不思議体験 人が死ぬとき
病院理事長の死
まわりから健康診断を進めたが、言を左右にして受けなかった。医者だから、恐れていたのであろう。受診結果は肝臓や肺にがんが見つかって、手の施しようもなかった。もちろん手術ができる状態ではなかったので、インタ一フェロンを患部に直接注射して、がん細胞を攻めたが、副作用が大きく、これも中途で中止した。あとは点滴で栄養補給をして、死を待つスタイルをとった。
母校京大医学部も総力を挙げて治療はしてくれたが、病勢に医学が追いつくことなく、彼は逝ってしまった。彼が14:40に亡くなった。その朝のことである。
寝ていたら、彼は雲に乗った孫悟空のようにす一っと近づいてきた。その姿はいつものように背広ネクタイの院長スタイルだったが、形は小さかった。身の丈50センチほどの人形みたいだった。
「あっ先生。病状は?」ぼくは話しかけたが、彼は雲に乗ってす一っと姿を消した。まるで映画の場面を見ている心地がした。はっとして目が覚めたとき時計を見たら朝4時。彼がなくなると10時間前のことだった。別れに来てくれたのか。何の為に来たのか。頼み事でもあったんだろうか。でも彼は始終無言だったから・、真意はわからない。生まれて初めての経験だ。
毋の死
一番身近な僕には何のサインも送らずに、母は逝ってしまった。ところがサインは二人に送られてきた。1月1日の夜、いわゆる初夢に父が現れて「今年は京子を迎えに行くからな」と告げた。
正月の縁起でもない初夢で、妻は誰にも夢の内容を話さなかったが、不思議でいやな夢なので、心の中に持っておくことができず、三女にこの内容を話し、気持ちが悪い話だから、だれにもロ外しないように言ったという。
その夢を見てから果たして26日後母は夢の中で告げたようにこの世を去った。そして父のもとへ行った。それからもう一つの体験談がある。二女は信仰心があるとは思えないのに、体質的に霊界通信ができる。母の亡くなる一時間前正確に言うと夜中の二時過ぎに枕もとで男の声で「お前のお母さんには長い間世話をかけてありがとう。もうすぐ迎えに行くからな」という男の声を二女は聞いて
とびおき、姉に今が気持の悪い夢を見たと話した。長女はたった今病院から電話があっておばあちゃんが危ないと連絡があり、父母が病院へ駆けつけたところだ」ということを告げた。時計を見れば2:30。母は3:26にこの世を去った。
叔父の死
そのとき私たちは団地の二階に住んでいた。急に窓から雀が家の中に飛び込んできた。そしてその雀は父の肩に止った。私たちはその雀をつかまえて金網のざるをひっ<り返して、その中に雀を入れておいて、急いで鳥籠を買いに行った。鳥かごを買って家に帰ってみると、伏せたザルの中から雀は逃げていなかった。「不思議なことがあるものだ」とわれわれは感心した。ところが果たしてその翌日に叔父が死んだという知らせが舞い込んだ。
雀が人を恐れないケースは果してあるのだろうか。団地の窓から家の中に入りくるということは生涯たった一度の経験であった。だからこれはきっと雀を遣わして、叔父がわかれに来たのだということが、みんなの思いとして一致した。
父の死
父が亡くなった時、徹夜で看病に付き合ったのは、私と妹と母であった。ほかの子供たちは東京にいって生活をしており、関西には縁遠かった。ところが関東にいた兄は懐中電灯がつかない不思議な経験をした。弟は夜中に団地の後ろにある竹やぶで、奇妙な鳥が鳴いてその前を葬列がしずしずと進んでいくという夢を見た。もう一人の弟は父が苦しんでいた時に、夜中にもかかわらず胃がものすごく痛くなったという話であった。それぞれの体験は自分の実烕に合わせて父の死と結びつけて考えているようであった。
人がこの世を去るつまり肉体を失って魂の存在となるということは、我々の科学にはまだひかりが及んでいない。したがってその辺の事情は詳びらかでないが、必ず何か間違いなく、死が体験が伴うものであることを私は自分もほかの人も併せて実感したことであるのでる、臨死の予兆というのか、別れというのか、そういう部分のことはよく理解できる。人が死ぬときには必ず何かしかのサインガ縁者に届くという確信を持っている。自分の体験に照らし合わせて。
