韓国という国が好きなわけではないのだが、僕は大韓航空機は好きである。もちろん、メンバーになっている。
チェックインしたのは11時半過ぎ。さっそ例のスカイパスを見て、うち込まれたマイル数を確認した。
やれやれ、これで帰れる。明日の朝はソウルだ。窮屈な座席で6時間近く辛抱しなくてはならない旅。だが、これは格安チケットだから、辛抱しなくてはならない。当然のことだ。
安堵感も手伝って、疲労が押し寄せてきた。しかし、今から自分の座席に着くまでが、ひと仕事である。いつものことだが、今日も自分の席に着くまでは、安心できない。僕は頭の中でそんなことを考えていた。
日本人に比べると、どうも、韓国人は乗り降りのマナーが悪いようだ。いよいよ飛行機に乗るという段になると、並んでいても平気で、列に割り込むし、後がつかえていても、立ち止まって通せんぼ状態を作る。
後ろの人は、イライラしながら彼が前に進むのを待っているが、それでも平気である。
これがなければ、大韓航空はもっと快適なんだがなぁ。安いから仕方がないが、僕は我慢がまんと自分に言い聞かせた。
座席に向かって、乗客が我れ先にと殺到しだすと、僕も負けずに、
行儀もエチケットもあるもんかとばかりに、強引にヒトをかきわけて座席番号の方へ進んだ。
いつものように、チケットの半ぴらに書かれた座席表を見て、ホステスが指示した方へ重い荷物を持って、人をかきわけながら進んだ。
探していた番号をやっと見つけて、やれやれと思ったのも束の間、
アルファベットの記号が違う。 あれ、??違うじゃんか。
入り口では確かに、23番と案内された。が、来てみれば記号が違う。
中に入ってくる人の列に逆らって、僕はその場に立ち止まってしまった。案内をしているスチュワーデスに、座席表を示しながら、イライラして、座席が違うじゃないかと声を荒げだ。そしたら、
「それは2階です。入り口の方に戻って2階に、おあがりください」という。
何? 人を押しのけてまで、ここまでやってきたのに。逆方向すなわち人の流れに逆らって、入り口に行きなさいだと。何たることだ。
僕ははいってくる乗客にぶっつかって、露骨に嫌な顔をされながら、入口へと人をかきわけて進んだ。
おかしい。確かに2階はビジネスクラスで、エコノミーではないはずだと思ったが、今まで2階などに、上ったことがないので、ひょっとしたら2階にも、エコノミー席があるのかもしれないと思い、2階に上ったものの、エコノミークラスの座席は見当たらなかった。
やっぱり思ったとおりだった。やれやれ、また間違ったか。何度間違って案内すれば気がすむんだ。
僕は乗務員だったら誰でも良い。捕まえて、声をあげてしっかり案内せいと怒りたくなった。重い荷物を持ったまま。また下に送りなければならないと思っただけでもいやになる。
幅がゆったりした座席には、フットレストも付いている。座席の広さも、エコノミークラスのそれに比べて1倍半は、ゆうにある。体を伸ばすと、床屋の椅子のように、楽な姿勢で寝る体勢だってとれる。数えてみると、30数座席。
ダメもとで、僕は近くにいた、らスチュワーデスを捕まえて、僕の座席はどこかと、とぼけてきいた。
「1番後ろの窓側です。どうぞお掛けください」と彼女は案内した。
「いや、違います。僕の席はエコノミーですよ。」
僕は内心、お前さんまた嘘をつくのか、と反発した。
「本日はこの座席で結構です。お掛けください」。
「本当ですか。重ねていうが、僕の席はエコノミーで、この座席ではないはずです」が、
「いいえ、今日は特別サービスなんです。遠慮なくお座りください」。
一体これはどういう風の吹き回しだ。僕は信じられない。そう思ったが、黙ってしまった。
だが、いわれたままに指定の座席に腰をおろした。
一生に一度くらいは、ビジネスクラスやファーストクラスに乗ってみたいと思っていたが、僕の予定では、いよいよこれで海外旅行もおしまいだという、最後の日にでも、乗ってみるつもりでいた。ところが、思いがけなくも、今日、今着席して味わうことができることになったのだ。
このことで、僕の心の中はがらりと変わった。気分が良くなったのである。イライラと、とげとげしい気持ちは、霧散した。
あははー、なんと単純な奴なんだ。この俺れは。
