オールド・ブラック・ジョー
若き日早や夢と過ぎ 我が友 みな世をさりて
あの世に楽しく眠る かすかに我を呼ぶ
オールド・ブラック・ジョー
我も行かん 早や老いたれば かすかに我を呼ぶ
オールド・ブラック・ジョー
これは黒人の魂の歌で、我々になじみのある歌である。この歌の中には、奴隷として虐げられた、黒人の切ない魂のあこがれが、うたい込まれている。奴隷生活の現実は、言葉で表せない厳しいものであり、その現実から逃れようとする魂の叫びが、歌になったのである。
全世界の人々の人権を守ると、自負しているアメリカにおいてさえ、過去にはこのような厳しい現実が存在した。
人間を人間として扱わない、白人の黒人に対する言いようのない差別、主にアメリカ南部を覆った、差別の歴史をこの国は持っている。この苦しい現実を乗り越えて、黒人は人権獲得に多くの血を流した。現実にはまだまだ差別は存在するだろうが、キング牧師らの努力の甲斐もあって、法律的な差別は過去のものとなって、今は建前は差別の壁が無くなっている。
いきとしいけるものが皆、平等の基盤に立って、生活できることは良いことだ。生きていくだけでも、大変なことだのに、いわれの無い差別によって、さらに大きな荷物を背負わされるなんて、とんでもない話だ。そうでなくても、人生には多くの苦がつきまとうのだから。
生きる事に失望し落胆した人々は、この世を早く去ってあの世に、楽しく眠る人々に対し、憧れを抱くようになる。いやこれは奴隷になった黒人ばかりではない。白黒人種に関係無く,生きることの苦しみから解放されたい、逃れたいと願うようになる。
彼女もそんな心境で、日々の生活を送っていたのだろうか。
彼女は小柄で、ぽっちゃりした体型をしていた。顔はお多福の面を想像させた。いつも物静かで、余りしゃべらなかった。口数は少なく、おとなしい感じの娘だった。
彼女は私が受け持ったクラスの生徒だった。本人から直接聞いたわけではなかったが、友人の話によると,実母は早く死んで、後妻つまり義理の母と一緒に暮していたが、この人が、何かと難しい人で、押し入れに入って何度泣いたかしれないということだった。
親しい友人には、そんな苦しい胸のうちをもらしていたらしい。僕の耳にもそれとなく伝わってきた。可愛そうに、何時もそうは思ったが、だからといって特別なことは何もしてあげられなかった。彼女は不幸を背負いつつも、何の問題も起こさない、極く普通の生徒だった。
たった今彼女の死を、友人からきかされたが、僕の感覚では十七八の若い身そらで死ぬなんて、不自然きわまりないもので、実感がわかず、ぴんとこなかった。
しかし級友は黒のワンピースを着ているし、今から彼女の告別式に行くという。僕はあわてて家にとって帰し、式服に黒のネクタイを締め、彼女の家へと急いだ。
もちろん告別式には間に合わなかった。
彼女はすでにお骨になって、白木の位牌とともに、自宅に戻っていた。彼女の自宅は線路沿いの安アパート、いわゆる文化住宅である。細い道を尋ね尋ねて、自宅へたどり着いたが、そのときはもう皆帰った後で、寂しさが部屋一杯に漂っていた。
玄関の戸をノックすると、酒で顔を真っ赤にした年輩の男性が面倒くさいそうな表情をして出てきた。僕は自分がクラスの担任であること、彼女の急な死をしって、とりあえず駆けつけてきたこと、
出来ればお線香をあげさせてもらいたいと言った。
初めて会うのだが、この男は彼女の父親であった。めんどくさそうな顔をしながら
「それじゃあがれ」と言う。
詳しいことは知らないが、この人は運転手をしていて、先妻つまり彼女の母親とは死別した後に後妻をもらって、生活していたということだった。彼女はこのなさぬ仲の中で、気を使いながら今まで生きてきて、持病の喘息であっけなく、この世を去ったのだ。
小さなちゃぶ台に白い布がかけられて、その上に高さ十センチくらいの、小さな箱に彼女は納まっていた。
僕はお経を唱えながら、同時進行で彼女に会話を試みた。