病院理事長の死
まわりから健康診断を進めたが、言を左右にして受けなかった。医者だから、恐れていたのであろう。受診結果は肝臓や肺にがんが見つかって、手の施しようもなかった。もちろん手術ができる状態ではなかったので、インタ一フェロンを患部に直接注射して、がん細胞を攻めたが、副作用が大きく、これも中途で中止した。あとは点滴で栄養補給をして、死を待つスタイルをとった。
母校京大医学部も総力を挙げて治療はしてくれたが、病勢に医学が追いつくことなく、彼は逝ってしまった。彼が14:40に亡くなった。その朝のことである。
寝ていたら、彼は雲に乗った孫悟空のようにす一っと近づいてきた。その姿はいつものように背広ネクタイの院長スタイルだったが、形は小さかった。身の丈50センチほどの人形みたいだった。
「あっ先生。病状は?」ぼくは話しかけたが、彼は雲に乗ってす一っと姿を消した。まるで映画の場面を見ている心地がした。はっとして目が覚めたとき時計を見たら朝4時。彼がなくなると10時間前のことだった。別れに来てくれたのか。何の為に来たのか。頼み事でもあったんだろうか。でも彼は始終無言だったから・、真意はわからない。生まれて初めての経験だ。
毋の死
一番身近な僕には何のサインも送らずに、母は逝ってしまった。ところがサインは二人に送られてきた。1月1日の夜、いわゆる初夢に父が現れて「今年は京子を迎えに行くからな」と告げた。
正月の縁起でもない初夢で、妻は誰にも夢の内容を話さなかったが、不思議でいやな夢なので、心の中に持っておくことができず、三女にこの内容を話し、気持ちが悪い話だから、だれにもロ外しないように言ったという。
その夢を見てから果たして26日後母は夢の中で告げたようにこの世を去った。そして父のもとへ行った。それからもう一つの体験談がある。二女は信仰心があるとは思えないのに、体質的に霊界通信ができる。母の亡くなる一時間前正確に言うと夜中の二時過ぎに枕もとで男の声で「お前のお母さんには長い間世話をかけてありがとう。もうすぐ迎えに行くからな」という男の声を二女は聞いて
とびおき、姉に今が気持の悪い夢を見たと話した。長女はたった今病院から電話があっておばあちゃんが危ないと連絡があり、父母が病院へ駆けつけたところだ」ということを告げた。時計を見れば2:30。母は3:26にこの世を去った。
叔父の死
そのとき私たちは団地の二階に住んでいた。急に窓から雀が家の中に飛び込んできた。そしてその雀は父の肩に止った。私たちはその雀をつかまえて金網のざるをひっ<り返して、その中に雀を入れておいて、急いで鳥籠を買いに行った。鳥かごを買って家に帰ってみると、伏せたザルの中から雀は逃げていなかった。「不思議なことがあるものだ」とわれわれは感心した。ところが果たしてその翌日に叔父が死んだという知らせが舞い込んだ。
雀が人を恐れないケースは果してあるのだろうか。団地の窓から家の中に入りくるということは生涯たった一度の経験であった。だからこれはきっと雀を遣わして、叔父がわかれに来たのだということが、みんなの思いとして一致した。
父の死
父が亡くなった時、徹夜で看病に付き合ったのは、私と妹と母であった。ほかの子供たちは東京にいって生活をしており、関西には縁遠かった。ところが関東にいた兄は懐中電灯がつかない不思議な経験をした。弟は夜中に団地の後ろにある竹やぶで、奇妙な鳥が鳴いてその前を葬列がしずしずと進んでいくという夢を見た。もう一人の弟は父が苦しんでいた時に、夜中にもかかわらず胃がものすごく痛くなったという話であった。それぞれの体験は自分の実烕に合わせて父の死と結びつけて考えているようであった。
人がこの世を去るつまり肉体を失って魂の存在となるということは、我々の科学にはまだひかりが及んでいない。したがってその辺の事情は詳びらかでないが、必ず何か間違いなく、死が体験が伴うものであることを私は自分もほかの人も併せて実感したことであるのでる、臨死の予兆というのか、別れというのか、そういう部分のことはよく理解できる。人が死ぬときには必ず何かしかのサインガ縁者に届くという確信を持っている。自分の体験に照らし合わせて。