僕は自分の軽さに苦笑した。
先方がよいというから、この席についたまでの話で、それ以上のことは詮索する必要は何もないのに、席に着くや否や、僕は何故こうしてビジネスクラスに、乗せてもらえるのか。その理由を考え始めた。
エコノミークラスが、オーバーブッキングになり、溢れたエコノミー乗客を何人か選んで、この席にしたのかもしれない。その際この幸運の中に、僕がいたのかも。
韓国は今、海外渡航自粛で、ビジネスクラスの乗客は偶然にも、誰もいなかったので、スカイパス利用者に融通したのか、それとも、僕はバスの会員として、すでにマイレージで、2万マイルほどたまっている。これをベースに特別サービスをしてくれたのかもしれない。
理由はともかくも、格安キップで6時間もこんな扱いをうけるのは初めてで、非常に気分がよい。自分の無邪気さがよみがえったような気がした。
ああ良かった。たまにはこんなことがあっても良い。僕は先ほどからのくしゃくしゃした気分をすっかり忘れて、ルンルン気分になった。
座席に座って、荷物の整理をしているときは、空席だった隣の席に、50歳ぐらいの見るからに品のない韓国人女性が座った。彼女は席に着くなり、座席の前のフットレストの近くに置いてある僕の荷物を足でさし示し、早く楽片付けるようにと目で合図した。僕はむっとしたが、
こちらの荷物が相手の感情を害しているのだからと思い、急いで窓側に移した。
失礼な奴だ。僕はフカみたいに太った礼儀知らずのこのオバハンは一体何者か、オサトがしりたくなった。
真っ赤な口紅と同じものを足の指にぬっている。マニキュアも家庭婦人のそれではなく、その風体からして、一見しただけで、おミズ系統の女だと思った。本来ならこのビジネスクラスに似合わない無教養な人間ではないのか?。
あつかましい。およそ気配りの気の字もみせず、人の迷惑も考えずに言いたい事を言い、やりたいようにやる。それが開き直って恥も外聞も、失った、どあつかましい女だと僕の眼には映るのだ。せっかくビジネスクラスの座席に座ってルンルン気分になったのに、いやな奴がきたもんだ。僕は、不運を嘆いた。するとまた先ほどの忘れたはずの不愉快な気分がよみがえってきた。
何を思ったのか、彼女は僕の不機嫌を無視して、急に英語がしゃべれるが、と英語で聞いてきた。
「すみませんが、」そのくらいの前置きができないのか。またいらついた。もともと僕はこの女に好感を持っていない。そこでぶっきらぼうに少しだけと言ってやった。
彼女は、急に「変な匂いがしませんか。臭くないですか」という。
予想外の質問で、ちょっとびっくりしたが、僕は特別匂いも感じなかったので、「はあ?」 と意味不明の愛想のない返事をした。
それにしても、いったいこの女は、自分のことを何様とだと思っているのだ。お前中心にこの世の中が回っているんじゃないんだ。そう。少しは考えて、ものいったらどうだったらどうだ。僕は心の中でそう怒った。ところで臭いにおい?。僕はこの席に着いてから、異臭を感じたことはないし、まさか上等の席に悪臭を放つものなど置かれているはずもない。また自分としても、昨夜は宿で何回もシャワーを浴びたから、汗臭くわないはずだ。自分自らが臭いものを持って載ってるんじゃないのか?。
そういえば、韓国人は、ニンニクを常食とするから、ある種の体臭を出していることがある。
僕が初めてソウルへ行ったときに、駅に着いて2階に上がった途端、名城し難いある種の、強烈なにおいに圧倒されたことがある。
体臭は日本人はないはずだ。何をいちゃもんつけているんだ。第一印象が悪いものだから、ちょっとしたことが癪のたねになる。ムキになりすぎていると思うが、それでも腹の虫は収まらない。折角ビジネスクラスに、乗せてもらって、ルンルン気分だと言うのに。これじゃ台無しじゃないか。このばばあ。
急に怒りがこみ上げてきて爆発しそうになったが、僕は言葉を飲み込んだ。
しばらくするとやホステスが飲み物をサービスし始めた。オバハンはホステスをつかまえて、臭い臭いと、においのことを連発している。
ホステスも当惑した顔をしながら、あいまいな返事をしている。彼女は二人の乗客を怒らせないようにうまく質問に答えているが、腹の中では困っているのが、僕には手に取るようにわかった。