「君は今この世の苦しみを抜け出して、平安の世界へと移っていった。もう普通の人間が持つ肉体は失っている。ひょっとしたら、君を生んだ母さんが、早くこちらの世界においでと招いたのかもしれないね。それとも、もう君はこの世がいやになったのか。苦しみの多いこの世で、生きる気力を失って、心の底では死を待っていたのか。君のような若さでこの世を去るというのは、僕には不自然きわまりない事だ。寿命まで生きて、死んだのとは訳が違う。君は今から人生の花が開く、夢多い青春のまっただ中にいたではないか。
それがどうして、こういうことになったのか。何か答えてくれ。
僕は悲しいよ。教室や授業では、個人的には話したことはなかったね。君のことは君の友人から、少しはきいていたけれど、深くは知らなかった。だって君、喘息で学校を休んだことがあったかなぁ。僕の記憶では、君にそんな持病があるなんて、全く知らなかったよ。もし命に関わる重大な病気を持っているということならば、それは必ず、保健か養護の先生から連絡があり、申し送り事項として、
生徒記録のどこかに記載されているはずだ。そういう記憶が、僕にはない所を見ると、学校を卒業してから、この喘息の発作が出たと言うことなんだろうか。
あっ。そうだ。もう君はこの世にいないんだ。寂しいな。君は誰にも打ち明けられない苦しみを一人で背負っていたんだね。せめて僕にでも少し位、話したら荷は軽かったかもしれないのだが。もうこの世とでは、連絡はとれないから、会話は無理かもしれないが。
なんとか気持ちだけでも伝えたいものだね。僕は若い人相手の商売だが、今まで17や18歳の人が死ぬなんて、想像だにしなかった。いや出来なかった。真実僕は驚いているんだよ。だがこうして、君の死という厳守な事実にぶち当たると、腹の底までこたえるよ。
十八歳で死んだ君と、オールド・ブラック・ジョウとは同列に扱えないにも関わらず、僕にはオールド・ブラック・ジョウの歌声が聞こえてくる。オールドブラックジョーは君の母さんだったんだ。
君よ、母さんとあの世で楽しく眠り給え。」
ほらほらまた聞こえてくる。
「かすかに我を呼ぶ、オールド・ブラック・ジョウ」のあの歌が。
若き日早や夢と過ぎ 我が友 みな世をさりて
あの世に楽しく眠る かすかに我を呼ぶ
オールド・ブラック・ジョー
我も行かん 早や老いたれば かすかに我を呼ぶ
オールド・ブラック・ジョー
これは黒人の魂の歌で、我々になじみのある歌である。この歌の中には、奴隷として虐げられた、黒人の切ない魂のあこがれが、うたい込まれている。奴隷生活の現実は、言葉で表せない厳しいものであり、その現実から逃れようとする魂の叫びが、歌になったのである。
全世界の人々の人権を守ると、自負しているアメリカにおいてさえ、過去にはこのような厳しい現実が存在した。
人間を人間として扱わない、白人の黒人に対する言いようのない差別、主にアメリカ南部を覆った、差別の歴史をこの国は持っている。この苦しい現実を乗り越えて、黒人は人権獲得に多くの血を流した。現実にはまだまだ差別は存在するだろうが、キング牧師らの努力の甲斐もあって、法律的な差別は過去のものとなって、今は建前は差別の壁が無くなっている。
いきとしいけるものが皆、平等の基盤に立って、生活できることは良いことだ。生きていくだけでも、大変なことだのに、いわれの無い差別によって、さらに大きな荷物を背負わされるなんて、とんでもない話だ。そうでなくても、人生には多くの苦がつきまとうのだから。
生きる事に失望し落胆した人々は、この世を早く去ってあの世に、楽しく眠る人々に対し、憧れを抱くようになる。いやこれは奴隷になった黒人ばかりではない。白黒人種に関係無く,生きることの苦しみから解放されたい、逃れたいと願うようになる。
彼女もそんな心境で、日々の生活を送っていたのだろうか。
彼女は小柄で、ぽっちゃりした体型をしていた。顔はお多福の面を想像させた。いつも物静かで、余りしゃべらなかった。口数は少なく、おとなしい感じの娘だった。
彼女は私が受け持ったクラスの生徒だった。本人から直接聞いたわけではなかったが、友人の話によると,実母は早く死んで、後妻つまり義理の母と一緒に暮していたが、この人が、何かと難しい人で、押し入れに入って何度泣いたかしれないということだった。
