらしい。
高野の森の木は動きはしない「が、まるで季節認識に合わせて、衣替えするようで、面白い。
落葉樹はたいがい黄色か、茶褐色に色づいているが、霜焼けしたのだろうか、黒く斑点がついているものもある。
急な斜面の為に倒木の始末はなかなかはかどらないみたいで、先月見たのと同じ状態で放置されている。話によると、ねじれて倒れた木は板に製材すると真ん中にヒビが入っていて、板としては使えないそうな。 てなわけで処置に困っているとのこと。
           金剛峰寺へ
 ケーブルカーを降りた途端、冷気が体を通り抜けた。ひやりとした感触が秋というよりは冬の近付きを感じさせた。今年はことのほか暖かい日が続き、山の下、例えば大阪市内ではどうかするとTシャツ1枚でうろついている若者に出会うことだってある。
やはり高野山だわい、僕は納得した。
  駅前からバスに乗った。本当は歩きたいのだけど、高野山の商店街のある、町の中心まで歩いて行くには、ちょっと距離がありすぎる。
女人堂が最初のバスストップで、次の次が南院だ。南院さんには浪切不動尊が祀られている。
ここは浪切不動尊の全国の総元締めだ。
袈裟懸け、手には金剛杖、スニーカー履き、背中に南無大師遍照金剛と墨書きした白のハッピ(おいづるというらしい)を着た遍路スタイルの善男善女が幾組も、お参りに来ていた。菅笠は布の帽子に変わっている。鈴を鳴らして、というのが常識だと思っていたが、現代風なのかどうかしらないが、鈴の音は聞こえてこなかった。

正面の賽銭箱の前に立って拍手をするとビイン、ビインと反響が天井から返ってくる。子供じみた話だが、面白いので何回も手を打ってエコーを楽しんだ。
先程から後ろで命令調で話の受け答えをするお遍路さんがいる。
「はい、しかと申し伝えます。」 、「ハイ、承知しました。」 そんな会話が聞こえた。


誰を相手に話しているのかと振り返ったが誰もいない。
おかしな人達だな。大きな声で独り言をしゃべって。僕は薄気味悪くなって来た。
気づかれないようにして僕は寺務所にいた人に独り言をいう、お遍路姿の行者さんの事をたずねてみた。
「それはあんさん、なんですよ。お不動さんと話をしてはるんですよ。」
「ええっ、お不動さんと話を。神さんと話ができるのですか」
「ええ、できますよ。ここにはそんな方がたくさんみえますよ。」
「皆お不動さんと話を出来るのですか。」
「ええ、ええ。先達さんは皆さん話されるのとちがいますか。私ら毎日見ているから慣れてしもて、別に何とも思いませんが、、、。」
生まれて始めての経験に、僕は自分の伺い知れない世界もあるものだな、というところに棚上げして、深く考えはしなかった。

警察の手前から右おれして、真言宗の宗務所の前を通り越して、殆ど段差がない石段をのぼり、金剛峰寺の北入り口から正面に抜けた。表門の敷居をまたぐと、ゆったりとした緩い勾配の石段の右側にある紅葉は、1本だけ紅く色づいていたが、霜焼けした手のような色の葉が有るのは、今朝初めて降りた霜にやられたのだと思った。
表門をでると前はかなり大きな駐車場で、僕は前の道を右にとって六時の鐘の前から枝分かれした道を左にとった。

参道

この道は金堂や大塔に通じる参道で、季節毎の木々の有り様が、風情があって魅力的だ。参道の入り口は2、3段の石段になっていて、それを越えると、枝は参道に覆いかぶさるように茂っている。青空を背景に、紅葉のトンネルをくぐる感じだ。
道の右側に有る、紅葉は四季それぞれの趣を楽しませてくれる。春先から初夏にかけては、青葉若葉の紅葉、秋が深まり霜が降りるころになると、真っ赤な紅葉、雪が積もると白い雪の上に舞落ちた霜枯れの一枚の紅葉、季節にぴったりの雰囲気をつくってくれる。
1本のこの紅葉の移り変わりが、人生の何かを暗示しているように思うのは、ここがそういう雰囲気をもった霊場のせいだろう。
            

