亀山公園展望台
今日は別な方向から上ってみた。
石段を数えながらゆっくり上っていくと、漱石の草枕の一節が急に口をついて出た。
若い時に読んだ本で、もうすっかり忘れかけようとしているのに、急に口をついで出た。
わたしの想像では、主人公はベレー帽スタイルだが私は土方スタイルである。ズボンこそニッカではないが、どんなに汚れても、どこに座っても、ねっころがっても、何をしてもいい服装である。
いろいろ考えもし、トライしてみたが、取材にはこの服装が一番便利である。恐らく生涯このスタイルを通す事になるだろう。どんな服装でもよいが、取材するのに最適なのが一番よい。
頂上は小さいスペースではあるが、広場になっており木製のベンチがおいてあり、息を切らして上って来た身には、オアシスである。
汗が出た。カバンから水筒にストローを突っ込んでお茶で一息入れた。この水筒は自慢の代物である。カバンの中にしまい込んであるのだが、折り畳み式になっていて飲み干してしまえば、ぺしゃんこにしてもち帰れる。大きさが自分が1日に飲む量と丁度あっていて過不足はない。
近ごろのお茶は缶が大きくて飲み残したら、持って歩くか、捨てるかになってしまい不合理なことおびただしい。
今日は4月も終わりに近いから初夏の風である。汗ばむ陽気のなかで頬を通り過ぎて行く風は一服の清涼剤以上のものである。だれに煩わされる事もない、差し迫った心配事もない、暑くなく寒くない、自然も自分ものどかそのものである。いや流れ去る時間のなかで、のどかさ、を切り取ったといったほうがふさわしい。
隣はっとみると、先程から絵筆が走っている。保津川下りの船の行き交う姿もキャンバスの上にちゃんとキャッチされている。美しい景色を心の中で確かめながら筆を動かす
すばらしさは無心になって描いている本人が一番分かっている筈。
絵心のない私にはうらやましく思えた。