日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

等質、同質は集まる

2008年09月17日 | Weblog
等質、同質は集まる。 
 似たもの夫婦 同じ価値観を共有 思考、行動、道徳律など共有できる出来る者といることは心安かである。なぜなら比較的すぐにお互いが理解出来るからである。
ただしこの考え方は差別意識を生まないか。排他的にならないか。異質な者との共生を掲げる地球規模での思考や価値観と対立しないか。偏狭にならないか。

生活上のパートナーとして妻が必要になり、仕事上の女は恋愛という無責任な関係が必要悪として存在している。なんたる身勝手と思う事なかれ。過去も現在も将来においてすらも、社会的に良い仕事をした、する男は恋愛を求めた。過去の実績が示すところである。彼にとっては仕事も恋愛も
人生のロマンの1つなのだろう。

女の碑の会様

2008年09月17日 | Weblog
   女の碑の会様

お便りありがたく拝見しました。皆さんの熱気みたいなものが伝わってきて、圧倒されそうになりました。
人数の多い、少ないではありません。
人の心です。想いです
皆様のお気持ちは、すがすがしいです。
私が動くことが、皆様にとって何かの役に立つならば、こんなにうれしいことはありません。

「女の碑」作曲しましたので、お届けします。

「女ひとり生き、ここに平和を希う。」   
              市川房枝

 初めて見たとき、曲になるかなと思いました。たった一八文字に込められた皆様の思い、生活実感や感慨に、思いをめぐらすとき、私は二つの側面を思い浮べました。
人間として女性の誰もが望み、誰もがあこがれる結婚。その相手になる年頃の男性が戦争で、多くは戦死して、絶対数が不足している為に結婚できなかった人たちの、悔しい気持ちや、心情を察するに、私にはいろいろな想いが過ぎります。
 一つは深い悲しみの霧に包まれて、泣いている心。そして時の経過とともに、沈潜した悲しみに代わって、浮上してきた、あきらめの気持ち。
さらに透明度を増した、やすらぎみたいなもの、いや、灰色を青空色にかえていった心境の変化。もっと突き詰めて言えば、アクが抜けて純化された魂の世界に住むことを願う気持ち。
前者は悲しみを表す単調。後者はどこまでも澄み切った宇宙の色両者の間に、一八小節を取り、心境の変化のプロセスを表しました。
色にたとえると、真っ暗が、徐々に灰色になり、さらに白になっていくみたいなものです。
私の心で表現するならば、悲しみに、涙で濡れた頬に、泣いた後のさわやかな気分が、込み上げてくる。このすがすがしさです。

本当に生きるということは、大変なことなんですね。でも、命が尽き果てるまで、私たちはこの世で生きなければ、仕方がないのです。
 だから私は、今を境を精一杯生きなければ嘘だ、と思うのです。私よりもさらに、苦しい環境を生き抜いてこられた皆様に心から、拍手を送りたいと思います。どうか力を合わせて楽しい日々を続けてください。とりあえず、ソロで入れておきます。

あれから、また考えました。会員の中には、寂しくて、当時は御法度だった不倫をして、その時の気持ちを赤裸々に綴った手記を書いておられる方があったが、それを読み、我が身に置き換えて、考えてみると、実感がひしひしと伝わってきました。

 大正末から、昭和一桁生まれの人たちの、苦しみが容易に想像できて、何ともいえない気持ちになりました。
男は戦争にとられて、この世の地獄を見て、なくなっていき、銃後を守ると、いうスローガンの下に、結果的には、結婚相手を失い、生涯独身を強いられた、気の毒な状況下に置かれた女性達。
彼女たちが生きる権利の一部として、不倫をしたとしても、何ら責められる理由はない。それが倫理にかなっていないとしても、人情の自然でしょう。
 社会道徳とは、相容れないものだろうが、
僕の意見としては、この種の不倫は、自然なこととして、受け入れます。いや秘密をもちながら命を燃やして、不倫した人にたいしては、責めるどころか拍手を送りたい気持ちです。
 
