日々雑感

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10-74 また霊感商法か

2007年12月23日 | Weblog
悲惨な事故や事件が起こる。何が原因でこんなことが起こるのか。これに対して人は何もわからないから、運が悪かったで片付ける。 しかしこれでは何の解決にもならないだけでなく原因究明にもならない。

そこでぼくは考えるのだが。
この世のことは、すべて原因があって結果があるのだ。原因にある種の力が働いて結果が起こる。と思うのである。
たとえてみると水(原因)があれば波(結果)が起こるということはない。
風という力が働いて初めて波が生じる。そこで問題になるのは原因に働きかけ
結果を生む,ある種の力である。

このある種の力のことを仏教では縁という。つまり因縁果の法則によってすべては生成消滅するというのだ。
となれば、縁とはどのような力のことか 。僕の理解ではこれは超人間的なもので
人間の力では如何ともしがたいものである。ということはこのこの摩訶不思議な力は神や仏に属するものである。

だから縁に関して何らかの欲望なり、希望なりをもって神仏に働きかけてもらいたいということになれば、人間は神や仏に向かって何らかの働きかけをしなくてはならない。

われわれが神仏とのコンタクトを持つのは「祈り」の1語に尽きる。祝詞か、お経か。

ここで思い出すのはラフカデイオ・ハーンの怪談[耳なし芳一]の話である。
芳一は毎夜現れる壇ノ浦で死んだ平家の亡霊に悩まされたが、あるとき、高僧からそれを防ぐために、体中にお経を書いて、亡霊を寄せ付けないようにせよと教えられる。すなわちお経の持つパワーを身につけて自分を守れというアドバイスを受ける。
芳一は教えられたとおり体中をお経で覆い埋め尽くしたが、ただ一箇所耳に書き込むのを忘れていた。ある夜芳一のもとに現れた亡霊どもは体中に書き込まれたお経の力によって寄り付くことは出来なかったが、ただ一箇所耳だけはお経が書いてなかったので、ここぞとばかりに、耳をそぎ落として、暁の鶏の声とともに帰っていった。

ここで重要なことは、お経がガードの役目を果たしたということである。神仏の威力は超人間的であるから、こういうことが出来たのだろう。

さてこの作品の考え方を援用して、毎日の生活にとりいれたらどうだろう。
即ちお経を唱える事によってわが身をガードする。言い方を換えれば、お経を唱えることによって、悲惨な事故や事件の犠牲になるのを遠ざける。悲惨な目にあわないようにする。お経の持つ不可思議なパワーによって我が身を守って貰う。
人間の力を遥かに超えた、神仏の力を借りることによって、わが身を災いから守るという考え方である。
また神や仏の誓願を信じることによって、この考えかたは生きてくる。

因縁が悪いからお布施をたくさんしなければならないとか、お礼をたくさんしなければたたりがあるとか、ばかげた、たわごとにイトも簡単にだまされて、金を巻き上げられた事件が後を絶たない。

 基本は金と宗教の関係だ。

 金が有効なのは生きている人間どもの話で、実体のない神仏が金をもらってどうするのか。この世でしか使えない円やドルを神仏が使ったためしがあるのか。
お礼を供えたら、祈願料を納めたら、それを受け取るのは神仏をかついている人間に決まっているじゃないか。
そんな輩に金をむしりとられるなんて非常識もはなはだしい。バカもいい加減にしろと叫びたい。


自分と神仏の間にどうして金銭を介在させるのか。

霊感というものは確かに存在する。何回も自己体験がるので僕は霊感や霊能者の存在を信じる。だからといって霊能者に多額の金を渡して、自分の欲望の実現を図るというのは、邪道であると思っている。
 
渡すのは神仏に対して、自分の心の中にある感謝の気持ちだけであって、神仏との仲立ちをしてくれた霊能者には、常識的な御礼の金額でよいはずである。千円も渡せば十分じゃないか。

金額の多寡によって神仏の恩寵の多少が違うという愚かしい迷いごとは、西洋の宗教改革の発端となったあの事件 教会が免罪符を売りつけて金集めをしたことでもよくわかる。
 なぜならば神仏を語って金を集める、儲ける。それ自体が間違っているからだ。

 知識が比べ物ならほど豊富になった現代人が免罪符的なものを求めて、挙句の果ては霊感商法にひっかっかり詐欺の犠牲者になるというのは、欲むき出しの無知のなせる業で、お笑い話にもならない。

ちなみにぼくと宗教とのかかわり方には、自分で基本条件を設定している。

1、信仰に金は不要である。信仰とは己と神仏と向き合う関係以外の何物でもない2、入会を勧誘する宗教団体はいかなるものでも受け付けない。断る。よしんば入会したとしても、そこには入会も脱会も完全な自由が保証されることが不可欠。
3、自ら進んで寄進するのは個人の自由である。催促や強制は一切受け付けない。

今回の霊感商法の場合、警察官の名詞を利用したというじゃないか。うまい小道具である。彼らは神仏を語って神仏を欺いた。天罰てき面であってほしい。

天にまします、われ等が神仏よ。今こそ正義の剣で成敗して、そのご威光を示したまえ。

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