        愛染堂

参道を進めば、大塔へ行く手前に愛染堂がある。
今日はたまたま扉が空いていたので、中をのぞき込んだ。若い坊さんがお経をあげている。
 愛染さんと言えば、色と欲の仏さんだ。僕の常識では色と欲は宗教とは無縁の世界で、むしろ、それを遠ざけようとしているのが、日本の仏教世界だと思っていたが、密教では煩悩即菩提だという。つまり煩悩が有るから悟りがあるのだと教えている。
例えば男女交合が悟りの糧になると書いてある。理趣経の最初の部分に出てくるのだ。愛欲の行い、そのものが最高の仏へのさとりを完成させる方法だと説いている。 本当かい?、これには正直驚いた。このことを僕はNHK教育テレビの「、心の時代、仏典のことば」を読んで初めて知った。
そういえばネパールの古都バクタプルへ行ったとき、男女交合の姿そのものがお寺のひさしに彫刻されていた。ミトウナ像をみて、日本人の僕がもつ宗教観とあまりに掛け離れていたので、唖然としたことがある。どうも理趣経の性を肯定する思想は、俗世間を離れては仏も生まれない、という確信の中で生まれたものらしい。

考えてみればそりゃそうだ。男女の交わりがなければ人は生まれて来ない。人が生まれて来ないなら仏も生まれない。ああそうか。出発点はここなのだ。この出発点を考えないと、宗教そのものが成り立たなくなる。何か俗世の現実そのものが真言宗の出発点になっている感じだ。宗教というより当たり前の常識だ。宗教だなんて大袈裟に構えない方がいいと僕は思った。
1000年間女人禁制の、この高野山真言宗の根本経典の主旨はこんなところにあったのか。内心すっきりしないものを感じつつも、あの燃え立つ朱色の愛染明王のお姿をぼんやりと眺めながら、僕は薄暗い堂内に佇んでた。
それから何を考えていたのか分からないが、しばらく時が流れて急にハッと思いついた。
そうか。それなら頼んでみようと自分で決めた。
「愛染明王。どうか僕にも良い女人にご縁をくださいますように。うまく取り計らってもらえませんか。こういっちゃなんですが、この年をして、まだ女人とのご縁の結び方も知らず、したがって口説いても成功したためしが無く、それこそこの方面にかけては、毎日が旗本退屈男ですからよろしくお願いします。
ところで、こういうご縁というものは、努力してつくりだすものですか。それとも、向こうからやってくるものなのでしょうか。娑婆の世界と言うものはなかなか難しいことが多くて、一筋縄ではいきません。最後には面倒臭くなって、おっぽりだしてしまうのがおちでした。でも神さん、あれ、間違えた。愛染さんは仏さんでしたね。ご縁をくださるというのなら、何でもと言ったら大袈裟だが、出来るだけのことはしますから、何分よろしくお頼みもうします。」
今日の収穫はこれだ。秋の紅葉もいい、高野山の秋の景色も雰囲気も好きだ。しかし、それらは感じるだけで終わってしまう。それにくらべて愛染さんへの願かけは、あとに楽しみが残る。
 こんなことをいったら、しかられてバチが当たるとは思うが、女人禁制であったこのお山で、女人求むと言うだけでなく、愛染さんに世話してくれと頼み、それを当てにするとは痴れ者もいいところだ。
 だが、これが自分の現実であってみれば、それもよかろう。当てにして良いのか、当てにしては悪いのか、それは一重に愛染さんが吹かす風向き次第である。言い換えれば愛染さんのちょっとした采配にかかっているのだ。まあ、当てにしないで待っておこう。 
ウッフッフー。
ちょと待って。仏様にお願いをしておきながら、当てにしないで待つとはどう言うことだ。
当てにしないのなら、初めから頼まなきゃいい。仏を冒涜するにも程がある。僕はそう思いかえして姿勢を正した。照れくさい願い事だが、改めて真剣にご祈願した。