日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

楽しまなくちゃ

2007年12月16日 | Weblog
私は、作曲するために、作詞をするために、エッセイを書くために、この世に、生まれてきたのでない。
よりよく生きるために、生まれてきたのである。出来る限り苦痛を少なくして、より多くの快楽を、より多くの嬉しい事、楽しいこと、気分の良いこと、心地の良いことを楽しむために生きているのだ。
よりよく生きること。与えられた命を楽しむこと。それが私がこの世に生まれ出たことの目標である。
百年の命を持つ芸術作品を残すために、人生のあらゆる楽しみを犠牲にするなんて。まったくばかげている。そう言えば誰か言ってたな。地位や名誉何するものぞ、今飲んでいるうま酒に勝るものがあろうかと。

女二人

2007年12月16日 | Weblog
日向・宮崎県の高千穂で夜神楽を見に行く途中で、二人の年配の女性と知り合った。
偶然だが、明日の朝、車で阿蘇山に上り、それから、山鹿の灯籠を見に行くという。私が神仏の歌を作っては奉納するという話をしたことから、彼女たちは、自身の信仰の話をしてくれた。

親鸞の教えを堅く信じていて、金粉は何回も経験したという。仏壇にまいっていると、金粉が降り、経机の足の部分だけが、金粉のないまま足跡として残ったという。すごい話である。ぼくも金粉がでる事は何回も経験してはいるがそれは手のひらで時たま光るものが有りそれが虫眼鏡でのぞくと金粉であることが分かる程度だ。経机の脚以外に金粉が降り注ぐという話はこれで2人目だ。

この人じゃないが、僕の知人は金粉を集めてチッシュに包んで見せてくれた。場所は2階から1階に下りる階段で、きらきら光りながら舞い落ちてきたという。

金粉の出現はある日突然でしかも場所を選ばない。家へ書き物をしているときも、電車の中でも、ひどいときには額にもくっついている時だってある。だけど僕の金粉は1mmの半分くらいの大きさのものが1つだけである。集めるなんて事は到底出来ない。

彼女は学校へやってもらえなかったことが未だに残念で、結婚するまでは恨んでいたという。今は、離婚して、一人働きながら、生活をして、今回久しぶりに車で、友人と二人で旅に出たという。

阿蘇駅近くのレストランで、3人でカレーライスを食べコーヒーを飲んでさようならをした。若い人が代金を払ってくれた。高千穂から、高森。 高森から、阿蘇山頂上まで、どうしていこうか。と思案中だったから、この同行3人の旅は渡りに舟で本当に助かったし、楽しかった。

景色、車の便 阿蘇山の雄大な姿 白髭のように立ち上る白煙。目を景色から心に移して見ると、そこには親鸞への信仰と金粉の話。
そのどれもが脳裏に焼き付いた。

意外なところで意外な発見があるものだ。目に映る阿蘇の雄姿も良いが、人各人が持つ心の風景を知ることだって負けず劣らず、素晴らしいものだ。
それは身につまされることあり、全く同感であり、意外な発見であり、喜怒哀楽の世界をさらに広げようとする。