 命の華といえる、青春時代の男女の味わいを、戦争という異常な出来事のために、奪われたのだから、戦争が終わった段
階で、それぞれの青春を取り戻すべく、不倫を重ねても、その方が人間らしくて、よいように思います。
 今の時代ならともかく、戦前の古い女性道徳教育を受けられた人たちは、そう易々と、自由奔放に、恋愛や不倫に走ることには、大きなためらいがあったことでしょう。多分大半の女性は、泣く泣く、自分の想いを抑え込んで、苦しい想いに涙して、生きてこられたのでは、ありますまいか。
 結婚をしたくない人が、結婚しないのは納得ずくのことです。しかし結婚したくても、相手の男性が大半戦場へ送られている状況下では、どうしようもありません。泣く泣く自分を抑え込むか、跳ね上がるか、しか解決方法はない。
そういう状況下での不倫でしょ。たとえ世の常識がいかにあろうとも、また女性教育がいかにっあたものにせよ、しないよりはしたほうが人間らしく思います。
 不倫をしていても、それは一時の麻薬みたいなもので、その場限りの楽しみだけで、その裏には、深い悲しみが待っている。あなたは帰る家庭がある。私は家に帰っても、ひとりぼっちで、寂しさは余計に体に応える。
本には体験談として書かれていたが、不自然な男女関係は、いずれにせよ、芯から心を温めるまでには、至らないのですね。
時代というのが、運が悪いというのか、人生どうしようもない、ど壺にはまった気の毒な世代です。心から同情いたします。僕もあと一〇年早く生まれていたら、皆さんと同じ運命をたどったことだろうと思います。
戦争は非情です。残酷です。むごいです。無法で正義も、真もありません。
国民をこんな状況に導いたり、引きずったりした戦争責任者は当然国民に対して、責任を負わなければなりません。
言葉で以上のような理屈を、どんなに唱えても、失われた青春と人生は、取り戻しようがありません。こんな手紙を書いてみても、皆様の心を芯から温めることは出来ないでしょう。だから書くのはもう止めます。どうか心をしっかり持ち、似た境遇の人達と、仲良くお暮らしください。ご健勝を陰ながら、祈っています。
女の碑文に作曲して
              圭史

武器よさらば

2008年09月17日 | Weblog

武器よさらば

赤ん坊はどうしたんですか
ご存知なかったんですか ええ

一応生きさせることができなかったんです.その緒が首がどこかに巻きついていたんです

で、死んだのですね

おそらくに生き帰って呼吸を始めると思ったのだろう。

僕は宗教を持たないが赤ん坊が洗礼を受けるべきだとは思っている

キャサリンのお腹の中で赤ん坊がけっているのをたびたび僕は感じた
この一週間は感じなかった。きっと窒息していたのだろう

今度はキャサリンが死ぬのだろう
人間とはそんなものなのだ。人間は死ぬ。それがどんなことが人間にはわからないのだ。わかる暇もないのだ。
引き込まれてルールを教えられ、初めてホムベースを離れたとたんにタッチアウトになるんだ。

でなければアイモのように 理由もなく殺されるのだ。でなければ、リナルデイのように梅毒をもらってしまうのだ。が、結局は殺されるのだ。それは確かなことだ。うろうろしているうちに、殺されるのだ

あるときキャンプで僕はたき火の上に丸太を乗せた。それにはありがいっぱい集っていた。それが燃え始めると、あるいはぞろぞろ出てきて 、まず、火のある真ん中のほうへ行った。それから引返して、橋のほうへ行った
端にいっぱい集まるとありは火の中に落ちた。何匹かは逃げ出したがたいていは火の方に行きhそれから端の方に戻ってきて
熱くない端に群がってついには火の中に押していった。

僕はこのとき、これこそ世の終わりだ、救世主になっで火から丸太を摘みあげ 放り出して、ありが地面に逃げていけるようにしてやる素晴らしい機会だと考えたことを覚えている。だが僕は何もしないで、
ブリキのコップの水を丸太にかけただけだった。それもコップを空にして、ウイスキーを先に入れてから、水を割りたかったからだ。