オバハンはそんなあいまいな返事で、納得するような女ではないが、
前からサービスを終えたワゴンが来たので、ホステスはそのまま後へとひっこんでしまった。
飛行機のこの狭い空間の中で、においを問題にしてどうなるというのだ。ここは上等の客が乗るところだ。もっと上品にしろ。がたがた言うなら下に降りて、エコノミーに行ったらどうだ。喉元まで、日本語がでかかったが、韓国語や英語では言い方が分らないので、ただ黙る他はなかった。実にはがゆいに思いをしたが、それは仕方がなかった。
視線を感じて振り向くと、オバハンはちょっと笑みを浮かべたような顔をして、こちらを向いて英語で話しかけてきた。聞きたくもないと思ったが、英語だったら少しは話が通じるので、いやいやながら、相手をした。彼女が言うには、
「韓国からカナダに移住して、もう45年にもなる。5歳の時だからやっと物事が分かる・物心がつきはじめたころで、移民の私はろくすっぽ、教育を受けないで、ただがむしゃらに働いた。そのおかげで母国は非常に経済状態が悪いが、こうして何十年ぶりかで里帰りもできる。いつもはエコノミークラスで、こんな上等の席に座ったことがないうえに、自分はこのようなランクの所では、どのように振る舞えばよいのか分からないので、ふさわしい振る舞いができなくて悲しい。だからめったにこういうところには乗らない。
ところが、今韓国は経済的に大変だということで、それじゃこの機会に少しでもお役に立てばと思い、今日はこのクラスにした。直行便だったら早いし、安いことは分かっているが、ちょっと旅行もできる身分になったので、バンコク見物をして、韓国に帰るのだ」。と彼女は言う。
隣の席の僕には気配りができていないが、この人は異国で頑張って一旗あげて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。教育も受けずに生活基盤のない異国で、生きることは生易しいことではないが、彼女はどんな苦労したのか知らないが、彼女なりの成功をおさめて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。
僕は彼女の無礼も忘れて、彼女の身の上話に耳を傾けた。
礼儀作法も知らない。教養もない。しかし生活面では成功している。おそらく欠食したこともあっただろう。しかし歯を食いしばって、努力に努力を重ねてここまでやってきたのだ。ここまでなるには、おそらく大変な思いをしたことだろう。
僕は問わず語らず足らずで、彼女が先ほどからクチにする英語の会話の流ちょうさ関心を持っていた。なるほど。
さっきから英語を聞いているが、非常になめらかで、上手だ。僕はしばし彼女が45年間の間にカナダで身につけた英語の美しい発音に聞き惚れていた。
「あなたの靴じゃないかしら」
突然彼女は話題を変えた。僕ははっとした。先ほどから、それとなく、悪臭の源を心の中で、いろいろ探していたが、思いあたるのは、靴下と靴以外には考えられない。シャワーは、浴びたが、靴までは洗っていない。そうかもしれない。悪臭、とか、臭いとか、彼女が言った臭いの発生源は僕の靴かもしれない。
そして事実。彼女が指摘したとおり、悪臭の源は僕の靴であった。
さっきのちょっとした身の上話で、心が通じ合っていたので、僕はこれが源かもしれないと率直に認めた。彼女は原因が分かったので、それ以上どうして欲しいとは言わなかった。たた僕の方は、ちょっと気恥ずかしい気持ちになった。しかし、怒りの感情はどこかへ霧散していた。会話によってお互いに多少とも、心が通いあったので、僕は再び元の気分を取り戻して上等席に、座って偉くなったような気になった。
気分はちょっとしたことで、ころころ変わる。僕は気分屋だな。そう呟いて、苦笑をしたが、僕はそれはそれで良いと思った。
なんの悪戯かしらないが、頂上の気分から一転して谷底へ、そしてまた頂上へ。人間は感情の動物だというが、実にその通りで、今回の旅で、それを思い知らされた。と同時に、これは自分の頭の中だけの揺れで、もし実際にこの飛行機がダッチロールを繰り返したら、どうなることか。僕の頭の中のように揺れていたら、地獄を見ることだろうなと恐ろしい気もした。