親しい友人には、そんな苦しい胸のうちをもらしていたらしい。僕の耳にもそれとなく伝わってきた。可愛そうに、何時もそうは思ったが、だからといって特別なことは何もしてあげられなかった。彼女は不幸を背負いつつも、何の問題も起こさない、極く普通の生徒だった。
たった今彼女の死を、友人からきかされたが、僕の感覚では十七八の若い身そらで死ぬなんて、不自然きわまりないもので、実感がわかず、ぴんとこなかった。
しかし級友は黒のワンピースを着ているし、今から彼女の告別式に行くという。僕はあわてて家にとって帰し、式服に黒のネクタイを締め、彼女の家へと急いだ。
もちろん告別式には間に合わなかった。
彼女はすでにお骨になって、白木の位牌とともに、自宅に戻っていた。彼女の自宅は線路沿いの安アパート、いわゆる文化住宅である。細い道を尋ね尋ねて、自宅へたどり着いたが、そのときはもう皆帰った後で、寂しさが部屋一杯に漂っていた。
玄関の戸をノックすると、酒で顔を真っ赤にした年輩の男性が面倒くさいそうな表情をして出てきた。僕は自分がクラスの担任であること、彼女の急な死をしって、とりあえず駆けつけてきたこと、
出来ればお線香をあげさせてもらいたいと言った。
初めて会うのだが、この男は彼女の父親であった。めんどくさそうな顔をしながら
「それじゃあがれ」と言う。
詳しいことは知らないが、この人は運転手をしていて、先妻つまり彼女の母親とは死別した後に後妻をもらって、生活していたということだった。彼女はこのなさぬ仲の中で、気を使いながら今まで生きてきて、持病の喘息であっけなく、この世を去ったのだ。
小さなちゃぶ台に白い布がかけられて、その上に高さ十センチくらいの、小さな箱に彼女は納まっていた。
僕はお経を唱えながら、同時進行で彼女に会話を試みた。
「君は今この世の苦しみを抜け出して、平安の世界へと移っていった。もう普通の人間が持つ肉体は失っている。ひょっとしたら、君を生んだ母さんが、早くこちらの世界においでと招いたのかもしれないね。それとも、もう君はこの世がいやになったのか。苦しみの多いこの世で、生きる気力を失って、心の底では死を待っていたのか。君のような若さでこの世を去るというのは、僕には不自然きわまりない事だ。寿命まで生きて、死んだのとは訳が違う。君は今から人生の花が開く、夢多い青春のまっただ中にいたではないか。
それがどうして、こういうことになったのか。何か答えてくれ。
僕は悲しいよ。教室や授業では、個人的には話したことはなかったね。君のことは君の友人から、少しはきいていたけれど、深くは知らなかった。だって君、喘息で学校を休んだことがあったかなぁ。僕の記憶では、君にそんな持病があるなんて、全く知らなかったよ。もし命に関わる重大な病気を持っているということならば、それは必ず、保健か養護の先生から連絡があり、申し送り事項として、
生徒記録のどこかに記載されているはずだ。そういう記憶が、僕にはない所を見ると、学校を卒業してから、この喘息の発作が出たと言うことなんだろうか。
あっ。そうだ。もう君はこの世にいないんだ。寂しいな。君は誰にも打ち明けられない苦しみを一人で背負っていたんだね。せめて僕にでも少し位、話したら荷は軽かったかもしれないのだが。もうこの世とでは、連絡はとれないから、会話は無理かもしれないが。
なんとか気持ちだけでも伝えたいものだね。僕は若い人相手の商売だが、今まで17や18歳の人が死ぬなんて、想像だにしなかった。いや出来なかった。真実僕は驚いているんだよ。だがこうして、君の死という厳守な事実にぶち当たると、腹の底までこたえるよ。
十八歳で死んだ君と、オールド・ブラック・ジョウとは同列に扱えないにも関わらず、僕にはオールド・ブラック・ジョウの歌声が聞こえてくる。オールドブラックジョーは君の母さんだったんだ。
君よ、母さんとあの世で楽しく眠り給え。」
ほらほらまた聞こえてくる。
「かすかに我を呼ぶ、オールド・ブラック・ジョウ」のあの歌が。