日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

初釜

2007年12月04日 | Weblog
法隆寺の隣にある中宮寺から、墨の跡もはっきりとした巻紙で、新春の初釜のお誘いがきた。
茶の湯など、興味はないが、考えているところはある。

難しい作法やたしなみなど、一切知らないが、要は、茶の湯を通して、人の心や、人生の何かを感得できれば、それで私における茶道は完成セリと思っている。

限りなく美しい黄色の混ざった、緑色の茶が、高級と思われる焼き物の器に、底からちょっと上まで入っているのが、和風姿の女性によって、うやうやしく? 運ばれて、客の前に出される。

それを一口で、ぐい飲みするのか、何回かに分けて味わいながら飲むのか、。渇きをいやす人ならいざ知らず、普通は大抵は何回かに分けて、舌の上に、茶の香りを漂わせてながらいただくだろう。

話はここから人生につながっていく。
人生を一服のお茶に、たとえると、一口で、ぐい飲みしては、茶の味が分からないのと同じように、何も考えないで、生きることは、お茶をぐい飲みするのと、同じことだ。 茶道は奥が深い。人生もまた奥が深い。

お茶の味わい

2007年12月04日 | Weblog
 人生をぐい飲みする人にとっては、人生を味わうということはとうていできない。聞こえるが、聞こえないかの釜の湯を注いだ茶の味を味わい、器を眺め、庭をながめ、人の心を思い、その場の雰囲気の中に、自分の心を浸しこんでこそ、茶の湯の心が分かるというものだ。

 和菓子の甘さと、そのほろにがさが溶け込んで、まろやかな甘みが、口の中に広がるときに、人は茶の心が解ったような気になるものだ。

人生も然りである。いろいろなものに思いを致し、それを味わうところから人生の味が分かるものである。それがわからない人の人生は、人生の持つもろもろの味の内容を味わいつくすことなく、ただ一直線に死のベルトに、のっかるようなものである。

ストレスの震源地、私の場合

2007年12月04日 | Weblog
 私は今、作詞をしたり作曲したり、いわゆる創造活動を行っている。そしてこの活動は、誰に強制されたものでもなく、自らが、やりたいからやっている。

ところが、創作活動とそれに伴う活動は考えてみれば、ストレス発生の震源地みたいなものである。

思うように創作ができなければ、例えば、頭の中で鳴っているきれいなメロディーを5線紙に書くと、意図するものと全く違ったものになる。その差が、イライラの種になる。
また作るべき何者も浮かんでこない場合には、もう創作の泉が枯れはてたのではないか。ひょっとすると、もう創作できないのではないかという不安にかりたてられる。
いずれにしても、心休まることではなく、落ち着かない。不安の種である。

さらに、よしんば、自分の思うような作品ができたとしても、それを音にするなり、歌うなり、また作品化して、販売するなり、しようとすると、多くの人の力をかりなければならないが、これがまた難物で、自分の思うとおりにはことが運ばない。それゆえに、イライラの種になる。創作ならびに発表という一連の活動はまさしくイライラの発生源であり、またたまり場である。

私はすき好んで、この中に飛び込んでいるのであるが、胃が痛む。不眠に悩む。これは鬱積したストレスの泣き声である。そのイライラのるつぼの中でもがいている。
心を開放してやらないと、心が痛み、壊れ、創作活動ができないようになってしまう恐れがある。何とかしなくては、と思うが、ストレスをうまく解消する方法はまだ見つかっていない。
これからもずっと睡眠薬のお世話になるのだろうか。

胎教

2007年12月04日 | Weblog
だいぶ昔の話である
北海道 つる公園 、sy主人公は、主人公は高橋さんと鶴

鶴の人工ふ化に成功。その過程をNHKが、ビデオに収めて放映した。

卵をフラン器に入れて、ふ化する2週間ぐらい前になると、高橋さんの呼び声に、卵の中の雛鳥が反応する。
ピーコと呼ぶと、卵がコロコロと机の上で動く。
生まれる2、3日前になると、卵の中で、ピイーピイーと鳴く。

殻を破って生まれてからは、ピンセットで、小魚を食べさせて育て、大空に羽ばたかせる訓練をして、自然に帰す。

そうして育てられた一羽が、岡山の動物園に贈られた。それを後日訪問して、ピーコと高橋さんが声をかけると、鶴は、なきごえをあげて反応する。
それはまだ卵の中にいたときに、聞いたこともある懐かしい母の声なのである。

胎教。そんなことは信じられなかった。

腹の中にいる子供が外界に、反応するなんて信じられなかった。だが、この鶴のふ化の様子を見ていて、私の考えは変わった。

長女がまだお腹の中にいるとき、私はクラシック音楽に夢中だった。勤務が終わって、6時過ぎに家へ帰ってから、毎日12時ごろ床につくまで、大きな音でクラシックテープをかけっぱなしにした。それが結果として胎教になっていたのであろう。
2,3歳になって、自意識が目覚める頃、彼女は明らかに音楽的才能を現し始めた。
才能があるからそうなのか、音楽への関心は非常に高かった。生まれて後に、特別教育をしたわけではないから、彼女の音楽才能は胎教としか言いようがない。

下二人の子供には、胎教音楽は与えなかった。そしたら、音楽に関しては、才能も関心も、鈍い。
長女が、二十歳になって初めて、私は胎教のあることを知った。彼女はいまだに音楽を続けている。それを見ていると私は胎教は間違いなくあると信じている。