ビジネスクラスの席で、僕の気分は先ほどからダッチロールを繰り返していた。それで良かったのだ。
チェックインしたのは11時半過ぎ。さっそ例のスカイパスを見て、うち込まれたマイル数を確認した。
やれやれ、これで帰れる。明日の朝はソウルだ。窮屈な座席で6時間近く辛抱しなくてはならない旅。だが、これは格安チケットだから、辛抱しなくてはならない。当然のことだ。
安堵感も手伝って、疲労が押し寄せてきた。しかし、今から自分の座席に着くまでが、ひと仕事である。いつものことだが、今日も自分の席に着くまでは、安心できない。僕は頭の中でそんなことを考えていた。
日本人に比べると、どうも、韓国人は乗り降りのマナーが悪いようだ。いよいよ飛行機に乗るという段になると、並んでいても平気で、列に割り込むし、後がつかえていても、立ち止まって通せんぼ状態を作る。
後ろの人は、イライラしながら彼が前に進むのを待っているが、それでも平気である。
これがなければ、大韓航空はもっと快適なんだがなぁ。安いから仕方がないが、僕は我慢がまんと自分に言い聞かせた。
座席に向かって、乗客が我れ先にと殺到しだすと、僕も負けずに、
行儀もエチケットもあるもんかとばかりに、強引にヒトをかきわけて座席番号の方へ進んだ。
いつものように、チケットの半ぴらに書かれた座席表を見て、ホステスが指示した方へ重い荷物を持って、人をかきわけながら進んだ。
探していた番号をやっと見つけて、やれやれと思ったのも束の間、
アルファベットの記号が違う。 あれ、??違うじゃんか。
入り口では確かに、23番と案内された。が、来てみれば記号が違う。
中に入ってくる人の列に逆らって、僕はその場に立ち止まってしまった。案内をしているスチュワーデスに、座席表を示しながら、イライラして、座席が違うじゃないかと声を荒げだ。そしたら、
「それは2階です。入り口の方に戻って2階に、おあがりください」という。
何? 人を押しのけてまで、ここまでやってきたのに。逆方向すなわち人の流れに逆らって、入り口に行きなさいだと。何たることだ。
僕ははいってくる乗客にぶっつかって、露骨に嫌な顔をされながら、入口へと人をかきわけて進んだ。
おかしい。確かに2階はビジネスクラスで、エコノミーではないはずだと思ったが、今まで2階などに、上ったことがないので、ひょっとしたら2階にも、エコノミー席があるのかもしれないと思い、2階に上ったものの、エコノミークラスの座席は見当たらなかった。
やっぱり思ったとおりだった。やれやれ、また間違ったか。何度間違って案内すれば気がすむんだ。
僕は乗務員だったら誰でも良い。捕まえて、声をあげてしっかり案内せいと怒りたくなった。重い荷物を持ったまま。また下に送りなければならないと思っただけでもいやになる。
幅がゆったりした座席には、フットレストも付いている。座席の広さも、エコノミークラスのそれに比べて1倍半は、ゆうにある。体を伸ばすと、床屋の椅子のように、楽な姿勢で寝る体勢だってとれる。数えてみると、30数座席。
ダメもとで、僕は近くにいた、らスチュワーデスを捕まえて、僕の座席はどこかと、とぼけてきいた。
「1番後ろの窓側です。どうぞお掛けください」と彼女は案内した。
「いや、違います。僕の席はエコノミーですよ。」
僕は内心、お前さんまた嘘をつくのか、と反発した。
「本日はこの座席で結構です。お掛けください」。
「本当ですか。重ねていうが、僕の席はエコノミーで、この座席ではないはずです」が、
「いいえ、今日は特別サービスなんです。遠慮なくお座りください」。
一体これはどういう風の吹き回しだ。僕は信じられない。そう思ったが、黙ってしまった。
だが、いわれたままに指定の座席に腰をおろした。
一生に一度くらいは、ビジネスクラスやファーストクラスに乗ってみたいと思っていたが、僕の予定では、いよいよこれで海外旅行もおしまいだという、最後の日にでも、乗ってみるつもりでいた。ところが、思いがけなくも、今日、今着席して味わうことができることになったのだ。
このことで、僕の心の中はがらりと変わった。気分が良くなったのである。イライラと、とげとげしい気持ちは、霧散した。
あははー、なんと単純な奴なんだ。この俺れは。
