日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

孤影

2008年09月21日 | Weblog
人生を共有する事が出来たら素晴らしいことだ。これが実現できたら、人生につきまとう孤独の影は消え失せる。

時々刻々、移り変わる人の思い、感情の流れというものは、その人にしかわからない。

私にしかわからない思い、それを共有できる人がいたら、私の孤独は大部分癒される。

共有できる人とは一体誰か。

共通体験者 恋人 妻子 友人などが考えられるが、果たして心の底から、人生を

共有できる人はいるのか。共有者を見つけない限り、心は、孤独の中に閉じ込められる。

総合の意思疎通は十分できている。お互いに反発したり、論争するような状況は少しもない。加えて、生活の不安も緊張もない。なのに、

私の心に孤独の風が吹く。それは、いつでも、どこでもつきまとう影の一部。

だから私はもう、それを愛しはじめてすらいる。

癒やそう 消そうなんて思わない。虚しいだけだからである。

影を消すことができないのと同様に、孤独の寂しさを消すことは不可能だから、

いちばん心の底から暖まる、家庭においてすら孤独。心の孤影を消せないで、

一体 どこにそんな場所を求められるのか。、、、、ない。どこにもない。

あの教員制採用は

2008年09月21日 | Weblog
大分県教育委員会のあの教員制採用は、表向きだれもが認めない。それは不正だからである

あるべき姿の建前と、あって欲しい姿の本音とは、本質的に相受け入れない部分がある。
入試においては、人は誰でも情実を排除する。
高得点者から、順番に合格させる。これが最もみんなを納得させる合理性を持っている。
しかし一方で、受験生には、親がいる。親は本能的に、採用されたいと願う。よしんば、それが悪いことだと分かっていても、成績が達しないときは、金を積んででも、裏口採用を考える。

日頃は裏口入学をなり悪いことだと、明言できる人でも、親ばか(子供を対する低い次元の本能)に負けて、自ら不正だと思うことを敢えてやる。悲しいことだ。

親の心情を思うとき、これを親ばかの一言で片付けられない。世の中にはこのたぐいのものがたくさんあるからだ

世の中はほんの少し濁っていた方が住みやすそうだ。
それによって不公平が、起きたとしても、建前一本槍で割り切るよりも、居心地がよさそうだ。一方ではそんな考えも、浮かんでくる。さて、どうだろう。

アプローチの仕方には2通りある

2008年09月21日 | Weblog
アプローチの仕方には2通りある。
真実に、迫る場合のアプローチ

一つは知的アプローチ。論理によって迫る場合

もう一つは、情的感覚的アプローチ。直感によって本質を見抜き真実や真理に、アプローチする。

名詩と言われるものには、情的アプローチによって、本質をえぐり出し、真実に直通するものが多い。