燃えている丸太にコップの水をいっぱいかけたのでは、ただありを蒸し焼きにすしたにすぎなかっただろう

すごく危ないのです
看護婦は部屋の中に入りドアを閉めた。
僕は外も廊下に腰掛けだ。僕の体からすべてが抜けて行った。僕は考えなかった。考えられなかった。
彼女が死にそうだということがわかり死なないように祈った。
死なせないでくださいアー神様どうぞ死なせないでください。
死なせないでくださったら、何でもいたします愛する神様。死なせないでください。どうぞどうぞ。死なせないでください神様どうぞ死なせないでください。
死なせなかったらおっしゃることは何でもいたします。赤ん坊はおとりだけになったが彼女は死なせないでください。赤ん坊はかまいませんが、彼女は死なせないでください。どうぞどうぞ、愛する神様死なせないでください。

看護婦がドアを開けて僕に入ってくるように合図した僕は彼女について部屋に入っていった
かわいそうなあなたとキャサリンがとても静かにいった。顔は真っ青だったすぐよくなるよと僕はいった。

もう死ぬのよ。と彼女が言った。
もしもの時に手紙を書くつもりだったのに書けなかったわ 
牧師さんが誰か呼んでこようか  あなただけでいいのと 彼女がいった

何か僕にしてほしいことがあるかい、何か持ってきてあげようか
いいえ それからしばらくたって他の女の人と私たちのしたこと、したり同じこと、いったり、しないで。ねえ?
しやしないよ。 でもあなたに好きな人ができて欲しいわ 
僕はないよ
君がしっかりしてるんで嬉しいよ 僕は廊下で待った長いあいだ待った。

看護婦がドアのところに来て僕のほうへやってきた。
奥様がすごく悪いようですどうも悪いようです。死んだんですが いいえ意識がないのです

出血が次々になったようだ。それが止められなかったのだ。僕は部屋に入りキャサリンが死ぬまでそこにいた。彼女は意識がなく、死ぬまで対して時間はかからなかった

ノーベル賞作家・アーネスト・ヘミングウエイ 1961年 猟銃で自殺
主人公 ヘンリー 看護婦愛人 キャサリンバークレイ

法文系28番教室で現代英米文学論で大橋教授が解説してくれた以上の文章がまだ頭に残っている。

僕はこれ以前から人間がいきることってどういう事だろうと考え続けた。人間の生と死について。勿論今も考え続けている。 宗教っていったいなんだろう 。

9月11日

2008年09月17日 | Weblog
人々は想像を絶する.テロだというけれども、よくよく考えてみるとこのテロを許したということはやはりぬかっていたとしか言いようがない。

9月11日歴史上経験のなかったテロ攻撃を受けてアメリカは騒然となった。いや世界中が驚愕と恐怖の渦の中に巻き込まれた。
テロや犯罪を未然に防ぐ役目を持つCIAは完全にメンツをなくした。

テロリストたちはアメリカ国内定期便の航空機を使ってニューヨークにある二つの貿易センタービルを攻撃し完全に破壊した。犯人はもちろんのこと、飛行機の乗客やふたつのビルで働いていた人たち、約6000人を巻き込んで大惨事をひき起こした。

それにとどまらずアメリカの国防をつかさどる国防省にも同じく、飛行機を激突させて建物を大きく破壊させた。ここでも約200人の犠牲者が出た。

後の1機はおそらくホワイトハウスか議会の建物を狙っていたに違いないが、これはピッツバーグ郊外に墜落した。この事実同時多発テロが報じられると全世界が騒然となった。
特にアメリカでは大統領がホワイトハウスを避けて別の場所から指揮するという異例の事態となった。
僕は日本のテレビ局が放映するテロニュースだけでは満足せず、アメリカのテレビ局たとえばCNNやABCの放映に目と耳をそばだてた。この冷酷無悲で冷徹な計算し尽くされたテロの計画と実行に激しい憤りを覚えると同時に罪もなくこの災難に巻き込まれて命を失った人々に対する哀悼の気持ちに心を奪われて寝つきが悪かった。

中秋の名月
あれから2週間がたった。仲秋の名月も近い。
秋ばれの夜空に煌々と輝く満月は、ここ京都の秋の夜空をロマンチックに染めあげている。
水面を渡る風はかすかに頬をなでて通りすぎるが、半そでシャツ姿では寒い。

あの悲惨なテロを適当に受けながして、月見をする心の余裕がほしい。これからいつまでテロ事件が自分の内で、尾を引くのだろうか。10年の歳月を経て、いまなお僕の胸の内にはテロの後遺症がのこっている。