僕は自分の軽さに苦笑した。
先方がよいというから、この席についたまでの話で、それ以上のことは詮索する必要は何もないのに、席に着くや否や、僕は何故こうしてビジネスクラスに、乗せてもらえるのか。その理由を考え始めた。
エコノミークラスが、オーバーブッキングになり、溢れたエコノミー乗客を何人か選んで、この席にしたのかもしれない。その際この幸運の中に、僕がいたのかも。
韓国は今、海外渡航自粛で、ビジネスクラスの乗客は偶然にも、誰もいなかったので、スカイパス利用者に融通したのか、それとも、僕はバスの会員として、すでにマイレージで、2万マイルほどたまっている。これをベースに特別サービスをしてくれたのかもしれない。
理由はともかくも、格安キップで6時間もこんな扱いをうけるのは初めてで、非常に気分がよい。自分の無邪気さがよみがえったような気がした。
ああ良かった。たまにはこんなことがあっても良い。僕は先ほどからのくしゃくしゃした気分をすっかり忘れて、ルンルン気分になった。
座席に座って、荷物の整理をしているときは、空席だった隣の席に、50歳ぐらいの見るからに品のない韓国人女性が座った。彼女は席に着くなり、座席の前のフットレストの近くに置いてある僕の荷物を足でさし示し、早く楽片付けるようにと目で合図した。僕はむっとしたが、
こちらの荷物が相手の感情を害しているのだからと思い、急いで窓側に移した。
失礼な奴だ。僕はフカみたいに太った礼儀知らずのこのオバハンは一体何者か、オサトがしりたくなった。
真っ赤な口紅と同じものを足の指にぬっている。マニキュアも家庭婦人のそれではなく、その風体からして、一見しただけで、おミズ系統の女だと思った。本来ならこのビジネスクラスに似合わない無教養な人間ではないのか?。
あつかましい。およそ気配りの気の字もみせず、人の迷惑も考えずに言いたい事を言い、やりたいようにやる。それが開き直って恥も外聞も、失った、どあつかましい女だと僕の眼には映るのだ。せっかくビジネスクラスの座席に座ってルンルン気分になったのに、いやな奴がきたもんだ。僕は、不運を嘆いた。するとまた先ほどの忘れたはずの不愉快な気分がよみがえってきた。
何を思ったのか、彼女は僕の不機嫌を無視して、急に英語がしゃべれるが、と英語で聞いてきた。
「すみませんが、」そのくらいの前置きができないのか。またいらついた。もともと僕はこの女に好感を持っていない。そこでぶっきらぼうに少しだけと言ってやった。
彼女は、急に「変な匂いがしませんか。臭くないですか」という。
予想外の質問で、ちょっとびっくりしたが、僕は特別匂いも感じなかったので、「はあ?」 と意味不明の愛想のない返事をした。
それにしても、いったいこの女は、自分のことを何様とだと思っているのだ。お前中心にこの世の中が回っているんじゃないんだ。そう。少しは考えて、ものいったらどうだったらどうだ。僕は心の中でそう怒った。ところで臭いにおい?。僕はこの席に着いてから、異臭を感じたことはないし、まさか上等の席に悪臭を放つものなど置かれているはずもない。また自分としても、昨夜は宿で何回もシャワーを浴びたから、汗臭くわないはずだ。自分自らが臭いものを持って載ってるんじゃないのか?。
そういえば、韓国人は、ニンニクを常食とするから、ある種の体臭を出していることがある。
僕が初めてソウルへ行ったときに、駅に着いて2階に上がった途端、名城し難いある種の、強烈なにおいに圧倒されたことがある。
体臭は日本人はないはずだ。何をいちゃもんつけているんだ。第一印象が悪いものだから、ちょっとしたことが癪のたねになる。ムキになりすぎていると思うが、それでも腹の虫は収まらない。折角ビジネスクラスに、乗せてもらって、ルンルン気分だと言うのに。これじゃ台無しじゃないか。このばばあ。
急に怒りがこみ上げてきて爆発しそうになったが、僕は言葉を飲み込んだ。
しばらくするとやホステスが飲み物をサービスし始めた。オバハンはホステスをつかまえて、臭い臭いと、においのことを連発している。
ホステスも当惑した顔をしながら、あいまいな返事をしている。彼女は二人の乗客を怒らせないようにうまく質問に答えているが、腹の中では困っているのが、僕には手に取るようにわかった。
オバハンはそんなあいまいな返事で、納得するような女ではないが、
前からサービスを終えたワゴンが来たので、ホステスはそのまま後へとひっこんでしまった。
飛行機のこの狭い空間の中で、においを問題にしてどうなるというのだ。ここは上等の客が乗るところだ。もっと上品にしろ。がたがた言うなら下に降りて、エコノミーに行ったらどうだ。喉元まで、日本語がでかかったが、韓国語や英語では言い方が分らないので、ただ黙る他はなかった。実にはがゆいに思いをしたが、それは仕方がなかった。
視線を感じて振り向くと、オバハンはちょっと笑みを浮かべたような顔をして、こちらを向いて英語で話しかけてきた。聞きたくもないと思ったが、英語だったら少しは話が通じるので、いやいやながら、相手をした。彼女が言うには、
「韓国からカナダに移住して、もう45年にもなる。5歳の時だからやっと物事が分かる・物心がつきはじめたころで、移民の私はろくすっぽ、教育を受けないで、ただがむしゃらに働いた。そのおかげで母国は非常に経済状態が悪いが、こうして何十年ぶりかで里帰りもできる。いつもはエコノミークラスで、こんな上等の席に座ったことがないうえに、自分はこのようなランクの所では、どのように振る舞えばよいのか分からないので、ふさわしい振る舞いができなくて悲しい。だからめったにこういうところには乗らない。
ところが、今韓国は経済的に大変だということで、それじゃこの機会に少しでもお役に立てばと思い、今日はこのクラスにした。直行便だったら早いし、安いことは分かっているが、ちょっと旅行もできる身分になったので、バンコク見物をして、韓国に帰るのだ」。と彼女は言う。
隣の席の僕には気配りができていないが、この人は異国で頑張って一旗あげて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。教育も受けずに生活基盤のない異国で、生きることは生易しいことではないが、彼女はどんな苦労したのか知らないが、彼女なりの成功をおさめて、今故郷に錦を飾ろうとしているのだ。
僕は彼女の無礼も忘れて、彼女の身の上話に耳を傾けた。
礼儀作法も知らない。教養もない。しかし生活面では成功している。おそらく欠食したこともあっただろう。しかし歯を食いしばって、努力に努力を重ねてここまでやってきたのだ。ここまでなるには、おそらく大変な思いをしたことだろう。
僕は問わず語らず足らずで、彼女が先ほどからクチにする英語の会話の流ちょうさ関心を持っていた。なるほど。
さっきから英語を聞いているが、非常になめらかで、上手だ。僕はしばし彼女が45年間の間にカナダで身につけた英語の美しい発音に聞き惚れていた。
「あなたの靴じゃないかしら」
突然彼女は話題を変えた。僕ははっとした。先ほどから、それとなく、悪臭の源を心の中で、いろいろ探していたが、思いあたるのは、靴下と靴以外には考えられない。シャワーは、浴びたが、靴までは洗っていない。そうかもしれない。悪臭、とか、臭いとか、彼女が言った臭いの発生源は僕の靴かもしれない。
そして事実。彼女が指摘したとおり、悪臭の源は僕の靴であった。
さっきのちょっとした身の上話で、心が通じ合っていたので、僕はこれが源かもしれないと率直に認めた。彼女は原因が分かったので、それ以上どうして欲しいとは言わなかった。たた僕の方は、ちょっと気恥ずかしい気持ちになった。しかし、怒りの感情はどこかへ霧散していた。会話によってお互いに多少とも、心が通いあったので、僕は再び元の気分を取り戻して上等席に、座って偉くなったような気になった。
気分はちょっとしたことで、ころころ変わる。僕は気分屋だな。そう呟いて、苦笑をしたが、僕はそれはそれで良いと思った。
なんの悪戯かしらないが、頂上の気分から一転して谷底へ、そしてまた頂上へ。人間は感情の動物だというが、実にその通りで、今回の旅で、それを思い知らされた。と同時に、これは自分の頭の中だけの揺れで、もし実際にこの飛行機がダッチロールを繰り返したら、どうなることか。僕の頭の中のように揺れていたら、地獄を見ることだろうなと恐ろしい気もした。
ビジネスクラスの席で、僕の気分は先ほどからダッチロールを繰り返していた。それで良かったのだ。